創竜伝 (8)
気配が全く感じさせないという一事で、手の所有者の正体が分かった。
「あ、続兄貴...と、兄貴?」
「ちょっと、様子を見ましょう。今出てくと、かえって面倒かもしれませんよ」
「続君、たぶん飛び出したりしませんから、手を離しませんか?飛び出しても、半殺しとちょっとで済みますから...」
「たぶんと言ってる時点で離せませんよ。それに、さんのちょっとは、ほとんど全部でしょう」
の片手には、余のカーディガンとサンダルがぶら下がっていた。
反対の手は、続がつないでいて、飛び出しそうなを押さえている。
余のカーディガンなどを持ってきたあたりの何気なさが、終が兄達に及ばないところだ。
だが、の過保護さ具合は、言葉だけなら、『ちょっと過激かな』で済むのかもしれないが、実際に行動に移してしまうので『かなり過激』になってしまう。
というよりも、今までの子育て経験が一般的でなかったため、今まで通りやった結果が過激になってしまうせいなのだが、あいにく本人も気づいていない。
男は余の襟首を掴んで、公園の奥へ引きづり込もうとしていた。
の眉が勢い良く跳ねあがり、男を睨みつけた。
もちろん、続と終も気にくわない。
無抵抗の相手に徹底的に制裁を加えようとした男が、ふと、あることに気づいた。
「な、何だ、このガキ...宙に浮いてやがるぜ」
余の足が、地面から5センチほど浮いているのを、男が見つけたのである。
次の瞬間、男の手が余の頬に鳴った。
それを見た、が、額に青筋を立てて呟く。
「...組ごと潰す」
兄弟たちは、明日の新聞に男が所属しているだろう組織が潰れた、と掲載されると確信した。
不幸なのか、幸いなのか、それを知らない男は、自分に理解できないことを、暴力で解決しようとするタイプであるらしかった。
奇術でも使っている、と、貧しい知識で考えたのかもしれない。
2発目を振りおろそうとして、その手が止まった。
真珠色に輝く点が、余の頬にあらわれていた。
それは、竜堂家の兄弟たちにとっては、けんのんさを意味する信号だった。
終は1歩踏み出しかけたが、続が、その肩を押さえた。
男は、今や狼狽していた。
彼に威嚇された相手は、幾通りかのパターンに分類される反応を示したのに、余のパターンはどこにも当てはまらないのだ。
薄気味悪さなどという以上のものを感じたに違いない。
恐慌寸前の気配が男の全身に流れた。
口の中で何か呟き、季節に似合わない汗を大量に流し始めながら、止まった手を必死に動かしかける。
だが、男の表情と動作が、完全に氷結してしまった。
余の両眼を見た瞬間に、そうなってしまったのだ。
閉ざされていた瞼が開くと、黄金色の瞳孔が、男を正面から見据えた。
男は、自分が失禁したのを自覚しただろうか?
3人が駆け寄った瞬間に、余がはじめて動いた。
右手が男の方に差し出される。
余が片手を軽く差した出しただけで、男は10メートルほどの距離を吹き飛んだ。
余の掌から、目に見えない巨大な掌がもう1つ出現して、男を突き飛ばしたようだった。
男は頭から、つげの大きな植え込みに突っ込み、幸福にも、そのまま失神した。
宙に浮遊したまま、スッと前進しようとする弟の前に、終が飛び出した。
その瞬間、終は、自分の身体が、空中に跳ね上がるのを感じた。
トランポリンの上で跳躍したのと、ジェットコースターに乗って無重力状態になったのと、その中間の気分だった。
「終君!?」
目の前に、樹の梢が出現したとき、が終の名を叫んだ。
終はとっさに片手を伸ばしてそれを掴み、両足をひっかけて、それ以上飛ばされるのを、ようやく阻止する。
はそれを見てほっと息をつき、余を振り返った。
「余君、もういい、やめなさい!」
そこでは、続が余の両腕を押さえていた。
前方からは危険なので、後方に回っている。
余の頬から真珠色の輝きが消え、続の手に伝わって奇妙な波動が消滅すると、余は肩越しに振り向いて兄を見た。
「......ああ、続兄さんか」
いささか頼りなげに頭を振る。
「夢を見ていたんですか、余君?」
続の言葉は、質問ではなく確信だった。
余が頷くまでに、やや間があった。
「余君、ケガはありませんか?」
「あ、兄さん。ううん、ないよ」
「そうですか。とりあえず、靴下を脱いでサンダルを履いてください」
「うん」
樹上に、不思議な力で放りあげられた終が、ぶつぶつ不平を鳴らしながら、京劇の俳優のように軽い身のこなしで下りてきた。
そして、が終にケガかないか確認したときには、余は、文字通り夢から覚めた表情で、カーディガンを羽織っていた。
ありがとうございました!
7話
戻る
9話