創竜伝 (6)







茉理が、自分のトーストをちぎって口に運びながら言った。

「父は確かに勝算ありと信じてるわ。誰かに信じ込まされたんでしょうけどね。単なる2代目院長で終わる気はない、とか、偉そうなこと言ってるわ。2人を追い出して、いよいよ改革とやらに乗り出す気なのよ」

つねづね、靖一郎は以下のように主張していた。

「人文学部と政治経済学部だけの小規模経営では将来の発展はない。八王子の広大なキャンパスに移転するに際して、国際関係学部、情報学部、経済管理学部、技術科学科を新設し、学生を3倍増する」

小規模校であることが、祖父(義父)の理念のひとつだったとは思うが、時代は変わる。

キャンパスの移転と規模の拡大が現代の要請であるとすれば、それはそれでよい。

ただ、移転事業にともなう利権をめぐって、肉食獣どもが暗躍するのが、始にもにとっても不愉快である。

叔父(愚兄義兄)の背後に、悪名高い代議士古田重平が控えていることを、2人とも知っていた。

理事会を威圧するために、叔父(義兄)がその名を出したことが1度ならずあるし、古田自身が黒いベンツで学院本部に乗りつけたこともある。

どう見ても、最終的に食い殺されるのは靖一郎だと、始もも思うのだ。

それにしても、前院長の影響を排除することに、靖一郎はたいそう熱心であった。

3万坪の学院の敷地は、決して広いとは言えないが、新宿新都心からほど近い距離にある。

その土地を売って得た巨額の利益を使い、『八王子市北部に50万坪の土地を確保し、全キャンパスを移転する』というのが、院長である鳥羽靖一郎の構想である。

共和学園の理事会は、院長を含め15名で構成されているが、その構想に反対しているのは、始とを含めて4名でしかない。

7名が賛成し、4名は中立という名で形勢を傍観していた。

これこそ、その4名の無能をしめすものだ、と、始は思う。

彼の見るところ形勢なぞとっくに決まっていて、逆転しようがないのだ。

まあ、自分自身の1票を高く売りつけるつもりかもしないが。

それでもこれだけ形勢が決まっていれば、どちらにとってもその票は1円の価値もないだろう。

始と同様に考えたは、呆れて、その4人に興味すら失っている。

また、それまで院長室にかかっていた『自由奔放』という額が外され、『勤勉、至誠(しせい)、努力』という現職文部大臣の額に変えられたとき、始は、叔父の卑小さに、いっそ憐れみを覚えたほどである。

はというと、後でそれを知り、呆れ果てて、頭が痛いとばかりこめかみを押さえていた。

始は叔父に、額を引き取ることを申し出た。

最初、靖一郎は甥の要求を拒もうとしたが、さすがに狭量(きょうりょう)に気がさしたのか、額を引き渡した。

もしも、譲ることなく拒んでいたら、が嫌味と毒と棘を混ぜ合わせた言葉で、容赦なく叩き潰していただろう。

現在その額は2階の客用和室の壁に飾ってある。

だが、苦笑で済ませることが出来ないのは(先のことも苦笑で済ますには、ややことが大きいかもしれないが)、2人に変わって新しく選任されるであろう理事の顔ぶれである。

もっとも、反対派の他の2人も辞任させられる可能性がないわけではないが、その場合も同じであろう。

それが古田代議士の息のかかった人間であることは、疑問の余地もないが、それが果たして最後まで、靖一郎の味方でいるかどうか。

「たとえば、古田代議士が、今度は叔父さんを追い出して、学院を完全に乗っ取ることだってありえます。その時、ひとつの手段として、2人を呼び戻し、操り人形に仕立てて古田が実権を握るということもありえますね。特にさんは、出資者の立場でもありますし」

続がそう言ったことがある。

19歳の未成年とは思えない読みだが、始は古田はもっと特別な手段を使うのではないかという気がしている。

は、言い方は悪いが、茉理が利用される可能性があるのではないかと考え、それとなく義姉に話をしている。

義父と血の繋がりがあるためか、靖一郎よりはるかに話が通じる相手である。

まあ、茉理のことは別としても、いったん2人が追い出されたとしたら、追い出した張本人である靖一郎の将来を思い煩ってやるなど、ばかばかしいことであろう。

叔父(義兄)は、昨夜、竜堂家を訪れる以前から、理事たちに次のように言って回っているのだ。

君と始君に対しては酷な言い方になるが、創始者の義息子と孫だからというだけで、教育者として、また学校経営者としての経験と見識に乏しい人物を、理事の一員に連ねておくことは、学校のためにも本人たちのためにもよくない。将来の復帰を前提に、一時、理事の座を退いてもらい、人間修業を積んでもらうとしよう」

表面的に異論の唱えようがない、立派なメッキだ、と、始もも思う。

辞めさせるつもりなら辞めてやるさ、辞めたところで、さしあたり食うに困るわけではないと、始はそう思う。

それはも同様だったが、それがまた『親(兄弟)の遺産があるものだから、あてにして』と悪口の種になる。

には仕事があるのだから言いがかりなのだが、ほぼ毎日家にいるうえ、何の仕事をしているのか知る人があまりいない。

もし、それが分かったとしても、始が『叔父の収入をあてにしている』と言われ、悪口が増えるだけだろう。

まあ、遺産と言っても大したことはない。

この家と土地、それに多少の有価証券と生命保険金、兄弟4人名義の簡易保険ぐらいのものである。

の収入がないと仮定すると、2年も無職でいればたちまち食うに困ることになるだろう。

始は、以前から、自分たち兄弟が、この時代にあって異端の存在であるように思っていた。

兄弟が持っている、常識を超えた能力もだが、生まれた時間と空間そのものが、間違ったものであるような気がしてならなかった。

中国の逸話によくみられる『天界から人間界への追放者』というやつだ。

茉理の言うように、始たちは、何か大きな、なすべき事業が用意されてるのかもしれなかった。

それに、がこの世界に来たのは偶然だったと言っていたが、始たち同様、なすべき事のために引き寄せられたのかもしれない。

むろん、単なる妄想であるという可能性もあるのだが。

「朝食がすんだら、お皿やカップはキッチンに運んでおいてね。そしてさっさと出かけて、昼食まで帰らないこと!掃除と洗濯の邪魔だから。さんはちゃんと部屋で休むこと!」

四兄弟とは素直に茉理の命令に従った。

こういうとき、彼らの従姉妹(姪)には、軍事司令の風格があって、服従する以外にない。

第一、彼女の善意と家事処理能力に対して不平を鳴らすことなど、罰当たりな話である。

こうして、9時30分には、兄弟はそれぞれ服装を整えて玄関ホールに立ち、は自室のベットに横になっていた。

「終兄さん、どこへ行く?」

「そうだな。新宿で『なつかしのSFアニメ大会豪華6本立』をやってるぜ。時間つぶしにはなるだろう」

続は区立図書館へ出掛け、始は高田馬場の、行きつけの古書店に顔をだす。

茉理は広い家の掃除にとりかかった。

そして、その時刻、茉理に『欲ばかり深い』と批評された彼女の父親は、古田代議士の家に呼ばれて、その玄関をくぐっていた。

そこで、の当たってほしくない予測が、当たってしまうこととなる。












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