創竜伝 (4)




人間たちが作り出す悪意や陰謀の嵐はともかくとして、自然の嵐は一晩で通過し、東京の上空には、翌朝、穏やかな青空が広がった。

「でも、この季節の空は、晴れてもあまり奥深さがありませんね。何かこう、青いペンキを塗りたくったみたいです」

「...なんてエッセイストみたいなこと言ってないで、早く歯を磨いてくれないかな。狭いんだからさ」

終が続に言ったように、竜堂家の洗面所は狭くはないのだが、何の間違いか、4人同時に顔を洗うとなると、さすがに窮屈である。

「おや、時間が重なってしまいましたか」

兄さん、また徹夜で本を書いてたの?」

5年ほど前から児童文学や絵本などを書き始めたは、かなり人気があり、たびたび徹夜で書き上げることがある。

「...分かりますか?」

兄貴が俺たちと同じ時間にここに来るのは、徹夜してた時だけだろ」

あいにく上の兄弟2人は平均的日本人より背が高く、手足が長いため、5人目が入っていくスペースはないので、誰かが終わるまで待つことになる。

「こら、余、きちんと歯を磨け。誰も見てないと思ったら大間違いだからな」

「余君、ちゃんと歯を磨きましょうね」

「はあい」

始とにそう言われ、余はいたずらな子犬のような動作で首をすくめた。

10歳違いの兄や、20歳近く年が違う叔父ともなれば、半分父親みたいな存在である。

まして竜堂兄弟の父親は10年前に亡くなったし、長兄は兄たちの通う学校の講師で、叔父はこの家の家事のほとんどをこなし、2人とも学校の理事とあっては、余の心境からすれば、3冠王に立ち向かう新人ピッチャーみたいなものだ。

逆らうことなど、考えることもできない。

もっとも、次兄の続や、三弟の終に言わせれば、『始兄さん(兄貴)は余に甘い』ということになるらしい。

そこでなぜの名前が出てこないかというと、本人だけは自覚していないが、4人全員に甘いからだ。

洗面所でそんなやり取りをしていると、玄関のベルが鳴った。

が行くより早く、余が歯ブラシをくわえたまま、パジャマ姿でとんでいってドアを開ける。

外にはジーンズの上下にコットンシャツという姿の若い女性が立っていた。

ショートカットとセミロングの中間に位置する長さの髪をして、繊細な目鼻立ちが、くっきりとした線を形作っている。

「こら、レディの前でその格好は何よ。ちゃんと着替えなさい」

「おはようございます、茉理(まつり)ちゃん」

「おはよう、さん。あ、また徹夜したでしょ」

靖一郎の一人娘、竜堂兄弟の従姉妹で、の姪である鳥羽茉理だった。

18歳になる彼女は、今年、吉祥寺に近い青嵐(せいらん)女子大学に進んだ。

母親の3割ほど美人度が高く、父親の7倍ほど明朗快活な女の子で、オーバーワークが当たり前の叔父を休ませ、従兄弟どもの生活を文明的に維持するのが自分の役目だと信じている。

自分自身の受験の前日にも、5人の夕食を作りに来て、ワインなどを飲んで帰り、危なげなく合格してしまった。

なかなか、並みの女の子ではないのだ。

「そりゃ、竜堂家の一族の中では、茉理ちゃんが最大の傑物ですからね。始兄さんとさんでさえ頭が上がらないんですから」

続がそう評しても、2人とも苦笑して否定しないくらいだから、終や余などは、ひたすら、彼女の前では、恐れ入るばかりである。

茉理は玄関ホールに大きな紙袋を置き、用意したエプロンをその場で着こみながら、なぜともなく横隊に整列した一同を見渡した。

「みんな、朝ごはんはむろんまだよね」

「まだだよ」

さん以外、顔は洗ったわね。じゃあ、洗濯物を出して、掛け布団を2階に干してから、食堂へいらしゃい。朝ごはんの支度をやっておくから。さんは徹夜明けなんだから、暇だからって洗濯したり、朝ごはんの支度を手伝ったりしちゃだめよ」

てきぱきと指示を出し、しっかりとにくぎを刺しておいて、茉理は大きな紙袋を抱えたまま台所に入る。

苦笑しながらは洗面所へ行き、竜堂兄弟のうち3人は階上へ上がった。

ただ一人、奇跡的に、すでに布団を干していた始だけが、食堂のテーブルでトマトジュースの缶を開ける。

「叔母さんは元気かい?ひと月ばかり会ってないけど」

「元気だけは十分だわね。うちの両親は学園を乗っ取ろうとしているの。分かり切っているのよね。欲が深いくせに度胸がないんだから、私にも、竜堂の本家にはあまり出入りするな、なんて命令するのよね。私が出入りしなきゃ、その分、乗っ取りのスピードが加速されるとでも思ってるのかしら」

父母をこき下ろしながら、茉理は、実に手際よく、パンを焼き、目玉焼きとほうれん草のソテーを作り、野菜スープを煮立て、テーブルに皿を並べる。

2階から兄弟たちが下りてきて、も洗面所から戻ってきたときには、食堂は、食欲をそそる匂いに満ちていた。











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