彩雲国物語 第11話







貴陽の花町の老舗妓楼(ぎろう)、コウガ楼。

そのコウガ楼の一室で、はキャンバスに向かい、筆で色をなめらかに載せていく。

の前には、モデルである女性が一人、華やかな衣装を身につけ、蠱惑的(こわくてき)な流し目で見つめている。

貴陽花町筆頭の名妓、胡蝶(こちょう)

それが彼女の名前だ。

たった一晩共にいるだけで、庶民の何生分(、、、)もの稼ぎを必要とする妓女が、なぜの前にいるのか。

それは、1週間ほど前にさかのぼる。





「ごめんください」

「はい......え?」

昼日中、妓楼が休んでいる時間にわざわざ来た客に、(いぶか)しみながらも笑顔を張りるけて出てきた大旦那が、を見たとたんぽかんと口を開けて固まった。

「...あの...まさか...(せんせい)ですか?」

「はい。ご無沙汰しております」

「いえ!そんな、こちらこそ!おい、皆に師がいらしゃったと知らせなさい!」

丁寧に頭を下げて言うと、大旦那は喜色満面に近くにいた者に言った。

「あの、挨拶にうかがっただけなので、休んでいる子たちを呼んでいただくほどでは」

「いえいえ、恩ある方をぞんざいに扱うわけにはまいりません。それに、あの子たちもきっとあなたにお会いしたいでしょう」

そこまで言われるとさすがに断るのも悪く、頷くしかない。

「それで、挨拶ということでしたが、貴陽をお離れにでもなられるのですか?」

「いえ、こちらで孫娘が、秀麗が働かせていただいていると聞きまして」

「秀麗ちゃんが師の孫娘だって!?」

「?...胡蝶ちゃんですか?」

「え、は、はい。話をさえぎってしまって、申し訳ありません」

話をさえぎったこととによる恥ずかしさと、15年以上対面していなかったのに分かってもらえたことの嬉しさで、顔を少し赤くさせて頭を下げた。

「構いませんよ。それに、昔のように気楽に話してくれた方が嬉しいですよ。もちろん皆さんにね」

胡蝶の後ろで、驚いた顔でを見ていた他の妓女たちも、その言葉で顔を赤らめると、嬉しそうにのところまで来て、久しぶりに挨拶をかわす。

まだ若い妓女や見習いたちは不思議そうに見ていたが、大旦那がそれに気づき、を紹介する。

「この方は、師と言って、昔、コウガ楼に絵を描いてくださったり、彫刻を掘ったりくださっていたんだ。絵などを描いているときは、お名前を獣壱(じゅういち)師と名乗っておられる。お前たちも聞いたことがあるだろう」

『獣壱』という名前に、聞いていた者たちはざわめいた。

その絵は緻密にして優雅、その彫刻は精密にして典雅、そのほかに、詩、曲、宝石細工、先駆者として名高く、その姿を知る者はごく一部という名工。

『獣壱』の作品は、例え手の平ほどの大きさの絵でも、貴族の屋敷3つは建つと言われる。

たんに『十一』だと締まりがないから、『獣壱』にしたという理由でつけた名前の割に、付いてくる賛美はとどまることを知らない。

を慕う妓女たちが皆挨拶を済ませたのを見計らい、大旦那がに話しかけた。

「しかし、以前、お嬢さんが見つかって、お孫さんが生まれたというお手紙は頂きましたが...まさか秀麗ちゃんがお孫さんだとは存じ上げませんでした」

「ということは、紅師が娘さんの旦那さんだったのかい?」

「ええ」

が頷くと、大旦那も胡蝶たちも、すぐに紅家の周りの噂や邵可が挨拶に来た時の言葉を思い出す。

秀麗の母、つまり、邵可の妻は亡くなっている。

それは、の娘も亡くなっているということである。

また、家にあったさまざまな物が家人たちによって持ち出されてしまったのは、割と有名な話だ。

その中には、おそらくの仕事道具も入っていたのだろうと予想がつく。

何せ、以前に見たの仕事道具は、華美ではないが、見る人が見ればかなりの値打ちものだと分かるからだ。

そこまで思い至った胡蝶は、大旦那に目配せする。

大旦那もそのことに思い至っていたのか、頷くと、に向かってそれとなく言った。

「ところで、師。今はどんな物を作っていらっしゃるので?」

「恥ずかしながら、今は生活で手いっぱいで、作品は作ってはいないんですよ」

「それは随分ともったいないねぇ」

「ええ、私どもは師の作品が好きなので、新作を楽しみにしていたのですが...おお、そうだ!師、よろしければうちで働いていただけないでしょうか?」

「ああ、そりゃあいい考えだね」

「え?孫もご迷惑をかけているのに、私までご迷惑になるわけにはいきませんよ」

「迷惑だなんてとんでもない!」

の言葉を勢い良く否定した大旦那に、聞いていた者たちも強く頷いている。

「しかし...」

師、あたしが一人前になったら、その姿を描いてくれるって約束しただろう?それを叶えるためにも、了承してもらえると嬉しいんだけどね」

「それくらいなら、別にお金を頂かなくても...」

「いえね、師。実は妓女たちの絵姿が欲しいというお客さんは結構いるんですよ。ただね、たいていの絵師は胡蝶たちに会うと尻込みしたり、逆上せ上ってしまいましてね。お客様のご要望を叶えられずに困っていたんですよ。その点、師なら安心して任せられます」

「そう...何ですか?」

描ける絵師がいなくて困っているということで、少し心を動かされたに、すかさず胡蝶が言う。

「絵を描く時間は夜になるからね。来てもらうのは亥刻(午後10時)になっちまうから、なおさら人が見つからなくてねぇ」

「生活で手いっぱいと言うことでしたら、どのような物か言っていただければこちらで用意いたしますので、なんとかお願いできませんでしょうか」

ここまで言われて言いくるめて断ることが出来るほど、も人が良くないため、丁寧に頭を下げて仕事をもらうことにした。






さすがに、給与として提示された金額は高すぎて、丁寧に丁寧にお願いして、30分の1に下げてもらった。

自分の描いた絵が、最初に提示された給与の10倍で取引されているのは知っていた。

だが、その金額を受けとるということは最初から頭にない。

家族にそのことを話しても、多少驚かれたが、生活していくには充分な金額だと頷いていた。

それどころか、好意で仕事をもらったのに、30分の1の給与でもかなり多いのではないかと、困惑顔で一緒に顔を見合わせた。

後にそれを知った胡蝶たちが、欲のない家族だと呆れることとなる。











ありがとうございました!


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