彩雲国物語 第10話
ドゴォオン...
が殴りつけると、骨をきしませながら地面に横たわった獲物は、ほとんど痛みを感じる間もなく息絶えている。
それ以外にも、の後ろには3体の大きな獲物が足を結わえられ、木の棒に結び付けられている。
そのほかにも、腰に下げた籠には様々な薬草が麻袋に包まれ、あふれんばかりだ。
「やれやれ、まさか最後の最後で熊が出てくるとは」
龍山の奥深くへと入り込んだは、薬草だけではなく、猪や兎などの獲物を狩っていた。
普段は山のふもとで充分な量が取れる薬草も、今は根っ子すら見当たらなくなってしまっている。
王が病に倒れ、王位争いが勃発してからふた月近く経っている。
働いても働いても食べ物を口にすることができず、水を確保することもやっと、がとった獲物も炊き出しをして配れば半日でなくなってしまうだろう。
「このまま事態を傍観してるようなら、龍山から動物がいなくなりそうですね...あの3人をせっついてやりましょうか」
が背負っているような大きな猪や、足元に横たわる熊は、間違いなくにしか倒せないだろうということは頭か抜けている。
食べなくても動けるとは違い、家族は日に日にやせ衰えていく。
そのままでは不審に思われるだろうと、もいつもより体を細くしている。
細くしすぎて心配されたり、動けないと止められない程度にだが。
そして、動ける体力があり、実際に獲物をとってこれるが龍山へと毎日のように、いや、実際に毎日龍山へと足を踏み入れている。
とってきた獲物は、の口に入ることなく、家族の食事と炊き出しに使われる。
だが、自分の分の食料を家族に回しても足りないのだ。
そんな状況では、三師と呼ばれる友人たちが動かないことに理由があると分かっていても、せっつきたくなってくる。
がわずかに疲れと焦燥の混じったため息をついた時、やっと声をかける気になった相手へと言葉を放った。
「...どなたですか?」
が顔を向けるでもなくそう言うと、音をたてた人物は、多少どうしようか迷ったらしいが、ゆっくりと草をかき分けて姿を現した。
派手な衣装に身を包み、頭に羽を飾っている少年は、まじまじとを見ている。
「こんにちは。道にでも迷いましたか?」
「いや、迷ってはいない。木々の間から木に縛り付けられた猪が漂うのを見つけてそのまま追ってきたが、道は覚えている」
「ん?ああ、確かにこれだけの大きさの猪がくくりつけられていると、後ろからでは私の姿は見えませんね」
なるほどとうなずくに、少年も頷いた。
「羆を倒した一撃も実に見事だった」
「ありがとうございます。でも、これ位なら急所を知っていれば何とかなるものですよ」
「なるほど。確かに急所だ」
の足元に転がる熊に目をやった少年は、頷きながら言った。
そんな少年を見ながら、はふと気づいて言った。
「そう言えば、まだ名乗っていませんでしたね。今更ですが、はじめまして。 と言います」
「藍 龍蓮だ」
「おや、藍さん宅の末っ子さんの龍蓮くんですか?」
「藍さんか...藍家よりも風流な呼び方だ」
「ええ、藍家というよりも言い方が可愛いでしょう。紅家は外縁なのであまり姓は使って呼んでいないんですけれど、黄家は黄さん、茶家は茶さん、白家は白さん、黒家は黒さんです」
「実に風流だ」
「そうでしょう?それなのに、当主の人たちはこの呼び方をすると微妙な顔するんですよ。あ、当主と言っても、もう20年近く前の話ですからね」
「20年?では、今の当主の愚兄たちのことは知らないか?」
「いえ、知ってますよ。とは言っても上の3人だけですけれど。3人とも会った時は、今の龍蓮くんより小さくて、お家を尋ねるとよく旅の話をせがまれたものです。龍蓮くんはお家に帰った時、3人に話をせがまれませんか?」
「いや。笛の音でそれを伝えようとすると、やめろと言うな。まったく、風流を解さない愚兄たちだ」
「おや、笛を吹くんですか?」
「ああ...今思い浮かんだ曲を聞かせよう。『空飛ぶ猪の調』だ」
「それは、楽しみですねぇ」
この曲を聴いていれば、ほぼ10人中10人がゲッソリとしたり、目を回したりしただろうが、残念ながらの耳も頭の中も非常に丈夫なため、ちょっと変わった曲くらいにしか感じない。
そんなことを半刻ほど続けると、は少年と別れて山を下りて行った。
別れ際に少年がを『我が魂の片割れ』と呼んだことを少年の兄たちが知ったら、どんな反応をするかは、またの機会としよう。
ありがとうございました!
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