「これはこれは、国王陛下。ご無事で何よりでございました」

「おお、お前も息災で何よりだ」

ダール卿は年齢40半ばで、ウォルほどではないが、堂々とした立派な体格だった。

大喜びの様子でウォルにいろいろと話しかけ、今までの苦労を思いやり、涙ぐんだが、やはり子供たちに対して奇異の眼を向けた。

今の少女は髪を隠してはいない。

城に入った途端に自分できれを解いたのだ。

そうすることが礼儀のような気がしたらしい。

したがってきちんと結い上げられた髪と銀の宝冠があらわになっている。

抜群の美貌と濃い黄金色の髪、額に輝く緑の宝石、少年のような手足を剥き出しにした衣服、まして腰に下げた大剣が、誰の眼にもちぐはぐに映るに違いない。

そしてその隣にいるは、明らかに中央地域に見られない顔立ちと衣服、花の形をした黒曜石の首飾り、そして腰に下げたやけに細い剣からは、誰が見ても身分も出身も分からないだろう。

卿は首を傾げて男に問いかけた。

「陛下。この子供らは...」

「グリンダとだ。俺の連れだ」

ひと言で説明されて、卿は戸惑い顔になった。

流浪の国王と、かぼそい少女、異国の少年との取り合わせがしっくりこなかったのだろう。

しかし、それはとりあえず後回しにして、3人を晩餐の席へと案内した。

味をつけて冷たく仕上げた鳥の肝、魚の甘露煮など、そこに並んでいたのは都会でしか望めない贅沢な珍味ばかりだったが、少女にはあまり口に合わないようだった。

狩りたての肉を火であぶっただけの食物のほうが食欲をそそられるようである。

一方は、どこで覚えたのか分からないが、そこにいる誰よりも完璧なテーブルマナーで料理を口へと運んでいる。

もっとも表情には出していないが、内心ではもっと(なめ)らかにすればいいのにとか、塩が多すぎるなどと注文をつけていたが。

そして少女は食後に砂糖菓子が出てくると、大きく顔をしかめ、手を触れようともしなかった。

「食べないのか?」

「これを?こんな歯の溶けるようなものを?」

「さすがに急に溶けたりはしないと思いますけど」

不思議に思って男が問いかけると、少女が真剣に返し、が虫歯のことを言っているのかと首を傾げながら言う。

「お前のような年頃の娘はみな、甘味を好むものだと思っていたが...」

「普通の女の子ならね」

「でも、大抵は子供も甘いものは好きですよ」

「それも普通の子供だったらでしょ」

よほど人間のと言いたかったのだろうと、男は思った。

しかし、1歩城の中に入ってみると、ここでは身分の上下にやかましい封建の掟がずっしり根を張っており、それ以上に常識の硬い壁が異質なものはたちまちはじき出すと敏感に察したに違いない。

恐ろしく奔放な少女だが、出来るだけおとなしくしようと心がけているつもりではあるようだ。

も、今までの旅の中では楽しそうにいろいろと質問をしていたのに、城に入ってからは必要以上に喋らず、表情も張りつけたようにぴくりとも動かない。

こちらも、おとなしくというか、出来るだけ周りからの介入を避けるようにしているらしい。

となれば、ふたりの居心地を良くするも悪くするも、それはウォル次第である。

男は自分の席で食事をとっているダール卿に、さりげなく話しかけた。

「ダール、首都奪回のための手立てはどうなっている?俺は今夜のうちにもコーラルへ向かいたいのだが...」

卿は慌てて手を振った。

「いや、陛下。それはなりません。うかつにそのようなことをなさっては、それこそペールゼン侯爵の思うつぼでございますぞ。ご案じめされずとも私の部下たちは、ご命令があり次第、いつなりとコーラルへ出撃する構えでおります。しかし、あなた様の身の上、そしてあなた様がこうしてご健在であるということはいざというときまで隠し通しておかねばなりません。ペールゼン侯爵は、あなた様はすでにこの世の人ではないと判断し、ティレドン騎士団長に王冠をかぶるように強要しております」

「バルロにか。しかし、あの石頭がおとなしく王冠をかぶるかな?」

「ティレドン騎士団長は硬骨の人であると同時に、熱烈な愛国の士でもございます。そして侯爵はまさに騎士団長のその弱みをついているのです。すなわち,このまま国王不在の状況が長く続けば、我がデルフィニアが再建不可能なところまで追い込まれるやもしれぬと、そのためには確たる君主が必要だと暗に圧力をかけているのでございます。この脅しに対してはいかに騎士団長といえども抵抗は出来ますまい。いずれは王位を継ぐことを了承させられてしまうでしょう。そのときこそあなた様が立つべきです」

「確かにお前の言う通りだ。では、そのときまで面倒をかけるが...」

「無論のことです。陛下にご不自由は一切させません。どうぞおくつろぎあそばしませ」

「ありがたい。もうひとつ頼みがあるのだが...」

「なんなりと」

「その2人にも俺と同じ庇護を与えてもらいたい」

「は。それは構いませぬが、しかし、この子供らはいったい...?」

「2度までも危ないところを救ってもらった恩人だ。俺の寝所の近くに部屋を作ってやってくれ」

「は、すぐさま用意を...」

ウォルとダール卿とは部屋の支度が整うまで、今現在のコーラルの様子やペールゼン侯爵の勢力などを話しあっていた。

子供たちはその間、口をはさまず、じっと2人の会話に耳を傾けていた。

ダール卿はこの2人の存在をあまり気に止めていないようである。

やがて部屋の支度が整い、3人はそれぞれ召使に案内されて、幅の広い階段をあがっていった。

緋色の絨毯が敷き詰めてある階段は、人が昇り下りしても音がしない。

天井からは、まばゆいほどに蝋燭を灯した華麗な大燭台がいくつも吊るされている。

階段をのぼりつめると、そこは部屋の最上階だった。

目の前にまっすぐな広い廊下が現れ、その突き当りには窓があり、丸みを帯びたその形から、先ほど外から見た張り出し部分と分かる。

この最上階はもともと見張り台を兼ねた司令塔であるはずだが、今は高貴な客人を泊めるための一角に改造されてしまっているようである。

床にはずっしりと厚みのある絨毯が敷かれ、壁にも天井にも先ほどの居間にも負けぬ豪華な装飾がふんだんに施してある。

召使いは長い廊下をほとんど渡りきって、突き当たり右手の部屋の扉を開き、ウォルを招き入れた。

子供たちが続いて入ろうとすると「あなたたちはこちらです」と言って廊下を挟んだ反対側のふた部屋を指し示した。

肩をすくめて2人は言われたとおりにする。

そしてウォルも部屋に入り、召使いに下がるように言っているころ、は部屋の中を見て皮肉気な笑みを浮かべ、ぐるりと周りを見渡す。

そして、しばらくしてウォルの部屋から召使いが出ていき、この階から下りていった気配を壁越しに感じ、隣の部屋にいたリィとほぼ同じタイミングでドアを開ける。

廊下に出た2人は、そっちもかと言うような顔でお互いを見ると、肩をすくめ、軽くウォルの部屋の扉を叩く。









  第9話  黒い流れ









「構わん。入って来い」

そっと顔を覗かせた少女の後にが部屋に入っていくと、男は入り口から見て正面にあるくりぬいた窓の前にいた。

男も2人同様に、寝巻きに着替えず、腰の剣もそのままだった。

少女は周りを見回しながら男に近づき、大きな寝台にちょこんと腰を下ろす。

は男の横から窓の外に眼をやる。

真下には中庭のような感じの1段低い屋上があった。

外から見たときはわずかに段差に見えたが、こうしてみるとかなりの高さである。

そして、ここからは見えないが左手にはテバ河のゆったりした流れがあるはずだ。

「どうした。眠れないのか?」

「そういうわけじゃないけど...」

「私もどこでも眠れますから、眠れないわけではないのですけど...」

2人とも首を傾げて男を見やる様子は、小さな動物のようで可愛らしかった。

「これが君の言うまともな寝床?」

「まあな」

「僕には全然まともじゃないな。こんなところで寝たら背骨がどうにかなるぞ、絶対」

「ええ、限度がないと言うか...リィの言う通り、柔らかさとか、装飾とか、まともな寝台には見えませんよ」

真面目くさって言う様子に男は思わず苦笑する。

「まあ、柔らかすぎて、豪華すぎるのは確かだな。スーシャの父の城の寝台はもっと固くて、簡素で、寝心地がいい」

「ウォル」

「何だ?」

「本当にここでしばらく過ごすの?」

「さてな」

「あのダール卿って人、信用できるの?」

「悪いですけど、私は信用できないと考えてますよ」

面と向かって言われて男はまた苦笑した。

「俺もそれを考えていたところだ。大きな声では言えんがな」

男も腰に剣を帯びたまま、少女と並んで寝台に腰を下ろし、はその前にいすを引き寄せた座った。

「ダール卿は確かにウィンザの領主だが、そしてウィンザは西デルフィニアでは広大な領地だが、今や事実上の権力者のペールゼンに向かって反抗できるほどの気概を持っていたとは、意外だった」

「人ごとみたいに言ってないでちゃんと考えなってば。このお城、なんだかおかしいよ。そう思わない?」

「ええ。ある意味、わざとらしいほど」

「ああ、俺もそこが気になる」

主人であるダール卿の態度はもちろんのこと、彼ら3人を迎えに来た騎士の態度といい、この城の召使いの態度といい、表向きはにこやかにしているものの、圧制に憤慨しながらも服従しなければならなかった屈辱のさなかに真実の王を迎えたと言う歓喜がさっぱり伝わってこないのだ。

もし、彼らが本当にペールゼン侯爵の所業に怒りを覚え、自国に正当な王を迎えようと言う悲願を持っていたのなら、ウォルに対してもっと爆発的な喜びを示してもよさそうなものである。

「だいたいだ。1度行く手を遮られたよね?あっさり引き下がったら今度は殺し屋の大群が出た。これを退治したら即座にこの城のお迎えが来た」

「ええ、まるで私たちの行動を見ていたかのようにぴったりと。そして、兵士たちは私たちがあなたと一緒にいたことを知っていたかのように、何の疑問も出さずに案内しましたよね」

「ちょっとおかしくない?」

「おかしい。誰が考えてもおかしいぞ」

「「あの(です)ねえ...」」

2人はうんざりと額を押さえて見せた。

「あなた本当に自分の状況分かってるんですか?」

「分かっているさ」

「分かってるなら、どうしてのこのこついて来たりしたのさ」

「ダールが何か企んでいるなら、それがなんなのか確かめたかったのでな。しかし、この様子では俺に味方するつもりはないとしても、ペールゼンに与している訳でもなさそうだ」

「ウォル、その言い方は...」

「がっかりしてるみたいに聞こえるけど?」

「...ここでの状況で、ペールゼンの行動を掴もうと思ったんですか?」

男の苦笑は感嘆の表情に近くなった。

何気なくずばりと核心を突いてくる2人のまっすぐに見つめる瞳を見ていると、男は何となく妙な気分になってくる。

と言っても色めいたものではなく、もちろん恐怖でもない。

ただ、何と言うか...この子供たちの言葉を全面的に信じているわけではないのだが、人と向き合っている感じがしないのだ。

「不思議な子供だ、お前たちは。俺の考えていることが分かるのか?」

「まさか。僕はダール卿が敵だったほうがよかったのかなって思っただけだよ」

「私も(念や魔法を使わなければ)心の中は分かりませんよ。ペールゼンと関係していた場合、私だったら今の状況でどう考えるかを口にしただけです」

「...俺が真の王権を回復するためには...ペールゼンが罪人であると立証しなければならない。しかし、今までのあやつの言い分がでたらめだと立証することは難しい。口を極めて反論したところで水掛け論になるだろう」

「だろうね」

「悪くすれば、ますますウォルの立場が悪化します」

「となれば、あやつの悪巧みを証明するしかないからな。王族の資格も持たずに権力にしがみつき、私利私欲から支配者面して自分たちの頭上に君臨したがるものを快く許すほど民衆は寛容ではない。もし、ダールがペールゼンと共謀しているなら、何か掴めるのではないかと思ってわざわざついてきたのだが...」

「共謀でないようで」

「当て外れだった?」

「ああ、皆が寝静まったら、ここから出て行ったほうがいいだろうな。何の目的があって俺を歓迎して見せたのかは知らないが、まあ、ろくな理由ではあるまい」

少女はしばらく難しい顔をして、何か考えていた。

も何かを考えていたが、リィが先に話し出した。

「ねえ、ウォル」

「うん?」

「君の従弟は、君が生きている限り絶対、王様にはならないだろうって言ったよね?」

「ああ」

「そしてペールゼンって人は、とりあえずどうしてもバルロさんを王様にしたいんだよね?」

「とりあえず、な。何しろ他に成人した王族はいない。バルロの母上、ドゥルーワ王の妹アエラ姫は別だが...あの方を王にというのでは国民が承知すまい」

「つまり、ペールゼン侯爵はどうしても君に死んでもらいたいわけだ」

「そう言ったではないか。実際この半年の間、俺は何度も襲撃されたのだぞ」

男は呆れて返したが、少女は固い表情を崩さない。

はいつの間にか考えるのをやめ、少女の話に耳を傾けている。

「ちょっと考えてごらんよ。ウォル。だったら、ただの暗殺じゃまずいよ。逆効果だ」

「...確かに、次の国王候補がウォルの従弟なら『ただの』暗殺だったらまずいですよねぇ」

「何?」

「だってバルロさんはペールゼンと仲が悪いんでしょ?それにバルロさんは君と仲がよくて君の王権を認めてる。ということはペールゼン侯爵が、だよ?君を暗殺して何食わぬ顔で、放浪中のウォル王の死亡が確認されましたので王位を継いでくださいなんて言ったら...」

男は、はっとし、は感心したように少女を見る。

「バルロさんはどうする?それはお気の毒なことでって言って、あっさり王様になる?」

「その方がウォルの言っていたような性格なら、死んだと言うことを疑うか、暗殺だと気づいてペールゼンに詰め寄るか...でしょうか?」

「確かに...な」

「でしょう?」

「あの熱血漢のことだ。俺の死体をその目で見るまでは決して信用しないだろう。いや、見たとしても...」

「体中に斬られた傷なんか残ってたら、まずいよねえ」

「まして、証拠隠滅のために顔が分からないくらい切り刻まれてたり、その場に首から上がなかったりしたら...」

「草の根分けても犯人を捜しだし、火あぶりにしてくれる。ぐらいのことは言うだろうな」

「ペールゼンにはとことんありがたくない状況だよね」

男はちょっと苦笑した。

「意外なところに俺の命の安全があったものだ」

「どうだかね。何度も襲われたってことは、ひょっとしたら気づいてないのかもしれない。少なくとも今まではね」

「リィ...」

(もしくは、ウォルのことを心配していた従弟が、ほのめかせてそのことを気づかせたという可能性もありますね。もっとも、私たちでさえウォルが話していた人物像で分かるようなことに、今まで気づかない相手を間抜けと考えるべきでしょうか?)

男は真顔になって少女を見た。

「何が言いたい...?」

「考えてみたんだよ」

「暗殺以外で新しい王にする方法をですか?」

「そんな感じかな。もし僕がペールゼンだったら...何とかして新しい王様を立てようと思ったら...ただ君を殺すだけじゃだめだ。コーラルには君を慕っている人も大勢いるんだから、下手なことをしたら、自分の身が危うくなる」

「ではどうする」

「君の評判を落とせばいい」

「「......」」

「君が自分で言ったじゃないか。悪人だって証明すればいい。同じことがペールゼンにも言える。ペールゼンの場合は君が悪人だとでっちあげればいいんだから、もっと簡単だ」

「......」

「ウォルを追い出したときのようにですね」

「そう。もう充分やったつもりだった。そして1度はうまく君をコーラルから追い出した。でも王家乗っ取りを企んだと言いふらしたくらいじゃ足らなかったんだ。コーラルの人たちは王家の資格も持たない侯爵に支配されるのがいやになってきてるし、改革派の自分勝手な言い分にも嫌気がさしてきている。一時の興奮状態が収まって頭が冷えてくれば当然だよ。そしてペールゼンにとって、その状況がありがたくないことはもちろんだ」

「「......」」

「それならウォル・グリークって王様は、王冠を持つには値しない、どうしようもない最低の人間だって証明すればいい。バルロさんでも諦めるしかないくらいね」

「例えば?」

男は思わず声を低め、精悍な顔に緊張感さえ漂わせながら訊いた。

「ウォルじゃなかったら、横領とか、斡旋とか、裏取引とか、何もしてない人を殺したとかでてくるんでしょうけど...」

次々と例を言いながらも、の表情は少女と同様に真剣で、わずかにためらいが見られる。

「この場合は違うと言うか...」

「うん。例えば...いやな言い方だけど、それにどの位の罪になるのかも分からないけど、多分、1番可能性があるのも効果的なのもこれだと思うんだ」

「そうですね。人間的な問題ですし」

、リィ」

男は言ってくれと、言外に意味を込める。

2人は軽く肩をすくめた。

「向こうの僕の部屋、寝台が置いてないんだ」

「私のところもです」

「なんだと?」

「いくつか家具は置いてあるけど、ただの居間に見える」

「同じく、とても寝室には見えませんでしたね」

「もちろん僕はそれでも構わない。こんな寝台で寝るより床で寝たほうがかなり快適だ。でもね。君があれほど僕たちにも同じ庇護をと言ったのに、主人のダール卿も客人として扱うって断言したのに、変じゃないか」

「ですが、普通はそのまま床で寝るなんて思わないでしょう。この場合は、誰でも私たちがあなたの部屋に来てそのことを伝えると思うはずです」

「で、こっちの部屋を覗いてみたら、こんな立派な寝台が置いてある。となればね、君と僕たちを一緒に寝かせたかったんだとしか思えない」

「もしくは、どうしてもこの部屋に3人とも集めたかったかですね」

、リィ、いったい...」

「話を戻すよ。君の評判を地に落とす方法。こんなことは言いたくないけど仮の話だ。例えば...例えばだよ。君が本当は年端もいかない女の子と男の子を...僕とのことだけど...無理やり寝台に引きずり込んで悪戯をするのを楽しむような歪んだ性癖の持ち主だった...なんていうのはどう?あげくにその最中に死んだとなったら?」

「しかもダール卿が私たちにそれぞれ寝室を用意したといったのは、あそこにいた召使いの人たちがしっかり聞いています。そうなれば、私たちがここにいたのは私たちの意思か、あなたが連れ込んだと思われますよね」

男は息を呑んだ。

「幼女趣味...男の子はなんていうのか知らないけど...に関しては、権力者のすることだから、罪にはならないかもしれない。でも誉められたことじゃないよね。皆に尊敬されるのが王様の務めで最低限の義務だとすればね。君の名誉も評判も木端微塵だ。たとえでっちあげであったとしても、君と僕たちの死体がこんなところで折り重なって出てきたら誰だってそう思うはずだよ」

「そして、ここで死体になったと言うことは、その死体には...表向きは、ペールゼンの手が加わっていないと言う証拠にもなります」

「何なら無理心中に仕立てたっていい。王室始まって以来の醜聞になることは間違いない。おまけにここならバルロさんを引っ張ってきて自分の眼で確認させるには絶好の場所じゃないか。デルフィニアの領内、でもコーラルには近くない」

「その距離なら、死んだ後でも、でっちあげるためにこじつける証拠をそろえるのに充分な時間が稼げます」

「そして男のこと女の子と国王の無理心中なんてことはまさか公には出来ない。国王の名誉を汚さないためにも、デルフィニアの評判を落とさないためにも、ウォル王は旅の途中で事故死したことにするしかない。証人には騎士バルロと言う、これ以上はない人がいる」

「例え、バルロさんがあなたがそんなことをするはずがないと思っていたとしても、無実だと言う証拠は何もありません」

「君の不名誉をかばうためならバルロさんだってそのくらいの口裏を合わせるだろうし、後はもう諦めて自分が王冠をかぶるしかない」

2人が言葉を切っても、男は唖然としたまま、反応することも出来なかった。

そんな馬鹿なことがあるはずがない。

いくらペールゼンにとって自分が目の上の瘤だとしても、そこまで悪辣な手段を用いるわけがない。

驚愕しながらも男はろくに回らない舌でそう言い返そうとした。

しかし、2人は厳かに首を振ってみせたのだ。

「権力欲に取り付かれた人間に常識なんか通用しないよ。どんな気違い沙汰だろうと平気でやってのけるよ。友達がよくそう言ってたよ」

「特に権力の最高位にいる人間にとっては、自分が法律であり、自分の行動すべてが正しいと勘違いしている人間が腐り落ちるほどいますからね。どんな悪辣な手だろうと平気でやってのけ、悪辣なことを思いつけない善良な人たちを嘲笑うのが大好きな人種が...です」

2人ともゆっくりと落ち着いた声で、現実を確認するようにやんわりと促している。

、リィ。いったい...お前たちの頭の中は、いったい、どうなっている?」

その声はわずかに震えていたかもしれない。

相手の考えていることが分からない。

この事実は人を混乱させるだけでなく、時には恐怖さえ感じさせることがある。

今の男がまさにそうだった。

「とにかく向こうの部屋を覗いてみて。お客を泊めるのにふさわしい部屋なのかどうか。僕には分からないんだ」

「ここでの価値観が私たちと異なると言う可能性も、少しだけありますから」

男は怖いような顔で2人を凝視していたが、立ち上がって扉へ向かった。

しかし、把手に手をかけた男の口からは盛大な罵声だ上がったのである。

「閉じこめられたぞ!」

子供たちも盛大な舌打ちを漏らした。

駆け寄って扉を調べる。

どうやら外の把手の間に掛け金を通したらしい。

「こういうことだけ行動の早い...」

「予感的中だ」

「しかし、一晩俺たちを閉じ込めたからとて...醜聞の証拠にはなるまい」

男は瞬時にいつもの自分を取り戻していた。

はからずも子供たちの言うことが正しかったと、これほど早く証明されたのである。

例えそれが、13、14の子供には絶対に言えないものであったとしても、考え付かないことであるとしても、これはその際後回しだ。

「ええ、閉じ込めたのはあくまで手段であって、醜聞を作ることが目的だと言うなら、これだけではないと思います」

「だよね。それこそ何考えて...」

言いかけた少女が顔色を変えた。

「どいて!」

叫ぶと同時に剣を引き抜き、扉の合わせ目に斬りつけたのである。

なまくらな刃物ならばへし折れるところだが、少女の剣は鉄の錠前を真っ二つに両断してしまった。

すかさずがその扉を蹴り開ける。

1歩外へ出て、3人はすぐに異様な匂いに気がついた。

「火事だ!」

「げっ!この城、燃えるものだらけですよ!」

「ええい!走るぞ!!」

長い廊下を3人はたちまち駆け抜けたが、それより早く、なめるようにして火が階段をのぼってきたのである。

異常なくらい火の回りが速い。

子供たちが怒声をあげた。

「こんなになるまで気づかなかったとは!」

「っ!気が緩みすぎてましたね」

自分を責めるような叫びだった。

「油をまいたな。おのれ、ダール!」

男も憤怒の叫びを上げる。

その間にも火は階段をのぼりきり、廊下を渡って来始めた。

3人はどうしても元いた場所へと追いやられたのである。

廊下を駆け戻った男はテバ河に面している突き当りの窓に飛びついた。

しかし、下を見て呪いの声を上げた。

確かにすぐ目の前に川があり、この暗がりでも分かる。

しかし、真下はさっき見た部屋と同じ、1段低い屋上になっているのだ。

これでは助走をつけて飛んだところで河には届かない。

下の屋上に激突するのが関の山だ。

ウォルも武芸の達人で、階段の上から飛び降りるくらいのことならわけもなくやってのけるが、この城の1階層は実に民家の3階層に相当する。

飛び降りたりしたらただではすまない。

出窓に追い詰められた3人は懸命に脱出口を捜したが、ここは城の最上階だ。

階段はさっきあがってきた1か所しかなく、そこはもうすごい煙でとても近づけない。

「ダールめ、俺たちをここで蒸し焼きにするつもりか!」

「その上でお前が乱心して俺たちを道連れに心中したとでも言いふらすつもりだろうよ。外道が!」

「ほんっとに(たち)の悪い、4流俗物ですね!」

寝台の敷き布を裂いて縄を作ることも考えたが、とてもそんな時間のかかる悠長な作業はしていられない。

第一、炎の熱気がすぐそこまで来ているのだ。

男は窓から身を乗り出し、絶望的な面持ちで叫んだのである。

「この忌々しい石造り大地さえなければ水の中に逃げ込めるものを!」

その横で少女が咳き込みながら同じように身を乗り出し、下を見て、そして背後を見た。

「やるしかなさそうだな。ウォル、!」

倍も重さのありそうな男と傍らの少年を見上げて少女は言ったのである。

「俺が先に飛び下りる。受け止めてやるからお前ら、俺をめがけて飛び下りろ」

「それなら私がウォルを抱えながら自分で飛び下ります。リィは先に1人で...」

「な...馬鹿を言うな!この高さだぞ!?」

室内に設けられている階段の上下とはわけが違う。

どんな武芸の達人でも軽業師でも、こんなところから飛び下りたりしたら、絶対に無傷ではすまないはずだ。

「こんな高さぐらい俺にはなんともない。だけどさすがに俺はお前を抱えて飛び下りることは出来ないけど。は出来るんだよな?」

「ええ、高さにしても、ウォル程度の体重にしても大したことはありません。あまり他の世界のことを持ち込むのも、と思ってましたけど、そんなこと言っている場合ではないですから」

少女の口調がさっきまでとがらりと変わり、の雰囲気もすっと静かに切り替わる。

剣を抜いたときと言うより、感情が激したときにこうなるようだった。

男を見つめる眼の輝きまで違い、その眼に浮かんでいるのは、間違いなく、戦士の眼光だった。

男は呆気にとられて、窓下と、華奢な子供たちの姿を見比べた。

「この高さを...?」

「俺なら飛べる」

「私もです。ウォルくらいの体重でも余裕で抱えられます」

「しかし!」

少女が舌打ちしたとき、がさっと男に手を伸ばし、ひょいっと肩に担ぎ上げる。

担ぎ上げたは少しその声に呆れを含ませて言った。

「言い合いをしているだけ時間の無駄ですよ」

「違いない」

「......」

男の足は完全に宙に浮いている。

なのにはまるで力を込めているように見えず、軽い荷物を持ち上げたくらいの容易さなのだ。

そしてこのことを、少女が当たり前のように受け入れている。

まるで自分でもそれが出来るとでも言うかのように。

馬の前を走る子供たちを見たときの感覚が男を襲った。

全身がぞっと冷たいものに抱きすくめられたような、1度に血が凍りついたような、そんな感覚だった。

恐怖であるとは絶対に認めたくなかったが、何か得体の知れない異質なものと接している実感がひたひたと迫ってくる。

「何て顔してる?」

担ぎ上げているからは見えなかったが、少女からは男の顔がはっきりと見て取れた。

男を下ろし、その顔を見ると、は肩をすくめた。

「俺はこんなところで死ぬのはごめんだ。お前もそのはずだ。俺たちの詮索は後回しにして生き延びることを考えろ」

「後でなら、いくらでもあなたの疑問に包み隠さず答えてあげますよ」

愛らしい少女と少年の声なのに、その口調には大の男も怯むほどの気迫がこもっている。

猛火に赤々と照らし出される少女の顔と、壁に映し出されるの黒々とした影を、男は息を呑んで見つめていた。

「お前たちはいったい...勝利の守護神か?それとも魔性のものなのか?」

「「あとだ(です)」」

呆気にとられている男を残し少女はひらりと窓から身を躍らせた。

「リィ!」

青くなって男は身を乗り出したが、そのときには少女は真下の屋上に綺麗に着地していた。

「早く!」

「リィ、少し離れてください!ウォル、地面につくまで足を縮めていてください」

そう言われてに抱え上げられても、男はとっさに動けなかった。

即死はしないかもしれないが、絶対に無傷ではすまない高さだ。

幼いころから山野を駆け、何度も木から落ちた経験のある男にはそれがよく分かっていた。

少女と少年の能力に対する疑惑や恐れよりも、この高さのほうがよほど問題だった。

「何してるんだ!焼き鳥になりたいのか!」

「今行きます!私とあなたでは身長差がかなりあるんですから、ウォル足を縮めておかないと骨折しますよ。あなたちょっと育ちすぎです」

こんな場合だったが、男は思わず苦笑する。

窓の下にいる少女からは川はもう目の前で、やろうと思えば一人で逃げられるはずなのに、男を抱えている少年もわざわざ荷物を抱えて逃げるよりも、1人で逃げたほうがいいだろうに。

2人とも一緒でなければ絶対に動かない構えでいるのだ。

心は決まった。

男が足を縮めの体にぴたりとくっつけると、は窓枠に足をかけた。

男が天を仰ぎ、祈りの言葉を呟き、深く息を吸い込んだのを確認して、は男を抱えたまま窓から身を躍らせた。

宙に放り出された時に特有の上下の消失、そのくせ何かに無理やり引きずられて内臓がずれるような強烈な不快感に男は思わず目を閉じた。

しかし、過去に何度かあったような衝撃と痛みはやってこなかった。

まだ足が地につかないうちに、ぐんと上へ引っ張られるような感じがして、どさりと腰から地面に落ちたのだ。

衝撃で体が多少痺れているが、せいぜい椅子から落ちたときほどの痛みだけだ。

どこにも激しい痛みはない。

驚きと共に頭を振りながら体を起こすと、確かに1階層したの屋上にいて、少女が駆け寄ってくるところだった。

男の横ではが腹を押さえながらゆっくりと起き上がっているところだった。

?」

!」

「いたた...ウォル、あなたの膝がみぞおちに綺麗に入ったんですけど」

わずかにぐったりとしているに、男が慌ててに触れ、骨や体に異常はないか確かめる。

火の手はすでに窓に達していて、間一髪だった。

この中二階の屋上にも火の粉が舞い落ちてきていて、ぐずぐず出来ない。

は深く息を吐いて、立ち上がると、男も立ち上がる。

そして少女と眼を合わせると、3人はまっすぐ屋上の縁まで駆け寄る。

テバ河の黒い流れがあるのを確認すると、3人はためらわずに身を躍らせた。









あとがき

デルフィニア戦記第9話終了です。
ちょっとリィの役どころを夢主人公に変わってもらいました。

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