一風変わった3人の戦士が一息入れたとき、足元には14の死体が転がっていた。
さすがに少女も男も息を荒くしているが...にいたっては息どころか服さえ乱れていないが...3人とも全くの無傷だったし、かなりの余力を残していた。
軽く息を整えながら少女が言う。
「強いね」
「誰のことだ?」
少女の本心からの賞賛の言葉だったが、男は呆れたように少女を見やり、お前はどうなのだとでもいいたげに少女に返した。
「2人とも強いですよ」
「「に言われたくない(ぞ)」」
「え?」
2人に声をそろえて言われ、首を傾げるに、呆れたような眼が向けられる。
襲われるのを待ち構えていた男は、曲者が飛び出してくると同時に切り株から飛び離れ、眼にも留まらぬ早業で端から切り伏せた。
男が巌のように強く揺るぎないのなら、少女は変幻自在だった。
人間離れした脚力と跳躍力で曲者を翻弄し、軽々と斬って倒した。
それ以上に人間離れしていたのがだ。
あの小物入れから取り出した、見たことのない漆黒の薄い刀身の片刃の剣で、曲者の剣や鎧ごと真っ二つにした。
時間にしておよそ10分ほどのことである。
このときの3人は詳しい打ち合わせをしたわけでもないのに、お互いのすることを、しなければならないことがぴたりと呑みこめていた。
3人とも、他の2人が命のやり取りをするに足る抜群の力量を備えた戦士だと、互いに確かめることになったわけである。
特に男は、あの時見た少女の腕前が間違いのないものだったと改めて確認し、少年が剣の腕も抜群だということを知ったわけである。
「さて、王様。これからどうする?」
「それが問題だ。この分ではどんなの道にも兵を伏せてるか分からん」
「さすがに倒しながら行ったら、自分の居場所を宣言しながら歩くようなものですものね」
そろそろ日が暮れようとしている。
パラストは平野部分はほとんどだと男は言ったが、このあたりは違う。
丘も多いし、森もある、起伏のある土地だ。
それだけ通れる道筋は限られている。
「遠回りになるが、山を越えるしかあるまい。リィ、、お前たち、山歩きは得意か?」
「もちろん。何なら夜通し歩こうか。そのほうが人目につかなくていい」
「そのほうがいいかもしれませんね」
がそう賛同すると、少女が頭を探って白いきれを解いた。
「ふう...いつまでもこんなものかぶってると、さすがに暑い」
戦ったはずみでどこか具合が悪くなったらしい。
髪を結っている紐を解くと、見事な金髪がさあっと流れて太陽に輝いた。
そうしてると紛れもない少女である。
それどころか男のような衣服を着せておくのなど惜しいような姿だった。
腰まで流れる金髪と白い手足、深い緑の瞳と額についた銀環だけでも絵になるが、後は衣服を何とかして、金銀の縫い取りをした長衣か、風のような絹でも着せて、上品に髪を結うだけで、すばらしい美少女になるはずだった。
つい見とれた男だが、下手に誉め言葉を口にすると、またこの少女の機嫌が悪くなりそうなので、やめておいた。
しかしその男の思惑を理解していない者もいるわけで...
「リィは本当に見た目は美少女ですよねぇ」
「何だって?」
「...」
瞬時に少女の顔が不機嫌になり、男に呆れたように見られていることも気づかないかのように言葉を続ける。
「友人いわく、『太陽の髪』に負けないくらい、リィも太陽ですよねぇ」
しかも表現が分かりにくい。
そんなの言葉に、機嫌の悪かったリィも呆れたような顔でを見る。
「瞳が緑ですから、新緑と太陽の日差しでリィは春って感じですよね」
「「.........」」
同意を求められても困る内容だった。
返事がないことにが首を傾げると、リィが呆れたようにため息をつく。
「、この顔を誉められるのは好きじゃないって、僕言わなかった?」
「言いましたよ。でも、誉めないのはもったいないじゃないですか」
「どういう理屈なのさ」
心底呆れたようにため息をつく少女と共にに眼を向けていた男が、いつの間にかの腰に下げられているあの剣に気がついた。
「、その剣をつけたのか?」
「え?ああ、これですか。さすがにいちいちしまったものを出すのは、面倒だったもので。威嚇にもなりますし」
「その剣真っ黒だったけど、何で出来てるの?」
「黒曜石ですよ。もっとも刃の部分だけは鋼ですけど。便宜的に黒曜刀と呼んでます」
「トウ?普通は黒曜石の剣とか、黒曜の剣と呼ぶのではないか?」
「私のところでもあまり一般的な剣ではないんですが、ある島国にある『刀』という剣なんですよ。その刀という字は『トウ』とも読むんです」
「確かに見たことも聞いたこともない剣だが...あんなに切れ味がよくてその鞘は大丈夫なのか?」
「確かにあなた方の剣よりは切れ味がいいでしょうけど、刀身は薄いですし、鞘も鉄製ですから、鞘を切る前に刀が折れますよ」
「それって、おかしくない?は鎧ごと斬ってたじゃないか。今の説明なら、当たった途端、折れるんじゃない」
「そうですね。あなたたちが使う剣のように振り回せば、間違いなく折れますよ」
「使い方が違うってこと?」
「そうです」
そういうとは腰から刀を取り外し、リィに抜いてみてくださいと言った。
リィが言われた通り刀を抜くと、おや?という顔になった。
「どうした?」
「いや、剣自体は軽いし、持ちやすいんだけどさ。なんか違和感がある」
「何?」
「それはそうですよ。リィの使っている剣とは用途が違うんですから」
「用途が違うだって?」
「ええ。ウォルやリィが使っているのは、その重量を生かした『叩き斬るための剣』。刀はその切れ味と揮う速さで相手を『切断するための剣』なんですから」
「つまり、これを使うには揮う速さも必要だってこと?」
「そうなりますね」
一通り説明が終わったところで、が腰に刀をつけなおすと、切り伏せた死体もそのままに3人は歩き始めた。
第8話 国境の城
急いで山道に入ろうとしたのだが、そこへ3度目の邪魔が入ったのである。
先に気づいたのは例によって子供たちだった。
「馬の足音がする。2つ。すごい勢いでこっちへ来る」
「このままだと、すぐに見つかりますよ」
「また、目当ては俺か?」
「多分ね。どうする?」
「殺さずに済むならそれに越したことはないのだがな。やり過ごせないか」
とは言うものの辺りは立ち木がまばらに生えているだけの林で、身を隠せるようなものは何もない。
「馬から叩き落して木にくくりつけておくって言うのは?」
「できるか?」
「私は大丈夫です。ちょうどここ(小物入れ)にロープも入ってますし」
「向こうは2人だ。1人ずつ分けよう。ウォルは」
「注意を引きつけてもらえますか?ウォルが狙いでしょうし」
「よし」
しかし、駆けつけてきた馬2頭に彼らが襲い掛かる暇はなかった。
騎士たちは徐々に馬の足を緩め、男の姿を認めると同時に馬から下り、地面に片膝をついたのである。
「ご無事で何よりでございました。国王陛下」
「お前たちは?」
「は。ウィンザのダール卿に仕えるものでございます。つい先ほど、この付近にて陛下のお姿を見かけたものがいると知らせを受け、お出迎えに参じました」
「そうか、ダールは無事だったのか」
「はい。主は、陛下のご帰還で一日千秋の思いで待ちわびておりました。これですぐにでもコーラルへ向けて兵を起こすことが出来ます。さ、どうぞ」
子供たちはちらりと物問いたげな眼を男に向けたが、男はあっさりと騎士たちの言葉に従った。
「馬にはお前たちが乗れ。俺はこの風体だ。護衛戦士の振りをしていく」
「は、ですが...」
「ウィンザ城に辿り着く前に怪しまれては何にもならん。ここはまだパラストだ」
パラストが隣国のお家騒動をどう考えているかは分からないが、パラスト側が今現在権力を握っているペールゼン侯爵に恩を売るため、流浪の国王を捕まえて突き出そうと考えたとしても少しもおかしくない。
そんな物騒な可能性を考えているのかどうか、男は2人を振り向いて笑ってみせた。
「よかったな、2人とも。明日はまともな寝床で寝れるぞ」
「僕には野原のほうがまともな寝床だ」
「ああ、夜は星が綺麗ですからねぇ」
言いつつも2人は男に従った。
騎士2人は国王の風変わりな連れに対して動じる様子を見せず、元通りに騎乗して手綱を取った。
「先ほどペールゼン配下の者たちと鉢合わせたが、ウィンザは大丈夫か?」
「は。幸いにしてウィンザはコーラルから離れていることもありますし、ダール卿のお力はペールゼンに勝るとも劣りません。領内にある限り、ペールゼン侯爵が何を言ってきたとしても陛下の御身は絶対に安全でございます」
「それは頼もしいな」
5人になった一行はその夜は民家に宿を借り、翌日、2人の騎士の手配で巧みに道筋を避けながら、国境へ近づいていった。
思えばここはパラストの領地なのに、デルフィニアの騎士たちがこうして楽々と国境を越えて来られるのだから、出入国の審査も大したことはなさそうである。
その途中も2人は山の名前、今から赴こうとしている地域の名前、道筋の先にあるものなど、端から男に質問した。
特に2人が知りたがったのが、大華3国を分断しているというタウ山脈のことだ。
この進路だと左手にあるはずだと男は言うが、まだ遥かに距離があるため眼にすることは出来ない。
それでも全長はどのくらいになるのか想像もつかない巨大な山脈だという。
「じゃあ、その山は、いったいどこまでがパラストで、どこまでがデルフィニアなの?」
「やはり頂上に沿ってですか?」
「難しい質問だな。一応、稜線に沿って国境が引かれてはいる。しかし実際にはどこまでがタンガでどこまでがデルフィニアやら、さらにはどこからがパラストなのか、俺にも詳しいことは分からん。触らぬ神にたたりなしというやつでな」
「山賊でも出るの?」
「その通りだ。もともとタウは一部の峠を除けば難所続き。主要都市からも外れているし、狩猟を生業とする山岳民が住み着いているだけの僻地だったのだがな。いつの頃からか、それぞれの国の犯罪者や、何らかの事情で国にいられなくなった者たちがタウを目指して逃げ込むようになり、ひとつの勢力になっていった。今ではちょっと無法地帯だ」
「やはり人里から離れたところにそういう人たちが集まりやすいんですね」
「でも、それほっといていいの?」
「いかんのだろうが、これといって悪さをするわけでもないのでな。時には旅人から通行料を取ったりしているようだが、それも被害にあうのは裕福な商人や貴族に限られているし、退治しようにも地の利は向こうにあるし、噂では山奥にいくつもの村落があり、住民は皆、馬術や武術の訓練を怠らないというしな。下手に手を出すと却って面倒なことになるのは確かだ。どこの国も今のところ見て見ぬ振りをしている」
「確かに捕まえようとするのは、国の損になっても、利にはならないようですね」
やがて太陽が彼らの背中に沈もうとするころ、一行の前に広い河が現れた。
流れは緩やかで、水面は暗く沈み、相当の深さがあることを窺わせる。
これがテバ河だった。
「これが国境の河ですか」
「向こう岸はもうデルフィニア?」
「ああ、そしてあれがウィンザ城だ。パラストに対する西の抑えだな」
男が指差した城は川べりに建てられていた。
少なくともはじめはそう見えた。
距離もあるし、角度も悪いので、さすがの2人の眼にも、それ以上のことは分からなかったのである。
ところが2人の騎士の手配で小船に乗り込み、近づいていくと、その城は河岸も河岸、それどころか水面に張り出すような形でそびえていた。
基礎は向こう岸に造られているのだが、上物、正確にいえば城の1棟がまるまる河川に張り出しているのである。
「あの張り出したところ、自重できりぎり崩壊しないように、器用に造ってますね」
「でもこれ、もしかして、ひとつ間違えば国境侵犯を問われるんじゃない?」
男は低い、実に満足げな笑い声を漏らした。
「どういう生まれ育ちをすれば、お前たちのような子供が出来るのか、ぜひ知りたいな。俺が13、14の時には1日中武術と友人との悪ふざけにあけくれて、それ以外のことなどとても思い及ばなかったがな」
「...(確かに見た目は14ですけど)」
「ちゃかさない。僕がパラストの人間なら絶対抗議するよ。それとも河の真ん中が国境なの?」
「いいや。河のこちら岸はパラスト。向こう岸はデルフィニア。テバはどちらのものでもない。そうなっている」
「じゃ、あのお城は?」
「向こう岸で造られていることは間違いない。上物がいくら水面に張り出していても、それは越境していることにはならない。という理屈らしい」
「すごい屁理屈だ」
「というか、その屁理屈をあの城を建てる前に考えたんでしょうねぇ」
そんなことを言いながらも、2人は初めて見る大きな城を丁寧に観察していた。
1棟飛び出している部分を除けば、真四角な箱のような姿である。
壁は粗雑な石造りだし、窓は鉄鋲を売った無骨なものだし、装飾的とはお世辞にもいえない。
これは単に優美な建築にするだけの技術がないのか、それとも防衛機能を優先するためなのか。
近づくにつれて答えは明らかになった。
河に張り出した1棟には奇妙な穴が開いていた。
窓ではなく、外を覗くのがやっとのような細長い隙間である。
それが縦に2列、棟の上から下まで均等の感覚で並んでいた。
矢座間である。
いざというときには、ここから河に向かって弓矢の連射を浴びせる備えになっているわけだ。
2人は感心したように呟いた。
「立派なお城だね」
「機能的なお城ですね」
「がっしりしてるし、窓にもみんな鉄鋲がはまってるし、3...4階建てかな?屋上がみんな平たく出来てる」
「中央部分だけが4階。その周りは3階建てだな。どうしてああいう造りになってるか、分かるか?」
「1段高くなってる中央の屋上が中央作戦司令塔として、その周りの低くなっているところで、何かやるのかな?」
「かなり広さがありますり、中央の屋上からよく見渡せそうですね」
「その通りだ。危急の場合に兵隊を配置するためのものだ」
「じゃあやっぱり、戦闘用のお城なんだ」
「...(まあ、牢獄に見えないこともありませんが)」
「作られた当時はな。しかし、ここが戦の舞台になったことは1度もない。おそらくはこれからもないだろう」
男はそう断言したが、少女は少し黙って急に問いかけた。
「ここからアヴィヨンまでどのくらいある?」
「早馬を飛ばせば半日、かな?」
「で、コーラルまで7日だっけ?」
「歩けばな。早馬を飛ばせば、およそ3日の距離だろうが、何故だ?」
その問いに少女は答えなかったが、代わりに無邪気な調子で言った。
「じゃあ、ウィンザの人たちって、デルフィニアよりもパラストのほうを身近に感じるだろうね」
男は黙って少女を見た。
少女も男を見上げ、それから小船の先導を勤めている2人の騎士のほうへ意味ありげな視線を向けた。
この城はデルフィニア本国の意向より先にパラストの意向を知ることの出来る立場にある。
はるかに影響を受けやすい位置にいる。
あれほど自在にパラスト領内に入り込み、馬でかけることが出来るのももしかしたら...と少女は指摘したのである。
男は何も言わなかったが、その眼の中に賞賛の光があるのを少女は悟り、軽く眼を瞑って見せた。
は2人のやり取りに苦笑しているだけで、口を挟むことはない。
もっともも、いくら国境の警備がそれほど厳しくないとはいえ、10以上の騎士がパラスト側で襲ってきた事実がある以上、この城がその騎士たちの中継になったという考えを捨ててはいなかったが。
「いずれ俺が...かなうとしてだが...1軍を率いて戦に赴くようなことになったとしたら、ぜひともお前のような側近が欲しいと思うぞ」
「そうですね。ウォルとリィなら、並んだだけで、相手を圧倒しそうですよね」
「冗談言ってる。それに圧倒するなら、の方だろ?」
「違いますよ。私、外見だけは人畜無害ですから」
少女は『外見だけは』と強調したに小さく笑い声を上げる。
小船の上でそんなやり取りをしながらも、男は河の向こうの景色に見入っていた。
追われて逃げ出した祖国に半年振りに戻ったのだ。
感慨もひとしおだろう。
騎士2人は彼らの会話に何の関心の示さないが、それが臣下としての心得なのかもしれなかった。
やがて船は城縁につけられ、2人を出迎えるために橋が下ろされた。
騎士たちはここで会釈をして別れ、3人は中から現れた小者の案内で城内へと通されたのだが、中へ踏み込むと同時に、少女は目を丸くし、は顔には出さないながらも内心は驚きと呆れが混ざった感情でいっぱいだった。
外から見ると戦闘用の無骨な城なのに、内部は1級の文化に華やかに飾られていたからである。
床は磨き上げた寄せ木細工やモザイク模様の大理石で彩られ、壁には分厚い織物を壁紙の代わりとして貼り付け、豪華な額縁に収まった絵画がいくつも飾られている。
広い廊下には天使や女神の浮き彫りを施した大理石の柱がずらりと並び、石造りの寒々しさを埋めるためか、ずっしりした垂れ幕がいたるところにかけられている。
外見からは想像できない絢爛な眺めだった。
単に文化的というだけでなく、かなり豪華な造りである。
「すごいや」
「確かにすごいですね(悪趣味で)」
文化芸術に明るくないはずの少女が思わず感想を漏らし、少女とは逆の意味でが感想を口にする。
「本当に造られた当時に戦があったんですか?」
「ああ、そのはずだ。しかし、中身に関してはコーラル城よりよほど派手な造りだな」
「首都のお城より?」
少女が眼を剥き、前を行く家来を憚って、小声で尋ねてきた。
「ここはデルフィニアではかなりの田舎だろ?それなのに首都のお城より中身が立派だ何て、そんなのあり?」
「まさかウォルの住んでいたスーシャもこんなだったなんて言いませんよね?」
「それはない。スーシャでの暮らしは慎ましやかものだったぞ。ここに関しては俺も知らなかった。だがな、立派という点ではコーラル城だぞ。しかしまあ、ダールの住処がこれほど派手だとは思わなかった」
派手と立派はどう違うのかと少女は思ったが、それは言わなかった。
もし言っていたら、が言葉の意味を教えるか、『悪趣味なのが派手で、そうでないのが立派です』とでも教えていたかもしれない。
「ここ、前に来たことないの?」
「ない。コーラル周辺の視察で手一杯だった」
「確かに在位1年に満たない状態なら、仕事を片付けるのでまだ手一杯ですよね」
3人は出迎えた家来の案内で広い居間に通され、主人が現れるのを待ったが、その広間も大変豪華なものである。
入り口は天井高く切り抜かれ、ぴかぴかに磨き上げられた床には塵1つ落ちていない。
壁のすべてを使って華やかな絵画が描かれ、家具には縁に金の飾りがつけられている。光る貝殻や貴石を刷り込んで花模様を描いた円卓の上には細緻の限りを尽くした銀製の菓子入れと水差しがごくさりげなく置いてある。
桁違いの大きな暖炉の上には、さまざまな風物を描いた大小の絵皿が立てかけてある。
あっけに取られながら少女はそっと呟いた。
「ここ、ほんっとに戦闘用のお城?」
「の、はずなんだが...」
男の声は呆れている。
野宿の旅を続けてきた3人の風体は、この部屋では浮き上がること著しい。
少女は居心地悪そうに身じろぎして辺りを見回し、はすでに表情をとりつくろうことを止め、うんざりとした顔をしている。
「お金持ちの屋敷へやってきた物乞いの心境って、こんな感じかな」
「お前でも物怖じすることがあるのか?は平気のようだが」
「こういうピカピカしたところは苦手なんだよ。いつ壊したり汚したりするかと思うと、うっかり身動きも出来ないじゃないか」
「私が平気なのは、もっと立派な(趣味のいい)城を知ってるからですよ。リィ、もし壊しても私がこっそり直しますから大丈夫ですよ」
「うん、その時はお願い。でも、いったいこの部屋だけで、いくらぐらいお金がかかってるんだろ?」
「俺もあまり詳しくはないが、そこの暖炉の上の絵皿な」
「うん」
「1番小さいもので金貨15枚するだろうな」
「ウォル、私はここの貨幣価値を知らないんですが」
「の言う通り、そう言われても、どの位の金額なんだか分からないよ」
男は黒い瞳にいやに真面目な色を浮かべて言ったものである。
「金貨1枚あれば、庶民の一家がゆうに1ヶ月食べて暮らせる」
少女はぶっと吹き出し、はいやそうに顔をゆがめた。
「ちょっと待ってよ?それがあんなにたくさんあるってことは...」
「いかんな。育ちがさもしいせいか、金貨が並んでいるように見えるわ」
「僕にだってそう見えるよ」
「いっそのこと本当に金貨に変えましょうか?」
少女のほうは無駄なことにお金を使うものだと心底から呆れていたのだが、男のほうはこの城の贅沢な様子を暗に皮肉っているらしく、口元は笑っていても眼が笑っていない。
にいたっては、まるで冗談のように言っているが、かなり眼が本気だ。
城の主人はまだ現れなかったが、やがて数人の召使が着替えを持って現れた。
「陛下。どうぞこちらにお召しかえを...」
抑揚のない声で言ったのは、年配の痩せた女中である。
おそらくはこの城の召使い頭だろうが、声同様、その顔に何の表情も浮かんでいない。
仮面のような顔つきである。
しかし、態度は非常にうやうやしく、男の剣を預かり着替えを手伝い始めた。
風呂に入るのに5人がかりだそうだが、着替えも5人がかりである。
2人は横に離れてその様子を見ていたのだが、女中の1人はそんな2人に不審を抱いたらしい。
「これ、何をそのように立ち尽くしておるのです。お前たちも陛下のお召しかえをお手伝いなさい」
ぽかんと少女の眼が丸くなり、の顔が引きつる。
2人が何か言うより先に、男が口を挟んだ。
「その2人は小間使いではない。構わんでいい」
「は、ですが...」
「それよりも、そのふたりにも何か見合うような着替えを用意してもらえないか」
「絶対お断りします」
「いいよ。こんな裾の長いもの。ろくに動けやしない」
「これ!陛下に向かって何と言う...!」
「かまうなと言っておる」
眼の色を変えた女中に、穏やかだが厳しい口調で男が命じた。
年配の女中はしぶしぶ引き下がったが、明らかに不満そうである。
「2人とも、本当に着替えはいらないのか?その衣服はだいぶくたびれているではないか」
「でも女物の服ならいらない。こんなぴらぴらしたもの。絶対すっころぶぞ」
「私の服は見えないところにいろいろと(武器を隠す)工夫がされてるんですよ」
「困ったやつらだ」
国王と対等に口をきく子供たちと、これを咎めだてもしない国王に、その場に居合わせた召使は戸惑いの色を隠せない。
主人に対して、まして国王という最高権力者に対して、こんな態度はとうてい許されないものだったからである。
召使いの手を借りて衣服を改めた男は見違えるようだった。
20年以上も田舎暮らしをしてきたというが、豊かな長身といい、年の若さに似合わぬ貫禄といい、見とれるほど立派な風采である。
「やはり、見栄えがしますねぇ」
「うん。やっぱりそういう格好すると、それなりに見えるものだな」
「それなりか?」
「うん。背景も立派だし、身なりも整ってるし、後はウォルに対して頭を下げる家来の1群でもいれば、申し分ない王様に見えるんじゃないかな?」
「私としては、その横に着飾ったリィも並んで欲しいですけど」
「やだよ」
男はそれは楽しそうに声を上げて笑ったのだが、召使いのほうは明らかに2人に対して侮蔑の眼差しを向けている。
どこの田舎者か知らないが、身分のある人に対する口の聞き方も心得ないといいたいようである。
そして、若い召使いの1人は、その眼差しを国王本人に向けたのだった。
それはまるで、本当に血筋の正しい王ならば、こんな無礼を許しておくわけがなく、高貴な血を引いていると入ってもやはり育ちが育ちだからとでも言いたげだった。
そこで喜色を満面に現して、この城の主がやって来た。
あとがき
デルフィニア戦記第8話終了です。
ここまで読んでくださって、ありがとうございました。
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