「いったいどうなってるの?」

「説明、してくれるんですよね?」

さすがに少女は緊張した声で聞いた。

一方、は顔に笑みを浮かべているのに、声には異様な凄みがある。

背中に兵士たちの突き刺さるような視線を感じながらも、3人とも一応は悠然と歩いている。

しかし、以外の2人の顔はかなり緊張している。

男は雑木林の中に入り込んでいた。

そこは人の出入りがあるらしく、粗末ながらも広い道がつけられている。

突如現れた兵士の一団は直ぐに立ち木の蔭に見えなくなった。

彼らから充分離れたのを確認してから少女は真剣な口調で男に問いかけた。

「ウォル。本当に、本当の王様なの?デルフィニアの?」

「あの失踪中で、かなり高額らしい懸賞金が掛けられている?」

「まあ、な」

「だってさっきはフェルナン伯爵がお父さんだって言ったじゃない」

「その通りだからな。実の父以上の、父だ」

「育ての親ということですか?」

「ああ」

男は足を止めて、通り過ぎてきた道をうかがった。

少女とも同様に気配をうかがっている。

追ってくる気配はなく、姿も見えなくなっている。

「あの連中、諦めたと思う?」

「お前たちは?」

「分かりきってることを聞かないでくださいよ」

少女は男に問い返されて首を振り、は少し呆れたように言葉を返すと、男は苦笑しながら頷いた。

「確かに諦めていないだろうな。俺が本気で国を捨てたとは思っていないだろうからな。また来る」

「分かってるなら、逃げるなりなんなりしなきゃまずいじゃない」

「そうもいかん」

「何故です?」

男は深い息を吐き、2人を誘って道を外れ、手近な切り株に腰を下ろす。

「俺は、何としてでもコーラルへ入らなければならん。どうせ1戦交えねばならんのなら、今、撃退しておくべきだろうな」

2人は男の正面に立ち、じっとその顔を見つめた。

「何人で来るかも分からないんだよ?」

「今回撃退しても、すぐにまたやってくるかもしれませんよ?」

「手伝うと言わなかったか?」

白い小さな顔と、象牙色の小さな顔を見上げながら男は笑いかけた。

男は本気ではないにせよ、子供たち相手にこんなことを問うとは自分でも驚いていた。

はその問いにふっと目元を緩めて苦笑したが、少女は難しい顔で腕を組んでいる。

「さっきの旅人たちが話してたこと、本当なの?」

「どこの部分がだ?」

「とりあえず君が正義で、問題の侯爵が悪だとする。その上で言う。その侯爵がどんな悪巧みをしたのかは知らないけど、君が本当にデルフィニア国王で1番偉い人だって言うなら、どうして自分の国を逃げ出したのか。それに命が危ないと分かってるのに、どうしてたった1人で国へ戻ろう何て馬鹿なことをしようとしてるのか。そういうことだよ」

「そうですね。逃げ出すにしても何故あなた1人だったんですか?普通王ほどの権力者が生き延びるために逃げるときは、少数でもそれなりの護衛がつくと思うんですが」

「仕方がないのさ。他に誰も味方をしてくれるものがいなかったのでな」

「そこだよ。いくら政権争いに負けたといっても、王様は王様だろう?王座を負われることになっても、が言ったようにお供の人がつくもんじゃないの?普通ならさ」

「ええ、あなたの味方だった人たちが蟄居させられていたりするということは、味方が1人もいなかったわけではないのでしょう?」

感情的になることもなく、一つ一つ注意深く述べた2人に男は満面の笑みを浮かべた。

「いかにもその通りだ。普通ならな」

「もう1つ確かめておきたいのは、君と、そのペールゼン侯爵と、正しいのはどっちなのかってことだ」

男はそれに、あっさりと答えた。

「世間の評価では圧倒的に正しいのはペールゼンで、俺は王座乗っ取りを企んだ大悪人ということになっている」

「世間の評価では...ですか」

少女は腕を組んだまま、大きくため息をつき、は困ったような顔をした。

男がもう少し憤慨してくれなければ、無実の罪で国を追われた悔しさというものを表現してくれなくては、どうにもこうにもやりにくい。

これでは、濡れ衣を着せられたことをおもしろがっているようではないか。

そんな2人の言いたげなことは男にも分かったらしい。

「まあ座れ。次が来るまで少し時間もある。その間、事情を説明しようか」

「そうして。でないと頭がおかしくなりそうだ」

「ええ、あなたならあとで『言ってなかったか?』とケロリと言いそうですから、なるべく細かくお願いします」

近くの石にちょこんと腰を下ろし、2人は首を傾げて男の顔に見入った。

「変な話だ。偉いのと威張るのが仕事の王様には、とても見えないけどな」

「そうですね。ウォルが威張ってるところは、ちょっと想像がつきませんね」

男も笑い声を立てる。

「その通りだ。さっきの兵士が言ったように、俺はもともと王冠など縁のないはずの男だ。つい2年前までフェルナン伯爵の息子として伯爵の領地、デルフィニア北部のスーシャで過ごしていた。都会とは縁のないひなびた田舎でな。そこが故郷だ」

少女とは納得したように頷いた。

「どうりで。ずっと王宮暮らしをしてきたにしては変だと思った。木の上でも嵐の中でも寝られる王様なんて、変だもんね」

「もしそんな国王なら、小雨程度で風邪を引いてたでしょうけど」

「そうさな。スーシャではそんなこともよくあるだ。しかし宮廷ときたら、特に国王の生活ときたら、はっきり言って馬鹿馬鹿しいくらい無駄だらけだ。一風呂浴びるのに女官が5人のついてくるわ。体を拭いた布は1度で処分されるわ。食事をしたところで、厨房から食堂までの間にすっかり冷めて食えたものではない。おまけにどこへ行くにも御供がぞろぞろとついてくる」

「口の悪い王様だ」

「まあ、確かにもったいないとか、無駄だとか、馬鹿馬鹿しいだとか私も思いますけど」

「俺のような王ばかりではないさ。特に先代のドゥルーワ王はな。今では明賢王と呼ばれているが。確固たる王としてデルフィニアに君臨し、数多くの戦役をくぐり抜けた偉大な王だった」

先代ということは、この男の父親ということだ。

「その先王がお亡くなりになったのが、今から7年前のことだ」

「7年?じゃあ、そのときウォルは...」

「17だった」

「それで跡を継いで王様になったわけ?」

「あれ?でも、あなたさっき、2年前まではスーシャにいたって...」

「ああ、ドゥルーワ王には、れっきとした王子が2人いたからな」

「うん」「そうなんですか?」

「その当時20歳のレオン王子と8歳のエリアス王子だ。よっぽどのことがない限り、王冠は早い者勝ちだからな。当然、年長のレオン王子が後を継いでデルフィニア国王になるはずだった」

「うん」「はい」

「ところがだ。先王の喪も明け、準備も整い、戴冠の儀を執り行おうという、そのわずか1月前のことだ。レオン王子はかりの途中に落馬され、その傷が元であっけなくお亡くなりになった」

「それまた運のない..」

「で、ウォルが...?」

「いや、次はエリアス王子だ。幼少だろうと赤子だろうと、直系男子という事実は揺るがしようがない。もっとも8歳の少年王では、内外に問題の多いこの時期に、王として立つには荷が重いのではないかとも言われたが、ペールゼン侯爵が後ろ盾になり、政治のほうは問題ないということだった」

「うん」

「まあ、定石ですよね」

「ところがだ。エリアス王子はもともと病弱な方だったのだが、レオン王子がなくなられてから、わずか半年後に、病をこじらせてお亡くなりになった。おりしもレオン王子の葬儀が済んだばかりのことだ。これでやっと戴冠式をと望んでいた国民は、またおあずけを食わされた」

「よくよく不幸が続くねぇ」

「まあ、病気がちで幼い子供ということですから、時期を深読みしなければ普通に病死ですよね」

「で、ようやくウォルに順番が回ってきたわけだ」

「いいや。ドゥルーワ王には王女も2人いた」

「へぇ?女王様でもいいんだ」

「ああ、大事なのは血統だからな。直系の子供がいる以上、女だろうと、傍系の男子であるよりは継承権を持つ。これが国王に成人した男の兄弟でもいれば、話は別だったろうがな」

「1人もいなかったんだ?」

「男の兄弟に限定されるんですか?」

「ああ。弟殿下が1人いらっしゃったが、ドゥルーワ王よりも早くにお亡くなりになっていた。その子供は姫君ばかりだったしな。それなら実の娘のほうに継承権があるに決まっている。の質問はもう少し待ってくれ」

「うん」「分かりました」

「その時点で国王不在がすでに2年続いていたからな。今度こそ新国王を誕生させようと、デルフィニアは国を挙げて、女王を歓迎しようとしたのだが...」

「「まさかと思うけど(思いますけど)...」」

嫌な顔で2人が口を挟んだ。

「「その王女様まで死んだなんていうんじゃないだろうね(ないでしょうね)」」

男はゆっくりと、重々しく頷いた。

「しかも、しかもだ。姉王女がなくなって、すぐにだ。たった1人残られた妹王女までが倒れられて、1年、病の床についたあげくに...」

「死んだの?」「亡くなったんですか?」

2人とも目を丸くしている。

「ちょっと待ってよ。それがいつの話?」

「国王不在が2年続いたあと、病床で1年ですから...」

「ああ、先王が亡くなって3年目だった」

「ていうと、何?お父さんの王様が死んでからたった3年の間に、レオン王子とエリアス王子と女王が2人?4人も死んだっての!?」

「3年で直系の子供の4人全員が...ですか」

「それがデルフィニアの魔の5年間だ」

男は沈痛な面持ちで言った。

王が亡くなり、王位を継ぐはずの子供たちが全員、その後を追って逝ってしまった、国民すべてにとって悪夢としか呼べない年月だった。









  第7話  デルフィニアの魔の5年









「あれ?5年...ですか?」

「そうだよ。どうして5年?3年じゃないの?」

「先王の子供たちが皆、世を去って3年。そのあと2年、次の国王を誰にするかでもめたのでな」

「その間ずっと王様は、なし?」

「そうだ」

「よくまあ内戦にならなかったもんだ...」

「私としては、内戦以上に他の国からの浸入がなかった方が不思議ですけど」

「その危険を回避してみせたのがペールゼンだ。国内の貴族を上手く統制し、タンガ、パラストをきっちりと抑え、口出しを許さなかった。以来、諸侯の間では圧倒的な支持を得ているわけだ」

「だけど、いくらなんでも、それって...」

少女が愛らしい顔に露骨な嫌悪の表情を浮かべて言った。

「焦げ臭くない?」

「焦げ臭いどころか、山火事並みに匂うぞ。ぼうぼうだ」

「うん」

「まあ、誰でもそう思いますよね」

「巷では、この国は呪われてるのだとか、王冠を手にしようとするものは皆たたられて死ぬのだとか言われていた。俺は全くそういうことを信じられない性質(たち)だが、全くお前たちの言うとおり、いくらなんでもこれが偶然であるわけがない。何かがあるのだと思っていた。当時の俺は田舎のスーシャにいて、遠い都の話として聞いていたわけだが、自分の国のことだ。気が気ではなかった」

「うん」「はい」

「王国に王がいなくてはそれこそ話にもならんからな。そして直系の子供がみんな不慮の死を遂げたい上、近い血縁のものから次の王を選ぶことになった」

「まあ、当然だろうね」

「そうですね」

「真っ先に候補にあがったのが、さっき旅人が話していた...ドゥルーワ王の妹、アエラ姫の息子、正確には、姫が国内の貴族に嫁いで生まれた子供だ」

その言葉に、2人の頭がちょっと傾げられる。

覚えたての、この辺りの社会構造によると、血筋による身分や階級が重要視されるはずだ。

「はい、質問。元は王家の王家のお姫様でも貴族に嫁いだってことは、その子供はひょっとして、王族じゃないんじゃないの?」

「でも、嫁いだとはいえ、国王の妹なら王族として数えられるんですよね?」

「いかにも。アエラ姫は貴族に嫁いだとはいえ、国王の妹という事実に揺るぎはない。堂々と王族としての権利を主張できる。だが、すでに嫁いでいることで、国王になることからは除外されたらしいな。しかし、その子となるとそうはいかん。血のつながりがあるのは確かだが王族としては認められん。あくまで姫が嫁いだ先の侯爵家の息子になる」

「それじゃあ逆に平民の女の人が王族と結婚したら、どういうことになるのかな?」

「まずありえんことだが...その女性本人には王族としての資格が認められるだろうな」

「つまり男のほうが家の基準になるわけだ」

「そのようですね」

「それと正式な結婚をしてるかどうかだ。オーリゴに祝福されているか否かでは、だいぶ差があるからな。愛妾やその子は、主人の寵愛を受けられても、社会的には何の権利も主張できない。そういうことだ」

「分かった。いいよ、話を戻して」

「うむ、どこまで話したかな?」

「3年の間に国王の子供4人が亡くなって、その後2年間、国王を誰にするかでもめて」

「アエラ姫の子供が次の王様候補にあがって、なのに弱い継承権しか持っていなかったって所までだよ」

「そうだ、それが問題になった」

公爵の総領とはいえ、単なる貴族の子息を国王に迎えようというのである。

冒険であると同時に、国家にとっては重大な譲歩であることは言うまでもない。

「ええと、あと近い王族は...王様の弟の娘たち。死んだ王様にとっては姪にあたるお姫様たちだよね?それだけだったのかな?」

「その候補になった子供に兄弟がいなければですが...」

「あ、その可能性もあるか」

「いや、公爵の子供は候補になった子供だけだった。しかし、なかなか分かりが良いな。リィの言った通りで、しかもまだ幼い。比べるとバルロは...アエラ姫の息子は優秀な騎士としても、国に忠実な人物としても知られていたからな」

「ははあ。知名度を取ったわけだ」

「確かにそのほうが国民に受け入れられやすいでしょうね」

「いや、そう簡単にはいかなかったのだ。何と言っても臣下筋だ。先王の姪に当たる幼い姫を立てたほうがよいのではという勢力もあった」

2人はため息をついている。

「「何てまあ、めんどくさい...」」

「こればかりはな。とりあえず適当なところをというわけにはいかないからな」

国王というものの存在が一国にとってどれだけ重い意味を持つものか、言葉は少なくとも、男の真剣そのものの口調が、何よりも雄弁に語っている。

「俺も騎士バルロのことはよく知っていた。その武勇と忠誠心は有名だったからな。よい王になるだろうとも思った。デルフィニアの謎の呪いが、あの騎士の上だけは降りかからねばよいと思っていた。ところがだ」

「うん」「......」

「魔の5年が過ぎて、騎士バルロがデルフィニア国王になることがほとんど正式に決まったある日のことだ。父が...フェルナン伯爵が、いきなり俺の前に膝を折って、実はあなた様はドゥルーワ王の実のお子様です。と、こうきた」

「はあ!?」「...はい?」

男は苦笑しつつ額を押さえている。

「何の冗談かと思ったぞ。冗談など言う父ではないことは、それまでの22年でよくよく知り尽くしていたはずなのにな」

「え?いや、確かに育ての親かとは聞きましたけど...」

「まさか、それまで...知らなかったの?」

男の笑みはなんとも複雑なものだった。

「知らなかった。知りたくもなかった。実の親と信じて疑ったことさえなかった。幼い頃に死んだ母を実の母だと、その時まで信じていたともさ」

少女もも、下手な慰めなど口にしても仕方がないと分かっていたから、黙っていた。

それまでの自分自身が木っ端微塵になってしまった男の心境は察するにあまりある。

「父が言うには、ドゥルーワ王がたわむれに手をつけた侍女の産み落とした子供が、この俺なのだそうだ」

「だって、普通、王様の子供なら、妾の子だろうとなんだろうと、ちゃんと王様の子供として育てられるんじゃないの?」

「母親がいくら侍女だからといっても、父親は国王なのでしょう?国王が血を残すのは義務でしょうし、それならその子供としてきちんとした教育を受けさせるんじゃ...」

「その通りだ。国王には愛妾など何人いてもおかしくないし、その身分が高い必要もない。だが、ドゥルーワ王の場合は話が違った。生涯、表向きの愛妾は持たなかった国王だからな」

「1人もですか?」

「それって珍しいことなんだ?」

「珍しいどころか、ほとんど異常だ。たとえばオーロンには今のところ5人の愛妾がいる。さすがにきちんと上下の格を設けて秩序を整え、混乱がおきるのは避けているが、他の王も似たようなものだし、南国の王の中にはもっと盛大に...なんだ」

相手の1人が少女なだけにためらったのだが、少女のほうが後を継いだ。

「後宮を作って女の人を大勢囲ってる?」

「極稀に見目のよい男性をあつめている変態もいるそうですよ。まあ,それ以上子供を増やして権力争いをさせないため、という意味もあるようですが」

「...よく知ってるな」

「人間はそういうの好きだもんね。特にえらくなった男の人はさ。次から次へとよくまあ飽きないもんだと思うよ」

「中にはもう枯れてるはずの老人が、孫ほど年が離れている女性を囲ってる場合もあるようですよ。その場合は、芸術面での援助という場合もあるようですが」

少女はからかい調子で、特別嫌悪も恥ずかしさも憧れも感じないらしい。

のほうも言った内容がやけに細かかったが、口調には呆れしか込められていない。

2人ともこの年頃としては珍しいことだ。

「ウォルはどうなの?王様やってるとき、やっぱり女の人を囲ったの?」

「馬鹿な。そんな暇があるものか」

「暇があったら囲っちゃうんですか?」

「そんなわけなかろう」

「あ、焦るところが怪しい。隠さなくても良いじゃない。別におかしいことでもないし、だいたい人間の男はそういうふうに出来てるんだから」

「お前な、人を盛りのついた犬のように言うな」

「僕から見れば似たようなもんだよ。どっちも1年中発情してるし」

「まあ、確かに人間には発情期というものはありませんからね」

冷ややかな少女の口調に、が苦笑しながら肯定する。

少女の言葉は大人びているわけでも、割りきっているわけでもなく、かといって少女特有の潔癖から男の性状に許せないものを感じているというのでもない。

もっと痛烈な、もっと手厳しい、深いところを鋭く(えぐ)る批判だった。

男はあらためて知らないものを見る思いで少女を見つめ、その瞳の普通の少女や少年とは全く違う光に、なぜか焦って、自分でもよく分からない弁解をしていた。

「しかしだな。その...発情というのはもちろん問題外だ。問題外だが、しかし、人を愛しいと思ったらそうなるのは必然というものでな」

「当たり前じゃないか」

けろりと言われて男は額を押さえてしまった。

「だったらそう腹を立てることもあるまいに」

「別に怒ってるわけじゃない。ただ、人間の男の手当たり次第の所構わずの無節操の、ついでに無神経は好きになれないっていうだけだ」

「随分と羅列しましたねぇ」

男とはよくまあそこまで並べられたと、思わず苦笑した。

「よほどよくない覚えがあるらしいな」

「おうよ。そっちで勝手に欲情しといて『お前だっていやじゃないんだろう』だの『かわいがってやろう』だの言われてみろ。歯の2、3本もへし折ってやらなきゃ気がすまないぞ」

「そういうことを言われるのは私も願い下げですね。でも、よく歯の2、3本で許せますね?私の友人達なら、間違いなく子供を残せないよう去勢しますよ」

「頼むから俺の歯は折らないでくれよ。しかし、の友たちはそこまでするのか...」

「そっちこそ、俺にお前の歯をへし折らせるようなことはするなよ。そのの友達って女の子なの?」

「いえ、男女共にですよ。友人たちが言うには、そんなやつの血(遺伝子)を残す必要はない!だそうです」

「ならばリィにも、の友人に会ったときも一安心というところだな。何しろ俺は昔からそういうことにかけては朴念仁でな。友人にもよくからかわれた。ましてや宮廷の官女などには到底歯が立たんよ」

「じゃあ、前の王様も朴念仁だったから、1人の愛妾もいなかったの?」

「それはないんじゃないですか?侍女にも手を出したようですし」

「持ちたくとも持てなかったのさ。そもそもドゥルーワ王には2人の妃がいたのだ」

2人は目線だけで、どういうこと?と聞いてくる。

「むろん同時にではない。初めの妃はパラストの王女だった。レオン王子とルフィア王女を産んで死別したので、先王はタンガの王女を2度目の妃に迎え、その王妃が、エリアス王子とエヴェナ王女をそれぞれ設けたわけだ」

「大華3国の残り2国から...ですか?」

「それに何の意味があるわけ?」

「タンガとパラストは犬猿の仲だ。間にデルフィニアを挟んで睨み合っているようなものだ。ドゥルーワ王が2番目の妃をタンガからもらうことを決定したときには、パラストは正式の文書で抗議したくらいだからな」

「ははあ...」

「下手をすれば、外交問題でしょうに...」

「反面、跡継ぎのレオン王子がなくなったとき、タンガは小躍りして喜んだらしい」

「つまり...エリアス王子が、自分たちの血を引いた王子がデルフィニアの王様になれると思ったから?」

「それでパラストよりデルフィニアに介入しやすくなると思ったわけですか」

「そうだ」

「だけどその王子まで死んじゃったってことは...」

「そう。どちらの国も自分たちのもくろみは見事おじゃんになったわけだ」

「はあ...」「......」

「話を戻すが、当時のデルフィニアは両国の板ばさみになって中立を保つのが精一杯。どちらの国とも揉め事は起こせないような状態だった。だから先王は両国に常に気兼ねして1人の妾妃も持たなかったのさ」

「もう1つ質問。その3国の力関係はどうなってるの?1番強いのはどこ?」

「先王の時代にはデルフィニアだった」

「それなのに、そんなに気を遣ったの?」

「だからこそ、先王は名君として名を残した。政治、軍事ばかりでなく、外交にも優れた才能を発揮した人だ。俺が生まれたのはちょうど先王がタンガ王女と縁組を整えようとしていた矢先のことでな。おそらく先王は、これ以上問題が起きるようなことは避けようと考えたのだろう」

「確かにいくら2国の仲が悪いといっても、そのことでデルフィニアを攻める同盟でも結ばれたら、負けてしまうかもしれませんし、負けなくとも被害は甚大でしょうね」

「いくら王様だからって...」

少女は不機嫌な顔である。

「そういうのって好きじゃないな。それじゃまるで厄介払いじゃないか」

「ある意味ではそうだ」

「.........」

「まあ、ある意味では戦争の回避だけではなく、ウォルの命を両国から守ったともいえますけど」

「.........」

の言う通り、先王は先王なりに、俺の行く末を考えておられたと父は言うのさ。宮廷での醜い権力争いに巻き込まれるくらいならば、もっと健康的な環境でのびのびと成長することを望んでおられたと。ある日、父は先王にひそかに呼びつけられて俺を託され、実の子として育てるようにと命じられたのだそうだ」

「じゃあ、お城の中でも、ウォルがうまれたことは誰も知らなかったんだ?」

「2、3の腹心を除けばな。先王は、どのようなことがあっても、俺の出生の秘密を教えてはならないと厳しく父に言い含めたそうだ。あくまでフェルナン家の息子として育てるようにと...」

「でも、ウォルは国王の息子だと知らされたんですよね?」

「それじゃどうして...?」

20年守り続けたはずのその秘密を、なぜよりにもよって混乱の只中に打ち明けるようなことをしたのか。

男は深いため息をついた。

「父は膝を折ったまま、このことは一生胸に秘めておくつもりでしたと、そう言った。しかし、今、この国に誕生しようとしている国王は、血の濃さにおいては大きく劣る。亡きドゥルーワ王のご命令に背くことにではあるが、俺という直系男子がいることを知りながら、甥にすぎない国王の誕生を拝むことは、デルフィニア国民としてどうしても出来ないと...そういうのさ。いかにもあの親父様らしい」

「それはまた...」

「難しいもんなんだねえ。それでウォルはどうしたの?コーラルへ乗り込んでいって王様になったの?」

「とんでもない。俺は王様なぞやりたくはなかった。だいたい20数年もの間、田舎貴族の息子として育ったんだぞ。いまさら高貴な血がどうの、常ならぬ身分がどうのといわれても、とても自分のこととは思えぬわ」

2人は首を傾げて男をじっと窺い、笑みを浮かべた。

「そうかなあ?他の王様は知らないけどさ、いいせんいってると思うよ。貫禄あるし、くだけてるし。ちょっと庶民的かもしれないけど、それだって考えようによっては一般市民に受けるだろうし。だいたい王様なんて、さっきのペールゼン侯爵じゃないけどさ、どうしてもやりたいなんて人にやらせると、のぼせ上がって夢中になって、ろくなことにならないもんだ。そのくらいならむしろ、あんまりやりたがらない人にやらせたほうが結果的に一生懸命に頑張って、いい王様になるんじゃないのかな」

「そうですね。下手に権力志向の強い人が上に立つと、そういう人間が下に集まりやすいでしょうし、ウォルみたいにしょうがなく王様になった人のほうが、かえって王宮の中がギスギスしないんじゃないでしょうか」

「おもしろい逆説だ」

男は笑った。

この2人といると、不思議と気持ちが落ち着くのだ。

今まで誰も自分に向かって、これほど素直な眼を向けてくれたことはないせいかもしれない。

「父はな、なすべき義務を果たされませと、俺に言った。騎士として、国民の1人として、そしてドゥルーワ王の今やただ1人の息子として、何をなさればよろしいのか、この国に今何が必要であるのか、お分かりでありましょうと」

「「分かっちゃったの(んですか)?」」

「分かってしまった、わけだ。青天の霹靂だったがな。父の言葉が本当なら、俺には亡き先王の名誉を汚すことは出来なかった。たとえ今日までの父と他人になるのだとしてもな」

少女はこの考えは理解しにくいようで、難しい顔で首を傾げ、も何故とでも言うかのように困惑をあらわにしている。

「でも、それじゃ大騒ぎになっただろうね」

男はうんざりしたように手を振った。

「そんななまやさしいものではなかったぞ。ペールゼンをはじめとして大貴族たちは卒倒しそうな顔つきだったし、アエラ姫はかたりだの泥棒だのと公式の場で呼ばわってくれるし、宮廷の婦人たちは俺が田舎育ちなのをさんざん笑いものにしてくれたしな。貴婦人というものに対して抱いていた夢が、あれで見事に打ち砕かれたわ」

2人は小さく噴出していた。

この男は口で言うほどめげてはいない、逆境に強い人間なのだ。

「まあ、アエラ姫はそうだったとして」

「その王様候補だった人はどうしたの?」

「俺を歓迎してくれた数少ない人々の中でも、最も好意的に俺を迎えてくれたのが、そのバルロだったぞ」

男の瞳がはじめて和やかな色を浮かべた。

「あの騎士バルロが、なんと俺の従弟(いとこ)だったというだけでも驚いたのにだな。その従弟だけが、俺に対して即位すべきだと断言してくれた。俺がドゥルーワ王の直系の男子なら、たとえ非嫡出子といえども、おいに過ぎない自分より上の継承権を持っているとな」

「へぇ、かなり意見の違う親子なんですね」

「ずいぶん、できた人だね」

「できているというか、石頭というか...アエラ姫は息子の発言に真っ青になったらしいがな。頑として態度を変えなかったらしい。またそのバルロときたら、母がこう言ったとか、ペールゼン侯爵がこう言ったとか言うことを全部俺に筒抜けにしてくれてな」

「はあ...?」「あらあら」

「国家乗っ取りを企む不忠者どもが毎日うるさくてかないませんと、けろりと言うのだからな。愛すべき従弟殿だ。俺は1人も兄弟がいなかったから、弟ができたようで嬉しかったぞ」

「それは、ずいぶんと愉快そうな兄弟ですねぇ」

「それで、戴冠式をすませたの?」

「ああ。1年前、すったもんだのあげくにな。今の俺は正真正銘デルフィニアの国王だ」

「だったらどうして逃げ出したりしたの?」

「ペールゼンの陰謀だ」

男の口調が変わり、明らかに怒りがこもっている。

「先の旅人も話していたが、陰謀としかいえない手口だった。こともあろうに...レオン王子にはじまってドゥルーワ王の王子王女を次々と謀殺したのがこの俺だと、いや、俺を王座に据えたいがためにフェルナン伯爵がやったに違いないと噂をばらまいた。出なければこんなに都合よく前王の庶子が現れるはずはないというのだ。馬鹿げた話よ。その折の父はスーシャをほとんど離れたこともなく、また王宮へ出向くことは会っても、単独で王子王女へと近づけるような機会など皆無だったのだぞ。それを1番承知していたのは先王の代から使えているペールゼンだろうに、ぬけぬけと俺と父を罪人に仕立て上げた」

「それだけ君の存在は寝耳に水の大事件だったってことだよ」

「だろうな。だがそれなら、俺に王冠など与えねばよかったのさ」

「確かにそのとおりですけど、おかしいですね。そういう噂なら、ウォルが国王になる前に流したほうが、王冠を与える必要もなく、あなたを支持する人たちを蟄居させるほどの事態にしなくてすんだでしょうし、少なくとも国民に侯爵の悪印象を与えることはなかったと思いますけど」

政治をするものにとって無用な敵をつくることは1番の愚である。

仮にも先王の代から使えている侯爵がその初歩を知らないわけがない。

ペールゼンははじめ、この男を上手く丸め込み、思い通りに操るつもりだったのではないだろうか。

それなのに反旗を翻し、国外へ追放するという暴挙に出たと言うことは、可能性としては2つある。

「ウォル」

「何だ」

少女が何を言うのか察したは、口を噤み、男の顔をまっすぐに見上げる。

少女は、ゆっくりと言葉をつくった。

「君とお父さんに対する侯爵の言い分は...完全に侯爵のでっちあげなんだね?」

「あれ以上のでっちあげがあるものか」

男の黒い瞳に怒りが走った。

「父は...二度と父とは呼んでくれるなと俺に言ったのだぞ。今日より自分はあなた様の臣下。忠実なしもべでございますと...なんなりとお命じくださいと...20年実の父だと思っていた人がだぞ!!」

男の怒りは少女に対するものではない。

しかもペールゼン侯爵に対するものでもない。

むろん、父伯爵に対するものでもドゥルーワ王に対してのものでもない。

親子の間を引き裂いた運命に対しての怒りだった。

「あの人には野望など抱くことさえ無理だ。それは俺が1番よく知っている」

「お父さん、頑固なんだ」

「ああ、昔から大変な石頭だ。1度こうと決めたら...てこでも動かん」

「...(ウォルも結構頑固だと思います)」

「でも、君の、王様の後見役だったんでしょ?」

「出なければ即位など絶対にしないと、だだをこねたからな」

だだをこねるという言葉に、は思わずその様を想像して小さく噴出し、少女は疑わしそうに男を窺い見た。

「その図体で...?」

「あははっ、それはずいぶんと...可愛くなかったでしょうね」

「ああ、徹底的にごねた。見ていた女官長が後になって、よく似た頑固者同士の親子喧嘩でしたこと、と冷やかした」

「わぁー、ぜひとも間近で見てみたかったです」

しみじみと呟くに、何かを思い出し笑いをした。

「父は俺に向かって『陛下』の一点張り。俺は『父上』の一点張り。『それはなりません!』と父。『私の父上は父上お1人です!』と俺。とうとう親父は堪忍袋の緒を切らしてな。『この馬鹿者め!私がいつお前にそのようなことを教えたか!』と怒鳴り声を上げた」

「あらら...」「あはははは...」

伯爵はさぞかし自分の失言を、しまったと思ったに違いない。

男は本当に楽しそうに笑っていた。

「嬉しかったぞ。久しぶりに怒られて。あれでこそ親父様さ」

「うん」「よかったですね」

「ドゥルーワ王のことは...偉大な方だったからな。むろん尊敬していた。あの方を国王に抱いていることが国民の1人として誇りでもあった。この体にその血が流れていることはむろん誇らしく思う。俺は今でも自分はスーシャの、フェルナンのウォルだと思っている」

「ウォルらしい考え方ですね」

「でもそれなら、王様なんかやりたくないなら、そのバルロさんに譲っちゃえばよかったのに」

「デルフィニアの国民としてそれは言えぬのさ。できるだけ血筋正しい国王を迎えたいと思うのは当然のことだ。傍系の国王ではこの先の諸外国との外交にまで差し障りが出てくる。もっとも庶子に過ぎない俺と、貴族の身分しか持たないバルロと、どちらの血筋が正しいのかは疑問だがな。そのための討議にさらに丸1年を費やし、結果、異例のことではあるが、なんと言っても先王のご遺言でもあることなので、それなら俺をということになった」

「「へぇ」」

「何事も国のため、そう思い、むしろ人身御供に上がったつもりで王冠をかぶったというのに...ペールゼンめ。どうしても俺が目障りだったのだろうよ」

「「.........」」

「半年前、ペールゼンは偽者の王を王座から引きずり下ろすのだと大義名分をあげて城に攻め込んだ。王宮の警備にあたるもの、市内の主だった部隊も、すでにペールゼンの指揮下にあった。そんな動きがあることなど、日々の公務に追われて露とも気づかなかったのさ、俺は。危うく捕らえられるところを、父と、バルロと、宮廷の数少ない味方が、身を挺して脱出させてくれた」

「「.........」」

「今度は、俺が彼らを助ける番だ」

その並々ならぬ決意には2人にも呑みこめたが、2、3、慎重に質問を続けた。

「ペールゼン侯爵は君の従弟を王様にしたいらしいけど、そのバルロって人はどうなのかな?王様になるつもりでいるのかな」

「もしくは、なるつもりがなくても無理やりさせられる可能性があるかですね」

「あれは、俺が生きている限り、絶対に王冠をかぶろうとはしない人間だ。ましてペールゼンが無理やり王にさせられるような相手ではない」

「じゃあ、バルロって人はペールゼン侯爵と仲いいの?」

「狐と狼くらいは仲良しだと思うぞ」

顔を付き合わせるなり大喧嘩を始める間柄を仲良しといえるかどうかは置いておくとして、少女は質問を続けた。

「ウォルはどう思ってる?」

「どう、とは?」

「そのペールゼン侯爵が君を追い出した理由は、何だと思う?」

「デルフィニアだ」

男は断言した。

「あやつが狙っているのは、思うがままにしたいとよこしまな欲望に取りつかれている対象は、大国デルフィニアそのものだ。王冠をかぶることはできなくとも、名より実を取ろうと考えたのだろうよ」

「だとしたら、あなたの従弟が次の王候補になるのはおかしくありませんか?」

「そうだよ。おかしいじゃないか。だってそのペールゼン侯爵が君を陥れて、自分の思い通りにデルフィニアを動かしたいって思ってるんならだよ?それでも自分で王様になることはできないわけだから、自分の代わりの王様にはできるだけ仲のいい人か、おとなしく言いなりになる人を選ばなきゃ、意味がないじゃないか」

「俺が心配しているのも、そこだ」

「どういうこと?」

「...同じことがもう1度ということですか?」

「ああ、新国王が誕生するのはいいとして、また何か、不幸なことが待ち構えているのではないかということだ」

「つまりウォルは、デルフィニアの1連の不幸な事件の裏には、いつもペールゼン侯爵がいたと、そう思ってるんだ?」

「いつもかどうかは分からん。それにペールゼン1人の差し金かどうかも分からん。だが、先王の崩御から魔の5年間を経て現在に至るまで、国王選びには貴族達の利害が絡んでいたからな。自分に都合がよい王を立てたいと思うのは、政治をするものなら当然のことだろうよ」

ここに至って2人はほとほと呆れ果てた顔で、ため息をついたのである。

「あのさあ、そこまで分かっているんなら、なんだってたった1人で喧嘩なんけふっかけるんだよ?君が王座を取り戻る条件は充分じゃないか。なのに本当に、他に誰も味方してくれる人はいないの?」 

「そうですよ。あの時だって偶々私たちがいたからいいようなものの、いなかったら間違いなくあそこで死んでましたよ。それじゃあ、助けられるものも助けられなくなるじゃないですか」

「味方はコーラルにいる。ペールゼン怖さに沈黙しているしかない市民が大勢な。従う振りをしながら機を窺っている貴族もいるはずだ。俺は彼らの決起を促しに帰る」

「だけど1人でまっすぐコーラルへ向かうなんて、侯爵の方だってきっと待ち構えてるよ」

「従う振りをして機を窺っているという貴族だって、協力する振りをしてウォルを捕らえる可能性もあるんですよ」

「危険は覚悟の上だ」

男の決意は揺るぎがない。

「俺は正義を証明できるものが何もない。これはもう...俺の勘に過ぎん。だからこそコーラルへ戻る。ペールゼンにやましいことがあるのなら、お前たちの言う通り何としても俺を阻止しようとするだろうし、生かしてはおけぬはずだからな。必ず尻尾を出す」

ほとんど捨て身の戦法だった。

いちかばちかというよりはむちゃくちゃである。

「ウォル、分かってる?そのためには君が生き残らなきゃならないんだよ。侯爵は君の口封じをして自分の都合のいい話をつくることだって出来るんだ」

「そうなったら、ウォルだけではなくて、ウォルの味方をした人たちの立場が悪くなるだけじゃなくて、その地位や権力も侯爵の思い通りになるんですよ」

「この半年というもの、俺に襲いかかってきた刺客は、数も質もかなりのものだったぞ」

男は不適に笑った。

「スーシャにいた頃は毎日山野を駆けめぐって、武術にあけくれていた俺だ。こんな生活は宮廷での暮らしよりもよほど性分に合っている。もっとも、お前たちに助けられたときは少々へばっていたからな。助かった」

「本当にあなたは、揺るがないというか、頑固というか...」

「親父様が頑固だからな」

「今は大丈夫?」

「ああ」

少女が促すまでもなく、男もも気づいていた。

男は腰を下ろしたまま、にやりと笑って見せた。

「ちょうどいい具合に話が終わったところだ」

姿は見えないが雑木林の中に人の気配がある。

出来るだけ音を殺して近づき、3人を取り囲もうとしているのだ。

しかし、3人とも腰を下ろしたまま動かなかった。

男は連れの子供たちがこの状況下でも怯まないことに、あらためて感心した。

その落ち着きが単なる虚勢でないこともよく分かっていた。

この男ほどの戦士になると、たとえ剣を交えずとも、その気配や、何気ないしぐさの1つ1つから、相手の力量を推し量ることはたやすい。

その彼の勘は、この黄金の髪をした緑の少女と、漆黒の髪の異国の少年を、相当の腕前の戦士だと教えている。

見た目がどれほど華奢で頼りなくとも、男は自分の勘を信じることにしていた。

「囲まれるね」

落ち着き払って少女が言う。

「らしいな」

平然と男が答える。

「普通は落ち着いている場合じゃないんですけどねぇ」

が苦笑しながら言う。

少女は男を見て、悪戯っぽく笑ったものである。

「僕を当てにしてるの?それとも、1人でこの囲みを突破してみせるつもりなの?」

「お前はどうだ。1人で切り抜けるつもりか。それとも俺を戦力として当てにしているのか」

「2人とも、なかなか楽しい性格してますよね」

曲者の影はだんだん濃くなっている。

そんな中、少女は困ったように笑った。

「自分の性格なんて知らないけど、ウォルももほんと変な人だ」

「ウォルはともかく、私もですか?」

はともかく、俺のどこがそんなにおかしい」

「僕を怖がらないじゃないか」

断定的に言った少女に、男はつい口元を緩め、は呆れたようにため息をつく。

「本当、ずいぶん、いろいろみせたのに、そうして平気な顔してる。変わってるよ」

「それなら、私だっていろいろ見せたじゃないですか。私にも出来ることをあなたがやっているのに、驚く理由がありません。変というのは、ウォルみたいな普通の人がこういう反応をしてることを言うんです」

「なあに、俺のは詰まらん男の見栄というやつだ。それこそこの図体で、お前たちのような小さな子供を怖がったのでは格好がつかん」

曲者の群れはおそらく10人を越えている。

もっといるかもしれないが、木立の影にちらちらして、はっきりと数を確認することは出来ない。

さっきがじりじり狭まってくるのを承知の上だろうに、少女は不意に真顔で言った。

「デルフィニアの人たちって、案外馬鹿だな」

「なんですか、いきなり」

「なぜ?」

「どうしてペールゼン侯爵が嘘八百を並べてまで君を追い出したのか、分からないでいるからさ」

「ああ、そういうことですか」

「俺にも分からんが?」

少女とは面白そうに笑った。

「理由はあなたがペールゼン侯爵の思い通りにならなかったということですよ」

「ペールゼン侯爵は馬鹿じゃないはずだ。むしろかなり頭はいいはずだ。馬鹿には1国の統制を謀るなんてこと出来ないし、事実上デルフィニアの実権を握るところまできたんだから頭が悪いわけがない。その侯爵がこうまで徹底的に君を嫌がってるってことは、すごく意味深じゃないか」

「はて?」

「蔭で実権を握るつもりなら、誰が王様でも構わない理屈だろ。自分の言う通りに動いてくれる人形なら誰だって同じことだ。普通なら君を懐柔して形ばかりの王様にして飾っておくのがペールゼンにとっての最善だったはずだ」

「そういう意味でなら、王宮を知らないあなたは、ペールゼンに限らず周りの貴族からは操りやすい対象に見えたはずです」

「ふむ、確かに」

「なのにペールゼンは君を追い出した。つまり、君は飾り物にしておくことさえ出来ない正真正銘の馬鹿だったか、でなければ、とても侯爵の手には負えない本物の王様だったか。そのどちらかだってことになるんだよ」

「正真正銘の馬鹿のほうかも知れんぞ」

「自分でそう言うあなたのどこが馬鹿なんですか」

「そうさ。君みたいな、ものすごく立派な王様がいやいやながらも王様やってあげようっていってるのにさ。わざわざ自分達で追い払ったりするんだから。馬鹿なことしたもんだ」

少女は足元の土をいじり、小石を拾い上げている。

はベルトについた小物入れを無造作に取り外し、開けて中を覗き込んでいる。

男はじっと腕を組み、瞑想でもしているように2人のしぐさを見守っていた。

今しがたの言葉を反芻してみる。

ペールゼンが何故自分の追い落としを謀ったのかは、今まで考えたことがなかった。

単に自分が邪魔だろうと思っていたが、2人の言うことは的を射ている。

名より実を取るなら、形ばかりの君主は誰であっても構わないはずなのである。

おもしろい子供達だと思った。

その素性がなんであるかは知らないし、人ではないと自分で言ったが、魔性ではないし、まして邪悪なものでは絶対にない。

この魂は清らかに澄んでいる。

そこまで難しく考えなくても、男は単純にこの子供たちを気に入っていた。

それは子供たちも同じだったらしい。

刺客の一団は林に紛れて3人を完全に包囲したようである。

それと同時に充分に態勢を整えた曲者の1人が大剣を抜き払い、卑怯にも、切り株に腰を下ろしたまま彫像のように動かない男の後ろから、狙いを定めて斬りつけようとした。

「ぎゃあっ!」

その途端その曲者は叫んで剣を取り落とした。

少女の手から放たれた小石が、襲撃者の右目に見事命中したのである。

その悲鳴を合図にするかのように、木陰に隠れていた刺客の一団がいっせいに飛び出してきた。









あとがき

デルフィニア戦記第7話終了です。
区切るところが見つからず、かなり長くなってしまいました。
ここまで読んでくださって、ありがとうございました。

6話   戻る   8話