テバ河は緩やかな流れの川だ。

川に飛び込んだ3人は、慣れた泳ぎでゆっくりと川を下った。

充分離れたところで岸辺へ這い上がり、振り返ってみると、城はすっかり炎に包まれていた。

...?」

「?...!?」

はずぶ濡れになった体で草の上でうつぶせになってぐったりしていた。

「どうしたんだ!?」

「大丈夫?」

大声で慌てたようにどこか怪我でもしたのかと体を見る男と、心配そうに顔を覗き込む少女に、苦笑を浮かべながらゆっくりと起き上がる。

「怪我はありませんよ...ところで、ウォル?」

「何だ?」

「あの時(勢いを抑えるために武空術を使った)私にも責任がないとは言えませんけど、あなたの体のほとんどが脂肪ではなく筋肉だと分かってるんですけど、さすがにあなたの位の大きさの方を抱えてるとあまり身動きできないので、次があるようなら私のみぞおちに被害のないようにしてください」

その言葉に、少女は呆れたようにを見下ろし、男はこれだけ話せることに安堵した。

「その元気があれば大丈夫だな」

「...まあ、怪我もしてませんからね」

そう言ってが目を移すと、城が燃え落ちようとしていた。

夜の暗闇の中でその明かりは充分すぎるほど鮮やかだった。

ここまでも炎の燃えさかる音が聞こえてくるようだし、火の粉が赤い雪のように水面に降りそそいでいるのが見える。

少女が呆れたように言った。

「派手なことをやる...」

「全く馬鹿なことをしたものだ。あれほど金のかかった城をあっさり燃やしてしまうとはな。あげくに俺たちを逃がしたとなれば、ダールめ。地団太を踏んで悔しがるだろうよ」

「きっと何か持ち出していたら事故とは思われなかったでしょうからね。苦渋の思いであそこにあったものを諦めたんでしょう」

「これ、やっぱりペールゼンの差し金か?」

「どうでしょうか?これを機にペールゼンの派閥に入りたいと思ったダールが持ちかけたとも考えられます」

「なんにせよ、これで俺の帰国はコーラルに筒抜けだ」

「「なぜ(です)?」」

「ここからコーラルまでには順次砦が建てられているのさ。何か異変が起きたときの用心にな。この火はかなり遠くからでも見える。ダールも近くの砦へ早馬を走らせる。のろしを使えば、今夜のうちにもウィンザが焼失したことはコーラルに届くと、そういう仕掛けだ」

身の危険が一気に大きくなったのが分かっているだろうに、男は物騒に笑っている。

「...ウォル、笑い事じゃありません」

「そうだよ。喜んでる場合じゃないぞ」

「悪いことばかりではないさ。ペールゼンの動きが慌しくなれば、結果的に俺の見方の耳にも入るわけだからな」

どのみち存在を秘したままでは王座奪還などできはしないのだ。

「じゃあもう7日もすれば、ペールゼンの配下も、お前の部下もごたまぜになって、このウィンザを目指してくると言うわけだ。そのとき出迎えるのが国王の死体じゃ、ぞっとしないな」

「このままウィンザにいれば...ですけどね」

「リィ??」

全身ずぶ濡れの、しゃがみこんだ状態のまま、少女が軽く顎をしゃくって森を指して見せた。

の視線もリィの指したほうを向いている。

遠くに盛大に燃えさかる明かりを除けば、辺りは暗い、深い森だ。

突然の火災に獣が騒いでいるが、そのほかにも何やら慌ただしい。

どうやら3人が城と一緒に蒸し焼きにならなかったことに気づいたらしい。

おびただしい数の人間が近寄ってくる気配がする。

「忙しない夜だな」

男は思わずぼやいていた。

それでなくとも今夜は焼肉にされかけ、宙を飛ばされ、濡れ鼠にされている。

さすがに、この上斬りあいは遠慮したい。

「かなりの数だ。30はいる」

「森の中に37、森の外に18ですね」

「分かった。逃げるが勝ちだな」

ウィンザ城の騎士にとって、この辺りは庭のようなものだろう。

対して3人はほとんど土地勘がない。

少女とが頭を振りながら立ち上がった。

男も続いて立ち上がったが、森へ分け入ろうとした2人が不意に足を止め、急いで男を手招きした。

息を潜めて大木の蔭に隠れる。

わずかに遅れて、今まで3人がいた辺りに誰か駆けつけてきた。

松明の火が暗い森の中にいくつも踊り、あちこちで殺気立った人の声がする。

「本当にこの辺りか!?」

「もっと先じゃないのか!」

そんなやり取りが聞こえる。

ダール卿の声が混ざった。

「馬鹿者どもが!これだけ手勢を繰り出して見つけられんのか!」

「申し訳ありません。まさか最上階から脱出するとは露とも思いませず、油断いたしました」

「ええい、そもそも脱出を果たしたと言うのは確かなのか!?翼も持たぬ人の身でどうやってテバへ逃げ込めたというのだ!」

「いえ、間違いございません。我々は皆、正門へ出ましたので気づくのが遅れましたが、確かに水に飛び込む音がいたしました」

3人は、兵士達のそんなやり取りを少し離れた大木の蔭に身をひそめて聞いていた。

なにしろ暗い森の中に松明の明かりが山のように灯っているから、うかつに動けない。

「ご主人様。どこにもいません!」

「もしかして水面を泳いで対岸へ渡ったのではないでしょうか?」

「馬鹿な。テバを渡っていながらまたパラストへ逆戻りしたというのか?」

領主は断言し、次いで怒声を発した。

「あの男をコーラルに入れてみろ!わしの立場がないわ!生死は問わん!何としても捕らえるのだ!」

「はっ!」

「かしこまりました!」

「民家に逃げ込むかもしれん。兵士を総動員して見張らせろ!河へも船を出せ!川べりを探索するのだ!」

主人の命令を受けて兵士達がいっせいに散って行く。

大変な物々しさだった。

周りが静かになると、少女がこっそりと囁いた。

「よほど嫌われてるらしい」

「ああいうのに好かれるよりはマシですよ」

「あいつが悪党だといういい証拠だ」

しかし、困ったことになってしまった。

まわりが中兵隊だらけ、おまけに近くの農村や領地まで通達がいくに違いないという状況である。

「とりあえずこの辺りからは少し離れて行ったようですけど...」

「どうする?お前、どっちへ行きたい?」

「理想は東へ向かうことなんだが...」

男は難しい顔になった。

1度は王と呼ばれた身なので、コーラルまでの主要な道筋はむろん頭に入っている。

だがそれは、敵も分かっているはずだ。

「どの道すんなりとコーラルへは入れまい。河に沿って1度南へ下ろう。遠回りではあるが、とりあえずここから離れることが先決だ」

「分かった」「分かりました」









  第10話    闇夜の森









河沿いといっても、まともに河の縁を進んだのでは、これまた河から丸見えになってしまう。

必然的に3人は森へと踏み込んで行ったのだが、すぐに男の足が鈍くなる。

男の口から軽い舌打ちが漏れる。

予想以上に足元が不安定だったのだ。

森の中には切り株があり、草むらがあり、石が転がっている。

くぼみもあれば段差もある。

むき出しになった木の根もある。

昼間ならともかく、この暗闇では、男はそれらのものを見ることが出来ないのだ。

今夜は月もない。

星の明かりだけで見知らぬ森を自在に進めるのは、夜に生きる獣達だけだ。

人の眼はそこまで鋭くない。

かと言って足元を照らすために明かりを灯せば、ここにいると追っ手に知らせるようなものだ。

「ウォル、どうしたんです?」

「何してるんだ。急がなきゃ追いつかれる」

その通り。

後ろを振り向けば、うごめく松明の明かりが、どんどん増えている。

男は絶望的な気分で、闇に塗りつぶされたような森を見回した。

「いかんな。この暗がりではどうにもならん。太陽さえ昇っていれば...」

「それじゃあ、俺達の姿も丸見えだ。逃げるなら今のうちなんだぞ」

「ええ、今のうちに引き離さないと」

「だめだ。とても思うようには走れん。俺はこの森にはまるで土地勘がない。これがスーシャの森ならば暗闇でもある程度は進めるのだが...ここはどこに何があるのか、さっぱりだ」

「まるで見えないのか?」

「当たり前だ。明かりもなしに...」

「...え?」

言いかけた男の腕を少女がつかんだ。

くるりと背を向け、背負い投げの要領で男の体を浮かせ、楽々と背負い上げた。

「「リィ!」」

「騒ぐな。走るぞ」

「リィ、だったら私が...」

は万が一のためにまわりに気を配ってて」

「...分かりました」

背負われたといっても、なにしろ相手はウォルの胸の辺りまでしかない少女であるから、男の足は地面に引きずりそうだった。

男は慌てて自分の足で立とうとしたのだが、がしぶしぶと少女の言葉を受け入れてすぐに、勢いよく走り始めていたのである。

ものすごい速さだった。

男は思わず少女の背中にしがみついた。

自分の足で歩いていた時には、ろくろく進めなかった森なのに、今は風が頬を切る。

は少女の後を、まったく音を立てずについていく。

2人とも立ち止まりもつまずきもしなかった。

おまけに少女は大の男を背負っていると言うのに、よろめきもしないし、は後ろからどの方向にどの位の距離で何人の兵士がいるかを正確に知らせている。

巧みに切り株をよけ、木の根をよけ、兵士のいるところから反れ、それでも不安定な起伏の多い地面を、2人は飛ぶように駆けた。

たまらず眼を細めながら男は叫んだ。

「お前たち、見えるのか!」

「これだけ星明りがあればな」

「星があるぶん、だいぶはっきりと見えますよ」

驚いたことに松明の火も燃え落ちる城もたちまち遠ざかる。

人の声も気配も消えてしまう。

闇に慣れた眼がかろうじて捕らえることの出来る景色が次々と背中に消えていく。

選りすぐりの駿馬ならともかく、人の背にあっては到底信じられない光景を、男は目の当たりにすることになったのである。

どのくらいそうして走り続けたのか、少女はやがて速度を緩め、もそれにあわせて速度を落とし、少し開けた場所まで来て立ち止まった。

地面に下ろされるのを待つまでもなく、男は慌てて飛び離れた。

金髪の少女はさすがに息が荒く、細い肩が大きく上下している。

男はといえば、驚愕の表情を隠せなかった。

今の今まで少女の背に背負われていたのだが、自分のしがみついた細い肩や背中の下には、いったい何があるのかと急に恐ろしく、薄気味悪くなったのだ。

そして、城から飛び下りたときのことも思い出したらしく、その表情はにも向いている。

それに対しては、まるでしょうがないとでも言うかのように小さく苦笑を返す。

辺りは人の気配もなく、深い闇に抱きすくめられた鬱蒼とした森である。

時折梢がざわつき、夜鳥が低く鳴く。

それが一層の不安を煽った。

「何て顔してる」

「それ、城から出る前にも言ってませんでした?」

「言ったね」

少女の言葉に男は答えなかった。

答えられなかったのだ。

2対の眼が、闇の中できらりと光ったような気がする。

その唇は、ひょっとしたら今にも耳まで裂けるのではないかと、らちもない妄想に襲われる。

そんな男の顔つきに、少女の赤い唇が皮肉の混ざった苦々しい微笑をつくり、少年の顔が困ったような笑みを浮かばせる。

「お前も俺を化け物と呼ぶのか」

男は慌てて首を振る。

「違う。ただ...その、お前のいた所では、そこに生きる人は皆、お前のような生き物かと思っただけだ...」

「だったら化け物呼ばわりなんかされない」

「「.........」」

「俺はどこにいても『異常』だった。この見た目の他は何もかもだ。自分でそう言っているのに人間ときたら、男も女も大人も子供も、俺の外見だけを見て喜んで、ちやほやもてはやして触りたがる。そのくせ、ちらりとでも俺が自分らしく振舞おうものなら、途端に手のひらを返して化け物の大合唱だ。それならはじめから近づいてこなければいい」

「「.........」」

「俺は、俺だ。どんなに異様に見えようと、こういう生き物だ。それがどうしてそんなにいけない?」

2人は、少女が泣くのではないかと思った。

憤然とした怒りに満ちた口調なのだが、その裏にはなんともやりきれない悔しさと悲しみを感じたような、気がしたのだ。

「リィ...グリンダ。お前には1人の味方もいなかったのか?」

「あなたの周りにいた人たちすべてが、あなたはあなたなのだと理解しなかったんですか?」

「.........」

「皆がみんな、お前を化け物と呼んだのか?本当に、1人残らず?」

「...リィ、その銀冠はあなたの友人が作ったものだと言っていたでしょう。その人は、あなたにとって対等な人ではないんですか?」

大きく揺らいだ少女の表情に、男の質問の答えが『否』であり、の質問の答えが『是』であることを知った。

「それならそう、すねたり悲しんだりするな。確かにお前は、尋常の人ではあるまい。俺も、お前が当たり前の少女であるとはもう思わない。だがな、お前のその顔と姿は、女ならば誰であろうと心底から望むものだし、その足と剣の腕は、男の誰もが切望するものだ。それほどの贈り物を次々と与えられていながら、ヤーニスに感謝も贈らず、呪いの言葉を吐き散らすなど、贅沢というものだぞ」

「確かに美人で強いって申し分ないですよね。私の友人達ではそういうのは一癖どころか百癖ありそうな人たちばかりですけど、あなたはせいぜい十癖ぐらいですから。私から見たらリィはとっても、とっても素直ないい子ですよ」

恐ろしくきっぱりと言いきられて、少女は大きく眼を見開いた。

「お前ら...ほんっとに変なやつだな」

「お前に言われたくない。第一、これで3度目だ」

「私としては、2人ともおもしろいと思いますけど」

「それなら、だっておもしろいよ」

はどうだったんだ?」

「ん?周りの人たちの反応ですか?」

「ああ」

「関わりが薄い人には『化け物』とか、『人間じゃない』とか、『道具の癖に』とか言われたことはありますけど、私の大切な人たちは私を『人』として扱ってくれてますよ」

「ねえ、前の2つは分かるんだけど、3つ目ってどういう意味?」

「そのままの意味にとってもらって構いませんよ」

の言葉に2人とも首を捻ったが、男のほうが先に音をあげた。

「さっぱり分からん。どういう意味だ?」

「そうですね....あなたに分かりやすいように言うと、私は『からくり人形』です、ということですかね」

その言葉に2人ともきょとんとして、そのあとを上から下までまじまじと見た。

男のほうは、それでもまだ信じられないようだ。

「人に見えるぞ」

「うん。とても人形には見えないし、じゃなくて、今じゃなかったら冗談だと思うよ」

「当たり前じゃないですか。見かけがまるっきり人形だったら、珍しいもの好きの人間に地の果てまで追いかけられてしまうじゃないですか」

冗談めかして言うと、2人ともくすりと表情を緩めた。

だが、男はすぐに表情を引き締め、少女とに真顔で言う。

「お前たちのことを少しも恐ろしくないと言ったら嘘になってしまうだろう。スーシャでもコーラルでも、おそらくどんな土地でも、お前たちのような生き物...は違うようだが、まとめて言うぞ。お前たちのような生き物は聞いたことがない。向かい合っている相手の正体が分からないということは、リィ、。想像以上に恐ろしいことだぞ」

「「.........」」

「だが、しかしだ。お前たちは俺の命を救ってくれた。何度もだ。特に今は、お前たちがいなければ、俺はまさしくあの燃え落ちる城に取り残され、ここでこうして話していることも出来なかったはずだ。例えお前たちがなんであろうと、その恩を忘れ、命の恩人化け物呼ばわりするほど、俺は恥知らずではないつもりだ」

「「.........」」

「信じられないなら誓ってもいい。決してお前たちを化け物とは言わない」

すると、少女がすぐさま言ったものだ。

「うかつにそんなことは誓わないほうがいい」

「いや、しかし...」

「誓いはいらない。そう言ってくれるだけで充分だ」

「私もその言葉だけで嬉しいですよ。それに、あなたが私を化け物といったとしても、それくらいで嫌いにならない程度にはあなたを気に入っていますから」

「だけど、ウォルみたいなのは人間の中では少数派だろう?」

「まあ、確かに一般的ではないとは思いますけど」

「そうかな?」

「そうさ。ダール卿のようなのが標準のはずだ。ああいうのならよく知ってる。どこにでも腐るほどいるからな」

「腐るほどおられてはたまらんな」

「まあ、その気持ちも分かりますけど。デルフィニアにどれだけいるかは分かりませんけど、この世界全体を見たら実際にそれくらいいると思いますよ」

真顔でぼやいた道連れと、苦笑で返した道連れに、少女はまた悪戯っぽい笑みを向けた。

「ウォル、そんなこと言ってるから、王冠を剥ぎ取られるまで気づかないなんて間抜けなことになるんだぞ。も結構甘いぞ。人の正体なんて大抵があんなもんだ」

「夢も希望もないことをいうやつだ」

「散々甘いと言われてきましたからね、これはもう性分ですよ」

男は苦笑し、か軽く肩をすくめた。

「しかし、あれはあれで使いようだぞ。ダールはペールゼンに心酔しているわけではなく、その威勢を恐れて頭を垂れているにすぎん。ならば、対象が俺になったところで同じことだ。俺が王座を取り戻して国に号令する立場になったならば、ダールは真っ先に出向いてきて忠誠を誓ってくれるだろうよ。説得の手間が省けるというものだ」

2人はまじまじと男を見やっていた。

「またいつ裏切るか分からないものを、そんなに簡単に許してやるつもりか?」

「ウォルのほうが私よりも甘いようですね」

「別に甘いわけではないさ。形ばかりでも俺に従い、頭を下げてくれるものを、許さぬ理由がどこにある?」

男が茶目っ気たっぷりに言い返す。

「相手の中に裏切りの根が残っていると承知していればいい。それだけでだいぶ違うものだ。後はその時考える。何と言っても俺は成り上がりの国王だからな。いきなり尊敬しろといったところで、まあ無理だろうよ」

しばらく黙っていた2人は、やがてにやりと笑って言った。

「「おもしろいな(ですね)」」

「うむ?」

「ぜひともお前に王冠をかぶせてみたくなった」

「ええ、私もです。あ、その時にウォルが言ったような展開になったら、ダール卿を指差して笑っちゃだめですかねぇ?」

一瞬、絶句してしまった王様である。

この2人が子供離れしていることは重々承知しているつもりだったが、その口調といい、気配といい、まるでひとかどの策士か剣豪が太く笑って味方を申し出たような迫力だった。

「それは、頼もしい。だが、笑うときは是非ともこっそりと笑ってくれ」

「善処します」

「こんなところへ落ちてきて、真っ先にお前たちみたいな男と会ったのも、それこそ何かの縁だろうな。暇つぶしにはちょうどいい」

「まあ、確かに。いい暇つぶしですね」

「おいおい。俺にとっては一生の大事だぞ。暇つぶしにされてはかなわん」

「贅沢言わない。さ、行こう。とりあえずこの森を抜けるのが先決だ」

夜目のきく2人の先導で3人はその夜のうちに森を抜け、森を出たところで進路を少し東に変えた。

といっても真東ではなく、南東へと進み始めた。

男は何か心当たりがあるようで、夜が明けると太陽の位置を確かめ、辺りの地形を確かめながら旅を続けた。

相変わらず肩を並べての行軍だったが、横を歩む子供たちを見る男の目が完全に変わったのは言うまでもない。

無論、それまでもただの子供ではないと思っていたのだが、もしかすると本当に人間ではないのかもしれないと、半ば本気で思うようになった。

少女のほうも男を見る眼が変わったようである。

といっても特別な感情を抱いたというわけではなく、完全に『変なやつ』として認識したようだ。

のほうも似たり寄ったりで、2人を『おもしろい子』とひと括りにしている。

「断っとくけど、誉め言葉なんだからな」

「私も、貶しているわけではありませんからね」

「あいにくと、とても誉められている気がせん」

2人の言葉に、男がぼやいた。

森を抜けてしばらく歩いた丘の上で、狩ったばかりの鶏肉を子供たちが器用にさばいて昼食にするところだった。

焼き上がったばかりの肉に塩を振っている横で、が小物入れの中から取り出した鍋で作った鶏がらのスープを器によそっている。

2人とも、すでにの小物入れから予想外のものが出てきても、すでに呆れるだけでまったく驚かなかった。

野外での食事としてはこれ以上のものはない。

3人して無類のご馳走に舌鼓を打った。

中央の権力争いは、首都から遠く離れたこのあたりでも噂になっているらしい。

途中ロシェの街道を横断したが、さまざまな話が3人の耳に飛び込んできた。

近いうちに新しい国王の戴冠式が執り行われるらしいというものから、それを阻止せんとウォル王が国王軍を結成して、すでにコーラル目指して進軍中であるというような話もあり、男は思わず苦笑した。

軍隊どころか、今の自分が持っているものは、身一つのほかには、味方を申し出ている風変わりな子供2人なのである。

「ずいぶんと話が大きくなったものだ。国王軍とはな。人の口というのは弛み始めるときりがないらしい」

「噂と言うは、話した人の主観や願望が入りますからね」

「おもしろいね。確かに。ここってコーラルからは遠いはずなのに、みんなやっぱり期待してるわけだ」

「そうかな?」

「そうだよ。噂がそうなってるんなら、さっさと国王軍、結成しちゃえば?」

「いっそのことどこそこに国王軍が潜伏してると嘘の情報を流したほうが、今後の行動が取りやすいかもしれませんね」

あまりにもあっさりと、しかも真顔で言われてしまったので、男はまた苦笑した。

「俺はどんな神も信じないが、お前たちは本当にバルドウが遣わしたのかも知れんな」

「あいにく、私は神様に対して夢や幻想は持ってませんよ(神様関係の知り合いが多すぎるせいで)」

「僕はどんな神様も信じない」

は知り合いの自称、他称を問わず神と呼ばれるものたちを思い出して肩をすくめ、少女は腰に下げた剣に手をやった。

「僕が信じるものはこの剣と、自分の腕と勘だ。後は全力を尽くして運を天に任せる。大丈夫、何とかなるよ。正義は我にあり、だ」

「確かに。実際そうでしょうね」

「ほう。するとお前たちは、俺を正しいと思ってくれているわけか?」

「僕はペールゼンも改革派も知らない。でも君が嘘を吐いているようには思えない。となると大嘘吐きの悪者は自動的にペールゼンの方だってことになる。簡単な理屈だ」

「それに、ウォルはわざわざ自分から悪者になって迫害される趣味なんかないでしょう」

「確かにそんな趣味はないな」

男が苦笑しながら頷く。

「ところでこれからどうするの?」

「ビルグナを目指す」

男は断言した。

「今の俺は誰が味方で誰が適かわからない状態に置かれているが、間違いなく味方と言いきれる戦力がある。ビルグナ砦もその1つだ」

「でもそれは、あなたがデルフィニアを出る前でしょう?」

「もし、その砦が敵に回っていたら?」

「俺の命運もそれまでだ。王座奪還など到底不可能と諦めるさ。そうなったら、父の救出も単独で行うしかあるまいな」

「単独じゃないってのに」

「私たちのことを忘れないでくださいよ」

男は苦笑しつつ詳しい説明を加えてやった。

「ビルグナ砦を守るのはラモナ騎士団。ティレドン騎士団と並んで、デルフィニアでも屈指の戦力のひとつだ。特にこの両騎士団は、団長同士も含めて堅い結束で結ばれている」

つまりラモナ騎士団と接触できれば、国王健在の報はたちまちティレドン騎士団に、つまりは国王の従弟、騎士バルロに伝わるというわけだ。

「だけどそんな重要地点をペールゼンが放っとくかな。真っ先に抑えにかかるんじゃない?」

「抑えられてないとしても、監視はありそうですよね」

「おそらくな。だが、ビルグナを力で抑えるのは至難の業だぞ。これに対抗しうる戦力はそうはない。ティレドン騎士団長のバルロは、間違ってもビルグナ制圧の命令などださんだろうし、改革派は自分たちの身を守るために、1万の近衛兵団は手元に置いておかねばならんはずだ」

「あと使えそうな戦力は?」

「各地の大貴族と領主軍だろうが、これもな。下手に制圧に向かわせてビルグナと合流されてはたまらんだろうからな」

「中央からも、地方からも、ビルグナに対して何かを仕掛けている可能性は低くなるわけですか」

「ははあ。意外と敵味方の識別が難しい?」

「それはそうさ。ダールのようなものが標準だとお前は言ったが、あれはある意味、まったくもって正しい意見だ。表向きはデルフィニアを掌握したことになっている改革派だが、本心から従っている者となると、さあて...どのくらいいるか」

大多数の領主や貴族にとって、改革派のコーラル掌握は青天の霹靂だったろう。

表立って反抗する領主は1人もいなかったが、保身を考えれば知れも当然のことだ。

改革派は王国の心臓部とも言える首都コーラルと近衛兵団を押さえていたのだから、逆らうことはほぼ自滅に等しかったのである。

「ビルグナも改革派に面と向かって反抗はしなかった。積極的な支持にもまわらなかったが、父の謀略説を一応は肯定し、改革派に賛同の意を示したはずだ」

「なのにビルグナを信じる根拠は?」

男は少し首を傾げて考えた。

「俺はあの騎士団を知っている。団長の人柄もよく知っている。それだけだ」

「それだけね」

少女は冷やかすようにその言葉を繰り返し、はそれに含み笑いをする。

「ふふっ。いいですねぇ」

「いいね。そういうの。すごくいいよ」

「馬鹿にしてるのか?」

「まさか。誉めてる」

「ええ。そういう答えは大好きですよ」

悪戯っぽい笑みを向けられて男も笑った。

10歳以上も年下の子供たちだというのに、その気構えといい、心のあり方といい、男とよく似た何かを感じるのは気のせいだろうか。

デルフィニア人でもないのに男の味方をしてくれるという。

しかも何を目当てというわけでもなく、報酬のことなど考えてもいない。

自分で言うように単なる気まぐれか暇つぶしで助力を申し出てきたのである。

それもいい、と男は思っていた。

型破りは男自身のそれでもある。

森を抜けた辺りから高地が続き、1面の緑に覆われた、緩やかな丘陵地帯が現れた。

山というほど険しくはないが、平地を歩むようなわけにはいかない。

並の人間なら、途端に足が鈍くなるところだが、3人は楽々と斜面を越えていった。

少し高い丘に登ると、すばらしい展望である。

「いい空気だ...」

「風が気持ちいいですね...」

「緑が好きか?」

「うん。ウィンザ上みたいなピカピカより、ずっと好きだな。この方が落ち着くよ」

「まったくだ」

「あれのほうが落ち着くなんていうのは、よほど趣味が悪い人だけですよ」

軽く肩をすくめる。

「俺もこういう空気は肌に合う。スーシャの緑はもっと深いがな」

「深いというと...寒いところですか?」

「山の中なの?」

「というよりは森の中だ。気候も厳しい。今の時分ならまだ雪も残っている」

男は感慨深げである。

「スーシャはデルフィニアでも、最も北に位置するところだ。それこそタウが目の前でな。恐ろしいくらいの威容だった。何もない、暮らしにくい田舎だと人は言うが、俺は美しいところだと思っている」

2人は真顔で頷いた。

「分かるよ」

「...私もです」

男は黙って2人を見やった。

その口調からして、この子供たちの見覚えているところも、かなり厳しい土地柄なのだと思った。

「コーラルはどんなところ?」

「それはもう、この辺りの景観が嘘のような町並だ。ある意味ではダールの城よりピカピカしているかも知れんぞ。なにしろ押しも押されぬ文化の一等地だからな」

2人は困ったように顔をしかめた。

「苦手なんだけどなあ。そういうの」

「ぜひその『ある意味』が、悪趣味でないことを祈ります...」

並外れた健脚の3人がビルグナ砦にたどり着いたのは、ウィンザを脱出してから3日目のことだった。









あとがき

デルフィニア戦記第10話終了です。
ここまで読んでくださって、ありがとうございました。

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