夜になると野宿を繰り返していた彼らだが、ある晩、急に土砂降りに振られ、男は2人を促して街道沿いに建っていた宿に逃げ込んだ。

ロシェの街道は中央を横断する商業行路だから、今の季節ならば旅人の足が途絶えることはない。

街道沿いの要所には宿場町ができ賑わっているが、野中にも不意の旅行客を泊めるための宿屋がある。

大抵は雨風がしのげればいい程度の山小屋だったり、あるいは大きな農家が余った部屋に旅人を泊めたりするものだが、このときの宿屋は一軒家にしてはかなり上等だった。

立派な石造りの2階建てで、入り口には看板が掛けてある。

急の雨にお客がいっせいに押し寄せたようで、入り口では小者たちが旅人の世話に大わらわだった。

街道沿いならばこのような店はいくらでも見つけることができるが、今までずっと野宿をしてきた少女は立派な建物に驚いているようだ。

もちろんもこの世界で初めて入る建物に興味を示し、まじまじと建物を見つめている。

「ここに入るの?お金かかりそうだけど...」

「そのくらいの持ち合わせはある。このままではデルフィニアに入る前に風邪で殺されるぞ」

「足りなかったら言って下さいね。現金は持ってませんが、換金できるものは少しくらいありますから」

「心配ないさ」

入ってみると、1階は広場を兼ねた大広間になっていて、突き当りには大きな暖炉があり、赤々と火が燃えている。

他にも何人かが同じように雨に追われて駆け込んできて、卓について談笑しているもの、あるいは暖炉に当たっているもの、様々だ。

ずぶ濡れになって飛び込んだ少女と少年と男の組み合わせを、誰も連れだとは思わなかったらしい。

暖炉のそばで衣服を乾かしていた男たちは、リィのことを少年だと勘違いしたらしく、手招きして衣服を乾かすように勧めてくれた。

「ぼうやたち、いくらこの陽気でもそのままでは風邪を引くよ。早く来ているものを脱いで、ここへ掛けたがいい」

穏やかな顔立ちの旅人がそう言って場所を開けてくれたことに、2人は素直に礼を言って、リィは剣を外し、はベルトにつけていた小物入れを外してから、衣服をするりと脱ぎ捨てた。

少女のほんのりと淡い肌と、の象牙色の肌があらわになる。

女の体は動きにくいといってわざわざ白いさらしの包帯を巻いていたおかげで、少女の上半身がさらさずにすんだのは幸いというものだったろう。

のほうも少女を少年として扱っていたため、少女が衣服を脱いだらどんな反応をされるかなど、頭からすっぽり抜け落ちている。

少女は水を含んだ頭の布も取り、長い髪を解きほぐして火にかざす。

ぐっしょりと濡れているものの純金のような長い髪を目の当たりにして、男たちは呆気にとられた。

そして、普段は衣服に隠されている花の形の宝石がついたペンダントが、の胸元で揺れながら暖炉の火にきらめく様子に息を呑む。

少年がどこからか取り出した乾いた布で少女の髪を乾かすのを手伝っていることから連れだと分かるが、こんな年頃の子供たちが高価そうな装飾品を身につけて2人だけで雨の酒場にやってくるとは、おかしなことだった。

「驚いた。お譲ちゃんかね?」

「今はね」

尋ねた旅人に少女は平然と答え、その答えにわけが分からず旅人が首を傾げるのを見て、ウォルは宿屋の主人に宿代を払いながら苦笑し、が少女の体だったことを思い出してそう言えばという顔になる。

「ちょいと小粒だが、上玉じゃねえか」

長い金髪と上等の宝石を見て、酒場の隅で呑んでいたらしい中年の男が、ふらりと立ち上がって暖炉へ近寄って行った。

滑らかの少女の肌を見て口元がだらしなく緩み、輝く宝石を見て目が欲に染まる。

「お前ら、旅芸人の一座からはぐれでもしたのか?それとも逃げ出したのか?金が必要ならその首飾り買ってやろうか?お前のほうも体を売るのが商売なら、高く買ってやるぜ」

その言葉には呆れたように男を見やり、少女は酒臭い息を吐きながら少女の肩を抱こうとしている男の手をぴしりと打った。

「へ...気の強えガキだ」

少女の反応を面白がっている男に、先の旅人が慌てて割って入る。

「およしなさいよ。こんな子供に...」

「うるせえ。こういう娘には、ちっとお仕置きが必要だぜ」

相手は自分より頭ひとつ小さい少女だと、無理やりにでも手込めにするつもりで抱きすくめようとしたが、少女と共にも握りこぶしをつくって構え、迎え撃つ形で同時に男の顔を殴りつけた。

「こ、このガキども!!」

2人にとっては大したことのない程度の力だったが、男にとってはかなりの力で、倒れこそしなかったが大きくよろめいた。

しかも少女が殴った口の端からは血が流れ、が殴った目の上は大きく腫れ上がっている。

「かわいがってやろうってのに何しやがる!」

「大きなお世話だ」

「酔っ払いの戯言でも許されないものがあるんですよ」

2人の言葉にからんできた男も旅人も呆気にとられた。

そしてウォルは次の展開がどうなるのかと、少し離れたところで黙って見物していた。

「俺はな、お前のようにこの顔と体だけを見て人を口説きにかかるような大馬鹿野郎にはうんざりしてるんだ。他を当たりな」

「(外見だけとは言え)女性に対する態度がゲス以下ですね。どうせ酔っていなかったとしても女性に相手にされるわけがないでしょうから、1人でそこの隅で酒を飲んでれば良いでしょうに」

申し分もない美しい少女の口から出てくる言葉は大の男も顔負けの凄みがあり、穏やかそうな少年の口から出てくる言葉は隠されることもない棘が大量に含まれ非常に冷たい。

男は2人の口からこんな言葉が出てくるとは夢にも思わなかったらしく、目と耳を疑っている。

聞いていたウォルは微かに笑みを浮かべ、相変わらず2人の様子を見物している。

しかし少女は剣に手をかけようともしていないし、も特に構えをとるわけでもない。

2人とも強く握ったら折れてしまいそうな細い腕で大の男の相手が出来るかどうかは、疑問の残るところだ。

「こ、このガキどもが!大人を馬鹿にするとどういうことになるか教えてやらあ!」

ところがだ、叫んで掴みかかった男の手をひらりと交わし、少女はその腹を思い切り膝で蹴り上げ、少年は少女の頭の上を通すように足を振り上げ、男の顔面に靴の先をめり込ませた。

それに男がぐえっと呻いて膝をついたところに、少女が首筋に手刀をひとつ送りこみ、その男をあっさりと床に沈めたのである。

ほんの一瞬のことに、酒場の人間が唖然となって見つめる中で、2人は男を見下ろして呟いた。

「口ほどにもない」

「外見ばかり大人でも意味がないでしょうに」

そして、また少女の長い髪を乾かしにかかったのである。









  第5話   嵐の夜









後になってウォルはしみじみと言ったものだ。

「神々の中でもっとも賢明なはずのヤーニスも、今度ばかりは仕事を間違えたらしい」

「ヤーニス?」

「何それ?こっちの神様?」

「そうだ。あらゆる生き物をつくり、魂を吹き込み、知恵を授ける神のことだ。いったいヤーニスは、なぜお前たちの魂に見合うような体をくださらなかったのかな?リィは誰もが愛らしいと思うに間違いないその顔で、その姿で、中にあるのは豪気な戦士の魂だ。はどう見ても人を殴るようには見えないその穏やかな顔で、中にあるのは冷厳な戦士の魂だしな。姿かたちで判断されるのは、特にリィには面白くなかろうが、それでは見ているこちらのほうも堪らんぞ」

少女はまだ生乾きの長い髪を垂らし額にあの銀の宝冠をつけて、は服の上に出したペンダントを片手で玩びながら男の言葉を聞いていた。

旅館の中の1室である。

本当は少なくとも2部屋とろうとしたのだが、急な雨と言うこともあって、とてもそんな余裕はないと言われたのである。

少女は部屋に入るなり、ひとつしかない寝台を見て、厳しい顔で連れの男と少年を振り返った。

「今のうちに言っておくけど、ウォル、、妙な気を起こしたら承知しないからな」

「馬鹿を言うな」

「ありえませんから」

男は呆れて少し声を大きくし、は非常に真面目な顔でキッパリと言い放った。

「俺にはお前のような子供を口説く趣味はない。大体言うことがおかしいではないか。そんな心配は娘がするものだ。なのにお前、今まで少年だったといって置きながら、そうして男を牽制するのか?」

「そうですよ。まあ、さっきの下での出来事が気に触ってるなら仕方ありませんけど」

「僕だってこんな情けないことを言いたくない」

少女はきつく唇を噛んでいる。

「だけど...それだけ変なのが多いんだ。男の体でいるときも、結構言い寄られたりしたから」

「さっきのようなことか?」

少女が黙って頷くと、は顔をしかめた。

「そんな(同性の子供に言い寄る)変態を放置してるなんて...」

「ああいうことは今までも良くあったのか?」

「うんざりするほどね。あと、そいつらが放っとかれるのは表面的にはばれてないからだよ」

「何かその、不埒な真似でもされたのか?」

「誰がさせるもんか。1人残らず張ったおした」

「偉い!そんな変態には、容赦無用です」

憤然と話していた少女はの言った言葉にきょとんとして、男は苦笑をもらしていた。

「ならば何も問題はなかろう。俺がお前に不埒な真似をしようとしたら、同じように張ったおせば済むことだ。お前にはそれが出来るのだろうが」

「確かに腕力はウォルよりリィが上ですものね」

「.........」

「第一、お前のようなものを好んで口説くほど俺は酔狂ではないぞ。人なのか、人でないのか、少年なのか、さっぱり分からないものを、どうして手込めにしようと思える?」

「私は人ではありませんから(生き物でもありませんけど)、そういう欲求が理解できませんし...リィとは歳が離れすぎていて、一番近くてもせいぜい曽祖父と曾孫と言ったところですねぇ」

言葉は悪くとも悪戯っぽく言ったウォルと、少し考えながらも割りと真剣に言ったのギャップに少女も笑った。

少女は長く垂らしていた金の髪を摘み上げる。

「だいたいこの髪が良くないんだ。男はみんなこういうきらきらした髪が好きだからさ。茶色とか灰色とか、いっそ黒い髪だったら良かったのに」

「馬鹿を言うな。もったいない」

「そうですよ。リィにぴったり合った綺麗な色なんですから」

真顔で反論した2人に少女は噴出した。

寝台の端で膝を抱えて座っていたのだが、しばらくの間体を丸めて笑い転げていた。

笑いを収め、やっと起き上がると、言ったものである。

「ウォルも、も、変なやつだな」

「俺も?」「私も?」

「そうだよ。変わってる。は人間じゃないって言ってるけど、ウォルはほんとに人間?」

「あ、私も普通の人間か少し疑問に思いました」

「なにい?」

男の口から突拍子もない声が漏れる。

「何を馬鹿なことを。俺はお前たちと違って正真正銘の人間だぞ?それ以外のものになど、なった覚えも、なるつもりもない」

「そういうことを大真面目に言うのが変わってるって言うんだよ」

「そうですよ。普通の人は、自分は普通だ何て力説しないですよ」

2人は悪戯っぽく笑った。

そうして少女は初めて穏やかな表情になり、膝を抱え込むと、長い金の髪が抱えた膝に流れ落ちている。

「だけど真っ先に出会ったのが君たちみたいな人でよかったよ。これからどうなるのかと思ったもん」

男は、それでやっとこの少女が今まで非常に緊張していたことに気がつき、は少女の緊張が緩んだことに穏やかな笑みを向けている。

どれだけ強くても、人間離れしていようと、ここにいるのは頼れる人も持たない子供で、心細い思いをしているのだと思った。

そこまで思い至った男は、傍らの少年に目を移した。

がいくら314歳を自称しているとは言え、見た目はまるっきり子供である。

「お前たち、親はいるのか?」

「いないよ。そう言ったじゃないか」

「ええ、私もこの世界に身寄りはないと答えたと思うんですが」

「ここにいないとしても...お前のいるべきところには?」

「そういう意味でなら、1つ(の世界)には養母(はは)と師匠が存命です。もう1つには息子と、孫たちと、曾孫が(さらにもう1つに弟が2人いますが、あの2人にもそろそろ孫がいてもおかしくない頃だろうし...さすがに、頼るのは大変だろうしなぁ)」

「いない。9歳のときに死んだ」

男はの言葉の後半にそんな馬鹿なと呆れた顔をし、少女の言葉に痛ましく思う気持ち半分と、いぶかしく思う気持ちを半分覚えた。

そんな歳の子供が1人で暮らしていけるわけがない。

「では今までお前の面倒は誰が見ていた?」

それに少女は面白そうに笑った。

「やっぱりここでも9歳というのはまだ子供らしいな」

「それは、しょうがないんじゃないですか?人は動物と比べてもかなり自立する年齢が高いですから」

「何?...一概には言えんが、町の子供なら早ければ11、2で奉公に出る。農家の子ならもっと幼いうちから親を手伝って働くはずだ。騎士の子ならば15かそこらで初陣を迎えるはずだが...」

「うーん、早いと言えば早いな。けど、遅いと言えば遅いか」

「何のことだ?」

「何と比べてるんですか?」

「だって、僕が親から離れて独り立ちをしたのは4歳のときだよ」

男はあんぐりと口を明けて少女を見つめ、は少女を感心したように見つめた。

「別に1人で暮らし始めたわけじゃないよ。ただ、それまで留守番だったのに、一緒に狩りに行くようになったのが4歳のときなんだ」

「4歳で狩り?」

「じゃあ、その頃から獲物に追いつけるぐらい走れるようになったんですね」

「そう、その頃やっと仲間に負けないくらい走れるようになった。だから狩りに出て一緒に獲物を狩った。それからは1人前として扱ってもらえたし、僕もそのつもりだった。ところが...」

少女はそこまで言うと、ちょっと苦笑した。

「君たちの間ではそれが通用しない。僕は今でも子供のままらしい」

「まあ、私も仕事を始めたのは2歳で、きちんと資格を取ったのは4歳のときですが...一応そのときの姿も今のままでしたからね。リィの体が一般的な4歳児だったのなら、人間社会では子ども扱いされるでしょうね」

男は目を見張って寝台の端に腰を下ろした少女と、傍らに立つ少年を見つめ、慎重に言った。

「お前たちのいた所の流儀は知らんが...その歳で1人前扱いしろというのは...確かに無理だな。普通なら」

「やっぱりね」

「そうでしょうね」

「ところ変われば品変わるって言うもんね」

少し意味が違う。

「だがな、リィ。以前はどうだか知らんが、とにもかくにも、その体でいる以上もう少し気を使ったほうが良いぞ。人の眼にはお前は13の子供なのだし、付け加えれば美しい娘にしか見えんのだからな。さっきのようにいきなり肌をあらわにしては誰だって何事かと思う」

「それこそ君たちの感覚では、僕はほんの子供だろう?それでも裸になったらだめなの?」

のように少年ならともかく、少女ではな。やめておいたほうがいい。もう3年もすれば結婚してもおかしくない年頃だ」

「確かに16なら子供が産めるようになっているでしょうけど...」

「16で結婚?ずいぶん早いな」

「お前たちのいた所では違うのか?」

「人間の結婚適齢期は良く分からないけど、16はちょっと早いんじゃないかな?」

「16歳以下でも結婚できる国もありますけど...男性と変わらないくらいの仕事をこなしているの女性も多いので、結婚の適齢期は結構遅いですね」

「こちらでは早いものでは16、7、普通なら20くらいが婚期だぞ。娘は、だがな」

「男の人は?」

「それは別に決まっていない。早いものでは17、8。遅ければ40で妻を迎える男もいる。早いものは貴族の子弟か王族。遅いものは身代を整えるのに時間のかかる商人や農家のものだ」

少女はくるりと瞳を傾げて男を見やった。

「ウォルは?」

「俺はまだひとり身だ」

「いくつ?」

「24」

「へぇ...」

「...意外と若かったんですね」

「うん、驚いた。それにしちゃずいぶん老けてるね。30超えてるのかと思った」

「私も20代後半から30代前半かと...」

男は声を立てて笑った。

「口の悪いやつらだ。30過ぎはひどいな」

そう言って悪戯っぽく笑う顔は、いきいきと張りもあり、精悍な魅力にあふれている。

確かに若いことは若いのだが、2人とも納得しかねる顔で首をひねっていた。

「そうだよね。見た目は若いのにね」

「そうですね...やっぱり雰囲気でしょうか?」

「うん。なんだかこう態度がすごく、おじさん臭い?よく言えば貫禄があるって言うのかな?他は知らないけど」

「何となく年齢よりも醸しだす感じがかなり大人っぽいというか、老成してるというか」

「それに前から思ってたんだけど、あまりお金で剣を切り売りする用心棒には見えないんだけど?」

「ええ、どちらかと言うと人につかわれるよりも、人をつかってるほうが想像しやすいですよね」

「誉め言葉と受け取っていいのかな?」

「「そのつもりだよ(ですよ)」」

男はますます面白そうに笑った。

も雰囲気は大人っぽいし、リィもそうしてると愛らしい少女そのものなのにな」

その言葉に実際にかなり年上のは苦笑し、少女はまた顔をしかめる。

「美しいと言われることさえ嫌か?」

「女の子なら素直に喜べただろうけどね。顔で狩りをするわけでも戦うわけでもないし、僕にはむしろ邪魔だ」

男は恋をするには便利だろうに、と言いかけてやめた。

どんな反応を示すか容易に想像できる。

「しかし、自分の顔だ。そう嫌ってもはじまるない」

「嫌いなわけじゃない。ただ、この顔で得をしたことは1度もない。おまけにこの頃は不愉快なことばかり多いからな」

「そうですか?リィくらい眼の保養になると、買い物のときたくさんおまけとかもらいませんか?」

この話題になって口調と共に表情も冷たくなっていた少女が、の言葉にきょとんとして軽く笑う。

「しかし、みんながみんな不純な目的でお前を誉めたわけではあるまいよ。俺も、お前のその髪も、顔立ちも、姿も、美しいと思うし、いずれはどんな美しい娘になるかと楽しみにもなる」

「僕には全然楽しくない」

「そりゃあ、男の子に綺麗はあまり誉め言葉じゃないと思いますが...って、リィ?」

まるで抑揚のない声で言ったあと、寝台から降りて部屋の隅まで行き、そこで丸くなった娘に、が首を傾げる。

「そのベット、1人で満員だろ?だからいい。ここで寝る」

「それなら俺が床で寝る。幸いにもお前たちはたいして大ききないのだから、2人がここに寝ろ」

「別にリィだけで良いんじゃないですか?私も床で良いですし」

こんな少女(体だけだとしても)を床で寝かせて、自分たちが寝床を占領することなど出来るわけがない。

しかし、少女も頑固である。

「この天気に床で寝ることなんかなんでもない。真冬に雪の中で寝てたんだから。なまぬるいくらいだ」

「俺だって、床どころか固い岩の上でも木の上でも構わずになられるぞ。お前たちが使え」

「私だってそうですよ。リィは体が変わってしまったんですから、今日くらいは柔らかい...かどうかは分かりませんが、ベットで眠ってください」

しばらく睨み合ったあと、少女は呆れたように言った。

「ひょっとしてここに泊まろうって言ったの、僕たちのためだったりする?」

「え?そうなんですか?」

「嵐の中で眠ったりして風邪でも引いては大変だと思ったからな」

2人は目を見張って、くすりと笑った。

「やれやれ、お金無駄にしちゃったな」

「そうですね。もったいないですよねぇ」

「何、たまには屋根の下で寝るのもいい。特にこんな夜はな」

外ではごうごうと風がうなりを上げている。

春の嵐だった。

「デルフィニアの国境まであとわずかだが...」

床に座り込んだ男が言う。

「何が待っているかは俺にも分からん。それこそ命を落とすことになるかもしれん。引き返すなら今のうちだぞ」

「「どこへ(ですか)?」」

「.........」

「この大地の上のどこを捜しても、僕のいる場所はないんだ。どこへ引き返せって?」

「この世界に帰る場所はありませんし、一緒に行くと決めたのは私自身ですよ」

「.........」

「他に何をする当てがあるわけじゃないしね。それこそたまにはこんなのも良いよ」

「ええ、予定の決まってない旅行は久しぶりです」

寝台は空のまま放り出されて、3人は部屋のお隅に三角形になるように陣取っている。

2人はデルフィニアがなぜ危ないのか、なぜ危険を冒して男がそこへ向かっているのか、尋ねようとはしない。

男も、2人が何者なのか、今までどこにいたのか、詳しく尋ねようとはしなかった。

男は1人であることを強要されて、少女は突然ひとりぼっちで放り出されて、少年はまた誰も知っている者がいないところに来て、自然と寄りそう相手を捜していたのかもしれない。

それがこんな風に奇妙な、不思議と分かり合えそうな話し相手を見つけたと、口には出さなくとも、3人とも因縁のおもしろさを感じていた。

少女と男はどちらも床で寝ることに決めたらしく、座り込んだまま動かない。

そしてはそれを見てしょうがないとばかりにため息をつくと、床に座り込んでいる2人に話しかけた。

「ちょっと2人ともこっちに来てください。要するに、このベットが3人とも余裕で寝られるくらい大きければ問題ないんですよね?」

「?、ああ、それはそうだが、あいにくとベットはこれだけだぞ?」

「とりあえずこっちに来てください」

そう言われて2人は首を傾げながらも、の近くへと移動した。

は2人が近くに来ると、小物入れの中から、中に入っていたにしては長すぎる木の棒のようなものを取り出した。

そんなものが出てきたことに男は目を見張り、少女は何をするつもりなのかとまじまじと見つめた。

そしてがそれをベットに向かって軽く振ると、光と共にベットがドアが開閉できる程度のスペースを残し、一瞬で大きくなった。

その光景に男はぎょっとし、少女は驚いたようにを見た。

「魔法か?」

「ええ、ウォルの言っていたものとは多少異なりますが、一応少しは使えますから」

しばらく呆気にとられていた男が、大きくなったベットを見ながら感嘆の声を漏らす。

「驚いたな。こんな魔法は初めて見たぞ...ほんとに人間ではなさそうだな」

「誤解しないでください。ちゃんと人間の魔法使いもいますよ。ただ私が人間じゃない魔法使いというだけです」

「なあ、俺の体にかかっている魔法は解けないのか?」

「リィにかかっているような、常に状態を変え続けるような強い魔法は、私も聞いたことがないので無理ですね」

「そうか」

残念そうにため息をつくリィに苦笑しながら、は杖をしまった。

その様子を男がまじまじと見ていた。

「そんな小さなものに、とてもそんな大きなものが入るとは思えないが、それも魔法か?」

「そのようなものですね。さてと、これで宿代を無駄にしないで心置きなく寝られますね」

そう言ったに普通に頷く少女もだが、面白そうに笑っている男もかなり豪胆だといえるかもしれない。











あとがき

デルフィニア戦記第5話終了です。
ウォルなら実際に魔法を見せても、驚くのは最初だけで、あっさりと受け入れてしまうと思います。
魔法街のあの案内人に対する反応を考えるとですが。

4話   戻る   6話