南ポートナムの領主。セリエ卿は困惑の極みに達していた。
朝から立て続けに不思議な報告を受けたのである。
近頃、自分の領内に妙な連中が住みついていることは知っていた。
訴えて出るものがほとんどいないので、しかとは分からないながらも、かなりの狼藉を働いているらしいということも耳にしていた。
卿としても、何らかの手段を講じる必要を感じていたところ、今日になって家来が言うには、その無頼者どもが一人残らず、何者かによって退治されたらしいという。
驚いてさらに詳しい聞きこみをやらせたところ、被害に遭った農民たちが口を揃えて言うには、タウの自由民と名乗る男たちが、新たな家畜を飼うようにと多額の金銭を置いていったという。
皆々、その男たちに手を合わせる思いだったともいう。
どういうことかと首を傾げているところへ、紛れもない国王の筆跡による書簡が届いたのである。
内容は、貴殿の領内を荒らしていた者どもは、すべてタウの自由民が捕えた由、その裁きを国王権限においてタウに一任するものであり、追跡も追及も無用とある。
卿は首を傾げっぱなしだった。
突然、流浪の国王の来訪を受けたのは、つい2日前のことである。
その時の国王は子供の従者を2人連れているだけだった。
もちろん卿は、子供たちのことなど気に止めていなかったので、男と2人が領内を荒らしていた者のほとんどを倒したとは考えもしない。
当然のように、その者たちを全員倒したのは、タウの山賊たちだと考える。
タウの山賊は小国の軍隊にも匹敵する力を持ちながら、どこの国の味方も、どんな権力者の指揮下にも入らない存在であるはずだった。
しかし、この状況では、タウの山賊が、あの国王の指揮で動いたとしか思えないではないか。
実際には単なる偶然なのだが、セリエ卿はそんなことは知らない。
感心もし、驚嘆もした。
王権奪回の話を半信半疑で聞いていたが、もしかしたら、あの国王は本当にコーラつを取り戻してしまうかもしれない。
真実デルフィニアの君主として立つ日も、決して夢ではないかもしれない。
覚えず、武将の血が騒いだ。
味方を要請された時も実を言えば、それも悪くないと思ったのだ。
自ら王位を望んだのではないにせよ、どう考えてもペールゼンを筆頭とする改革派は政権を力尽くで奪ったのだとしか思えないし、たかだか官僚上がりの侯爵に支配者面してあれこれ指図されるのは、それこそ我慢ならない。
むろん、保身を考えれば、まだ動くのは早過ぎる時期だ。
情勢が見えてくるまでもうしばらくじっとしているべきなのだが、自分の中にあの国王に対する好感があることは否めない。
これも思い返した。好悪で動くなど軽率かつ単純極まる。
大勢の家来の命運を預かる身だ。
もっと深い思慮を持って動くべきである。
しかし、それでは、深慮とは何か。
自問せざるを得ない。
王国がこのままでいいとは思っていない。
よかろうはずはない。
5年もの間、デルフィニアは主君を持たなかった。
卿を含む諸侯たちは仕える相手を失い、止むなくペールゼンらの官僚政治に従ったが、これまた同輩であるはずの、もしくは位取りの違う相手の指図を受けるのだから、面白かろうはずはない。
ウォル・グリークが現われたとき、卿はむしろほっとした。
他にもそういうものは多くあったはずだ。
妾腹の生まれだろうと何だろうと、ただ一人の前国王の遺児である。
喜んで仕えようと思った。
ところが、一度は迎え入れておきながら、ペールゼンを代表とする一派は言いがかりとしか思えぬような理由で国王を追放した。
またもや官僚政治に逆戻りかと、苦々しい思いを噛みしめているところへ、あの国王はコーラルに戦いを挑むために、たった一人で戻ってきた。
潮時かもしれない。
そう思った。
こうも考えた。
あの王は今一人だ。なにも持っていないように見える。
味方をするだけ無駄のように思える。
だが実際には、ペールゼン達の改革派には持ち得ない財産を持っているのではないか。
大勢の見えない人の心という宝石を、すでに掴んでいるのではないか。
奇しくもそれは、ビルグナで国王本人と子供たちも同じように感じ、また感謝していることでもあった。
卿は自分と同じように、現状打開を望んで、あの若い国王に思いを寄せる人は案外の数があるのではないかと、無性にそんな気がするのだ。
思索にふけっている卿の元へ、家来の一人が慌ててやってきたのはその時である。
「ご主人様。お客様でございます」
「誰だ?」
「ロアのドラ将軍様とご家来衆五百名。ラモナ騎士団長ナシアス様と騎士団員二千名。揃ってお越しでございます」
セリエ卿は一瞬、絶句した。
ドラ将軍はコーラルに幽閉の身であるはず。
しかも騎士団員二千名となれば、ラモナ騎士団の全戦力ではないか。
思わず目で確認をとると、家来も分かっていたようで急いで頷いた。
「皆さま、入念な戦支度でございまして、それぞれ大掛かりな荷駄隊を引き連れ、大変勇ましいお姿でございます。コーラルへ進軍する道すがら、素通りするのも無礼である故、まずはご挨拶までとの口上でございます」
セリエ卿は低く唸った。
国王の言うことは本当だったのかとまず思った。
ドラ将軍が自由の身とあるならば、現状傍観の姿勢にあるロアからスーシャを含む中北部は一斉に態度を翻し、あの男の味方につくはずだ。
稀代の猛将と呼ばれるドラ将軍だ。
そのくらいの影響力は持っている。
さらにビルグナが動いたのなら、両翼と並び称されるティレドン騎士団の本拠地マレバが足踏みをするはずがない。
もともとマレバは団長であるバルロを救い出そうと血眼になっている。
そのため今はコーラルの管理下に置かれ、外部との連絡が一切取れないように隔離されているはずだが、騒ぎが大きくなればいつまでも隠し通せるはずがない。
いずれは騎士団内部に知れるところとなる。
起爆剤には充分過ぎる材料だ。
これらすべてが偶然に偶然が重なり、国王のはったりの一部が現実になったのだとは誰も思うまい。
あとでこれを知ったが、追放されてからの不運が一気に逆転している最中なんだろうかと思わず唸ってしまったくらいだ。
「あの...ご主人様。実は、ドラ将軍様とナシアス様が、ぜひともご主人にお会いしたいとのご希望でございますが...いかがいたしましょう?」
これほどの大軍の来訪を受けたことのない執事は口ごもりながら言う。
「お会いしよう。お通しするのだ」
セリエ卿は張りのある声で言いつけた。
すでに腹は決まっていた。
第21話 夕日
日が暮れる頃ロシェの街道に差し掛かると、タウの男たちは国王一行から離れて行った。
彼らはこのまま、街道を横断して北上し、スーシャを経由する形でタウに入る。
一方のウォル達は、付かず離れず街道に沿う形でロアへ向かうことになる。
顔を知られているため、街道そのものをたどることは出来ないが、地元の者が使う細道はいくつもあるのだ。
男は、タウへ向かう一隊の指揮官であるマイキーに、短いが丁寧な別れの言葉を述べた。
マイキーは彼ら山岳民が信じる神に、国王の前途と無事を祈ってくれた。
もっともこれは国王自身の為というよりも、友人の為であったらしい。
名残惜しげに肩を抱いていった。
イヴンもまた、いつまでも、別れていく仲間たちを見送っていた。
食客であったというが、実際には相当深くタウの暮らしに馴染んでいたらしい。
ましてこれが今生の別れになるかも知れないのだ。
ウォルは見送りを邪魔するようなことも、先を急かすようなこともせずに、ずっと幼馴染の背中を見つめていた。
タウの男たちと子供たちはさらに少し離れたところで2人の様子を見守り、少女がタウの男たちを見上げて尋ねたものである。
「ベノアの村ってタウの中では大きい?」
「ああ、大きいね」
フレッカが答え、サルジが後を受けて言う。
「タウの中でも古い歴史がある村だ。タウの中心であり、まとめ役でもある」
「それなら、ベノアの頭目っていうのは、かなりの実力者なのかな?」
「もちろんだとも。それどころか。20人いる頭目の中で、ベノアのジル頭目に肩を並べられるのは、ほんの2、3人だろうよ」
「へぇ...」
「そう聞くと、結構お年を召した方のように思いますけど...もともとタウ出身でないイヴンを副頭目にしたなら、まだ頭の柔らかい年齢だったりしますか?」
「確かにジル頭目も若いといやあ若いが、タウを目指して逃げ込んだものは誰であろうと、誓いを守る限りは快く受け入れるからな」
「なるほど、よそ者には厳しくない場所なんですね」
「でも、ベノアの村の人は全員イヴンの副頭目に納得したのかな?」
男たちはこれには面白そうに笑った。
「嬢ちゃんもなかなか、いっぱしの口をきくねえ」
「確かに、例のないことだ。ベノアに生まれ育った連中にはあまり面白くないことだったかもしれないな。しかしだ」
男たちはそこで真顔になった。
「それは言ってはいけないのがタウの掟だ。俺たちは長い間、独立を守り、俺たちを縛りつけようとする連中と戦ってきた。生まれ素姓は関係ない。肝心なのは俺たちと同じ心を持っているかどうかだ」
「あの副頭目は年は若いが、良い男だぜ。腕は立つし、頭も切れる。きっぷもいい。ベノアの頭目が惚れこむのも無理はないさ」
「ふうん...」「へぇ...」
子供たちもまた、仲間たちを見送っているイヴンの背中と、その背中を見守っているウォルの後ろ背中に目をやった。
「でもそれならウォルだって、その副頭目が惚れこんで無理はないくらいの、良い男だと思うけどな」
「ウォルも懐いているようですし、どちらかというと相思相愛では?」
「言いたいことは分かるけど、使い方が間違ってるよ」
男たちは思わず噴き出した。
「いや、まったく、2人とも面白い」
「上手いこと言うもんだ。確かに、あの王様も、面白い」
「おうよ。王様でなければ、良い自由民になったろうによ」
「自由民ウォル......確かに、違和感がありませんね。ちょっと抜けてそうですけど」
1人がそんなことを言い出し、他の者は懸命に声をひそめ、苦笑を堪えたものである。
だが、それもが真顔で言った一言で、よりリアルに想像してしまい噴き出した。
もっとも、そのあと誰もが懸命に笑いをこらえることになったが。
こんなことはとても大声で言えない。
まして、役人や偉い人には到底聞かせられないと、そういうわけだ。
「一度、副頭目があの王様のことを話すのを聞いたことがある...いや、あのときはまさか、王様のことだとは思わなかったが、今思えば、あの王様のことなんだろうな」
ツールのブランが、何やらしみじみと言いだした。
「こてんぱんに貶してたな。自分より年上の癖に、とろいわ、鈍いわ、融通効かないわ...救いがたいと言ってなさった。珍しいことに、よほど気に言ってなさるんだろうと思ったもんだ」
「うーん、さすが幼馴染ですね」
的確に男のことを言い当てた言葉に、は思わず感心するが、少女は不思議そうに緑の目をくるりと動かした。
「気にいってるのに、そんなに悪く言うの?」
「ベノアの副頭目はそういう人なんだよ。本気で悪く言ってるわけじゃねえ。むしろあの人が誰かを褒めあげたりしたら、その方が恐いぞ」
「ははあ...」
「リィ、ウォルの短所は、ある意味長所でしょう?」
「...なるほど」
分かるような、分からないような気がしながらも曖昧に頷く少女に、は苦笑しながら言った。
今度は納得して頷いた少女に苦笑しながら、ブランは続けて言った。
「歳もお若いしな。そうそう純に友人を褒めあげも出来ねえんだろうよ」
「ちげえねえや」
フレッカが笑って同意した。
「あの人は妙にそういう、可愛いところがあるよ。女に対しては気障な口説き文句がいくらでも出てくるのにな」
それぞれ四十がらみに見えるブランとフレッカだが、ほんの若造に過ぎないイヴンを語る言葉遣いは丁寧なものだ。
子供たちはそれを見ていて、タウの男たちの規律の厳しさも、この男たちがイヴンに寄せている好意のほども、分かるような気がした。
「それならいっそのことタウへ誘っちゃどうだと言ったもんだが、何でも家を継がなきゃならない貴族の坊ちゃんで、山賊には出来ねえと言ってなすった。それがなんとなあ...」
「ああ。あの王様ならいい頭目になるだろうによ」
この男たちもかなりの無茶を言う。
夕焼けに赤く染まる仲間の最後の背中が見えなくなると、イヴンはようやく踵を返し、とたんに至近距離でじっと自分を見つめている幼馴染の目線とかち合わせた。
「な、何だよ?」
あんまり真剣な顔をしているので思わずたじろぐと、ウォルはためらったように言いだしてきた。
「本当に戻らなくても良かったのか?」
「何をいまさら。じゃあお前、俺がいない方がいいのかよ?」
「馬鹿を言うな。俺はただ、お前を副頭目に推してくれた人に対して、義理を欠くようなことになってはと案じただけだ」
イヴンは低く笑った。
一癖も二癖もありそうな、曲者の笑い方だ。
この男には妙に似合っている。
「山賊のお頭とその子分の間を本気で心配するんだからな、この王様はよ」
「イヴン...茶化すな」
「分かってる。分かってるよ。大丈夫。ベノアの頭目はそんな肝っ玉の小さい人じゃない」
上から下まで黒一色の山賊は悪戯っぽく笑って見せた。
「それより、お前が王様の落とし胤だったって聞いた時はたまげたぜ」
「それは夕べ聞いた」
「まあ聞けよ。俺はな、これでもう2度とお前に会えないと思ったんだ」
男は不思議そうな顔になった。
「おかしなことを。いかに王宮暮らしが窮屈でも、そこまでかしこまってはいないぞ。城を訪ねて名を告げてくれさえすれば、俺はいつでも喜んでお前に会っただろうに...」
「違う、違う」
イヴンは首を振って言った。
「そうじゃあねえよ。俺の言うのは、2度と以前のお前に会えないと思った。そういうことさ」
男は真顔になって友人を見た。
イヴンは皮肉な微笑を浮かべている。
「権力を握った人間はがらりと変わっちまうからな。まして文字通りの王様暮らしだ。中央はおろか大陸中からかき集められる贅沢と快楽、追従を言う取り巻き連中、着飾った貴婦人たち、一声で自在に動かせる強力な軍隊と神にも等しい権力。そんな物に囲まれて変わらないでいられる方がおかしい。誰だってのぼせ上がる。権力を楽しむことに夢中になっちまう。
お前もそうなると思ったのさ。いくらお前が鈍くても、田舎育ちでも、王座が尻に馴染むにつれ、王冠が頭に馴染むにつれ、権力に醜くしがみつく連中の1人に、きっとなっちまうんだろうとな」
「あいにく俺の田舎育ちは筋金入りでな。馴染む暇とてなかったぞ。余人ならばともかく、そのくらい、お前なら分かりそうなものだ」
仏頂面のまま男は言い返し、イヴンは声を上げて笑った。
「まったくなあ...お前、一応戴冠式を挙げた王様だろうがよ。そんな地方領主の息子のままで、お付きの従者だの側近だのがよく黙ってたよな。ええ、ウォリー?」
懐かしい愛称で呼ばれて、ウォルも笑みを浮かべた。
「俺のやること為すこといちいち目くじらを立てていたがな。それこそ仕方ない。諦めてもらうしかなかったし、これからもそうしてもらうさ。そもそも、どんなに環境が変わったところで熊の子が白鳥に化けるはずもない。違うか、イヴ?」
これも昔の愛称で呼ばれて、くすぐったそうに肩をすくめた山賊は、ふいに真顔で言った。
「獅子には化けるかもしれないぜ」
「......」
男はとっさに返す言葉がなかった。
獅子はデルフィニア王家の紋章である。
咆哮する獅子の横顔に2本の剣を交差させた雄々しいものだ。
国王だけが身につけ、旗印にすることを許されているものだ。
あいにくはその紋章を知らなかったので、剣には彫り込まれていないが、知っていたら間違いなく素晴らしい獅子を描いていただろう。
「俺は、それが見たくなった」
山賊の碧い目がほんの一瞬、鋭い光を浮かべたが、すぐに消える。
かわりにとぼけた笑みを唇に浮かべて、昔馴染みの背中を叩いた。
「さあ。行こうぜ。だいぶ時間をつぶしちまった。ねぐらを探そう。明日中にはロアにたどり着きたいからな」
味方をする理由など大したことではないと言いたげだった。
あるいは一瞬でも真剣になった自分に照れているのかもしれなかった。
ほんの少年の頃からの知り合いで、そんな気性は充分に分かっていたのだが、男は思わず声をかけていた。
「イヴン」
「何だ?」
「いや...」
男は首を振った。
何か友人の厚意に報いる言葉を探そうとしたのだが、面と向かって礼など言うのは気恥ずかしいし、第一、笑い飛ばされてしまう可能性が大である。
このことをに言ったら、似た者同士じゃないですかとでも返してくれたかもしれない。
男はためらいがちに言った。
「考えたのだがな...」
「うん?」
「怒らんで聞いてくれ。仮にだ。俺が王座を取り戻したら、いや、必ず取り戻してみせるつもりだが、その時お前に褒美として何を与えればいい?」
イヴンはにやりと笑って答えた。
「そういうのをな、取らぬ狸の何とやらって言うんだぜ。おおっと、失敬。それはこれからの手柄の立て方次第でしょうな。国王陛下」
「こいつ...」
国王は苦笑して友人の後を追った。
緑のはずのあたりは一面、紅に染まっている。
いつまでも暮れないように思える夕日に、子供たちは目を細めていた。
あとがき
デルフィニア戦記第21話終了です。
ここまで読んでくださって、ありがとうございました。
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