3人はなだらかなの道を歩き続け、今は川沿いの森の入り口で焚火を囲んでいた。
焚火には皮をはいだウサギと絞めて羽をむしられた鳥が仲良く掛けられ、香ばしい臭いを立てている。
ウサギは少女が、鳥はが狩った。
最初は男が金を出して近くの農家から食料を分けてもらおうとしたのだが、少女とが止めさせた。
「命を狙われてるんなら、あまり人前に出るようなことはしないほうがいい」
「そうですよ。農家の方が情報を話してしまうならともかく、その人たちを人質に取られるかもしれないんですから」
「もっともな話だが、獣を狩るための弓矢も罠も持っていないのだぞ」
「いらないよ、そんなもの」「必要ありません」
その言葉通り、少女は男から借りた短剣を投じたのみで、は落ちていた大き目の石を強めに投げただけで獲物を倒してしまった。
そして一流の猟師でもこれほどのことが出来るかといぶかしむ男をよそに、と少女はかまどを作り、獲物を捌いてさっさと火にくべてしまった。
かまどの火を調整しているの横で、少女は暗がりに赤々と燃える炎を見つめながら両手で頬を包み、苦笑を浮かべている。
「さすがに、まいったな」
「どうした?」「どうかしましたか?」
「言っても絶対に信じてくれないだろうけど...」
「うむ?」
「ついさっきまで、ぼく、男だったんだ」
少女の言葉に男は何を馬鹿なことをとでも言うかのように大きく首を振った。
男の反応に少女はちらりと目を動かしため息をつく。
「だろうな」
「当たり前だ。そういう話を信じろというほうが無理だぞ」
「僕だって信じられない。道理で何だか体が変だったわけだ」
はそんな2人の反応を見ながらも、少女の言葉は本当のことなのだろうと何となく理解していた。
(この世界の技術では不可能でしょうけど、この世界以外から来ているとするならありえますし...世界を渡った反動と考えられなくもないですしねぇ)
「俺にはお前は生まれたときからその体でいるとしか思えないがな。どう見ても娘の顔だ。第一その髪は何だ?それも急に伸びたというのか?」
「これは前からさ。それにこの顔も前からだ」
「その顔で、その髪で、どうして男だ?」
「出会ったころ男だと思い込んでませんでしたか?」
「...お前は分かってたのか?」
「まあ、男性と女性では骨格が違いますから...ところで、その体はちゃんとあなたのものなんですよね?」
男の言葉に答えた後、まじめな顔で少女に尋ねるに、男は呆れたような目を向ける。
の言葉で自分の話しを信じていることが分かった少女は、少し意外そうな顔をしてを見た後、同じように真顔で答えた。
「これは僕の体だよ。いつもと同じように走れたし、戦えた。見ただろ?他人の体じゃああはいかない」
「では、お前は女に生まれて今まで成長したということだ。それで説明がつくではないか」
男の言葉に少女はまた首を振った。
第2話 かけられた魔法
「君がさっき言ったじゃないか。僕の足には魔法がかかってるのかって...」
「ああ」
「足にじゃない。この足はもともと速い。体にかけられたんだ」
男はその言葉に呆れかえり、は少女の言葉を反芻しながら頭の中でいくつかの仮説を組み立てる。
「誰かがお前に魔法をかけて、男から女の姿に変えたと言うのか?」
(それがこの子をあの場所に移動させる前なのか、後なのか、その途中なのかで相手の力量も変わりますよね...)
考え込んでいるの横で、男は言葉を口にしながらもなぜこんな荒唐無稽な話にまじめに付き合ってるのか不思議に思った。
おそらくそれは少女との顔が真剣なことと、昼間に見た不思議な力が男に考えるだけの譲歩を促していたからだろう。
「馬鹿を言うな。そんな魔法は誰も使えん。あれは...呪術もそうだが、万能のように言われても、実際には単なる目くらましやまじないを行うのがせいぜいだ。方角を占ったり、勝機を予想したり、少々派手なところで人を呪ったり...効き目があるかどうかは怪しいものだがな」
「ここではそうでも、僕のいたところでは自分の意思で姿を変えられる魔法使いがごろごろいたよ」
「姿を変える?」
「ごろごろですか?」
「そうさ。男になったり、女になったり、同じ人なのに年を取ったり若返ったり。目や髪の色まで変えたり。中には服を変えるみたいに、しょっちゅう違う体にしてるのもいた。遠くから見たんじゃもう誰か分からない」
少女はあははと楽しそうに笑って、急に大きくため息をついた。
「だけどまさか、自分でやるはめになるとは思わなかった。僕の意思じゃないんだから、きっと誰かが悪戯したんだろうな」
「そうですね。私も自分の姿なら変えられますけど、他の人の姿は変えられませんから戻すことは出来なさそうですしねぇ」
「?、君も姿変えられるんだ?」
「ええ、最も色だけは黒いままですけど...この世界にも魔法を使える方はいるでしょうけど、表には出て来なさそうですよね」
少女との言葉を聞いて、男は疑わしげな、気味の悪いものを見る目で眼の前の2人を窺がっていた。
1人は小さな少女だ。すんなりと伸びた手足を簡単な胴着に包み、長い金の髪をきっちり結い上げて、宝石のついた銀の輪を載せ、その頭を元通り白い布切れで包んでいる。
もう1人は少女よりせいぜい1つか2つ上の少年だ。このあたりであまり見かけない顔立ちと服装だが、少年らしくすらりとした手足に黒い服を纏っているため本来より細く見えているのだろう。黒い髪が炎の光を反射しきらきらと輝いて見える。
二人とも目の色も、ゆっくりとしゃべる様子もいたって正常に見えるのに、話す言葉のほとんどが男には理解できない。
当然形のいい頭で何を思い、何を考えているのかも分からない。
炎の陰になった緑の目が、猫の眼のように光った気がして男は固唾を呑んだ。
「お前の...お前たちのいたころというのは、どこだ?」
「多分、この地上の何処でもないところ」
「確実に、この世界の何処でもないところです」
「お前たちは...」
男の瞳に真剣勝負さながらの光が浮かび、ごくりと唾を呑み、慎重に言った。
「お前たちは...なんだ?人間か?」
「「違う(違います)」」
空には満天の星が輝き、大地には赤々と火が燃えていて、周りには人の気配もない。
春の風がざわざわと梢を鳴らし、木に繋いだ男の馬が落ち塚投げに低く嘶き、遠くで獣達の呼び合う声がした。
男は腰から話して地面においてあった剣を引き寄せたが、また手を離した。
それを眼の端で捉えていたは、男の精神的な強さを垣間見わずかに口元に笑みを載せる。
「人でないなら...何だ?」
「何に見える?」
「あれだけ気配を抑えられるということは野生の獣ですか?」
「へぇ...君は?」
「何に見えますか?」
先ほどの少女と同じように問い返すが、その表情は少女が真顔だったのに対し、は薄く笑みを浮かべている。
その傍らで無言で見詰める男から、2人は不意に視線を焚火に移した。
「肉」
「む......?」
「肉がこげる」
そういうと少女は気に刺してあった肉を取り上げてかぶりつき、男に笑いかけた。
それを見たは何かを思い出したように懐を探って小さな瓶を取り出した。
「食べないとだめになるよ」
「ちょっと遅いかもしれませんが、お塩使いますか?」
「...何でそんなの持ってるわけ?」
「武器は忘れても、調味料は忘れないようにしてるんです」
「それ笑って言うことじゃないと思うよ」
そんな2人の気の抜けるようなやり取りに、男は必要以上に緊張していたことがばかばかしくなり大きくため息を吐いて肉の塊を取り上げ、から塩を受け取った。
「何処から来たか知らんが...さっさと自分が来たところへ帰ったらどうだ?」
「帰れないから困ってる」
「私もすぐには帰れないんですよ」
「なぜ帰れない?」
男の問いに少女は難しい顔になって肉を食べるのも忘れて考え込み、は苦笑を返す。
「帰る方法が分からない」
「それなりに制約があるので」
男がその答えに肩をすくめるのと同時に、少女が不意に問いかけた。
「パラストは中央を3分する大国の1つ。そう言ったね。他の1つがデルフィニア?」
「それも知らないのか?そうだ、残る1つがタンガだ」
「パラスト、タンガ、デルフィニア...」
その国の名前を口に乗せた少女は、まったく聞き覚えがないというように首を振った。
「あいにく私も聞いたことがない国名ですね。確実に迷子ですね」
「僕も徹底的に迷子だな。その他にも国はたくさんある?」
「もちろんだ」
そう答えた後、男は誰でも知っているようなことを知らない2人に微妙な顔になる。
「お前たち、ここへ来てからどのくらいになる?」
「「半日(です)」」
「何だと?」
「気がついたらさっきの花畑で、もうちょっとで君が殺されるところだった」
「気がついたら花畑で知り合いの子達にも見せたい光景だなぁと思ってたら、追われているあなたが走ってきて、一緒に取り囲まれました」
男は2人の答えに目を見張り、こんな場合だが小さく噴出していた。
「お前達、そんなわけも分からぬ状況でいきなり俺を救ってくれたわけか?」
「ここのやり方じゃ1人に対して大勢がかかるのは卑怯って言わないわけ?」
「いきなり見ず知らずの人を取り囲んで殺そうとするのは、やっぱり失礼なことでしょう?」
「1対1の勝負なら邪魔なんかしないで見物してたよ」
「巻き込まれた私達に『逃げろ』と声をかけて、助けようとする人を見殺しには出来ませんよ」
「それは重ねて礼を言うべきだろうな」
そういってまじめに頭を下げた男に、少女のほうが困惑顔になり、はその様子を面白そうに眺めている。
しばらくしげしげと男を見つめ、少女がまた突拍子もないことを訊いた。
「ここって人間はどの位いる?」
「どの位とは?」
「だから、その1国って言うのはどの位の大きさかって言うことだよ。たとえば同国同士で戦争が出来るくらいいる?」
「国が大きければ多くの人がいるさ。特にこのパラストはタンガ、デルフィニアと並んで大陸の中でも屈指の大国だ」
「...?それにしちゃ随分ひなびてるみたいだけど?」
「国境の近くと言ってましたけど、国境の近くに大きな町とかは無いんですか?」
「いや、人がいないのはここが田舎だからだ。さっきも言ったが、モザイや首都アヴィヨンへでも向かえば見飽きるほど人がいるぞ。それに国境沿いも大きな町は無いがそれなりに町はある」
「アヴィヨンがパラストの首都なの?」
「そうだ、パラスト1の大都市だ。オーロン王の居住もここにある。ロシェの街道にも沿ってるからな。大変な賑わいの街だぞ」
「へぇ(王政なんでしょうか?それともただの象徴でしょうか?)」
「そこに王様がいて政治をしてるの?」
「ああ、少なくともパラストではな。オーロンは腰の重い、贅沢好きの王だからな。滅多にアヴィヨンを動きはせん」
「王様って偉い?」
「あ、それは私も聞きたいです」
2人の言葉に、男は耳を疑った。
「何だと?」
「いや、偉いのは分かってるんだけど、つまり...どの位の権力があるのかな?」
「国の中で1番権力を持ってるのは王様なんですか?」
「あ、ああ、国の中で1番権力を握ってるに決まってるではないか」
「ほんとに?」「本当にですか?」
2人はどこか悪戯っぽく、男の反応を窺がうように目の色を覗き込んだ。
「表向きそうでも、以外に実権を握ってるのは1番の側近だったりするし、もっと悪くすると王様は完全に飾り物の場合もあるし」
「王様の年齢が若すぎたり、年を取りすぎていたりしたら、確実に実権は王様から外れてその側近か親族に移行しますよね?」
「あるいは名目上1番偉いだけで、皆の意見の調整役だったりすることもあるし」
「王族は血族婚とかあるでしょうし、そうなると立場的に義理の父とか兄弟の意見って発言力を持ちますし」
「1番健康的なのでも...そうだな、力のある強い王様なら自分達の国を豊かに居心地よくしてくれるから従ってるって言うのもあるだろうし」
「まあ、表では王様の自意識を満足させながら、裏でばれないようにいろいろやる家臣もいるでしょうけど」
「逆を言えば、王様がどんな無茶をしてもどんな横暴をしても、皆が王様怖さに黙って言うことを聞いてくれるなんて言う状況は?滅多に無いと思うけど」
「そんな状況なら立派な家臣や王の息子の中で真面目そうなのが、汚名をかぶって失脚する状況になるんでしょうねぇ」
2人の言葉に男はあっけにとられた。
2人の言った内容が年端も無い子供の言うで無かったということもあるが、普通は国王という権威に対して時に悪口を言い、時に軽口を叩いても、基本的に『偉い人』だということを疑ったりはしない。
それは彼らが成長する過程において、水が砂地に染み込むようにごく自然に染め上げられたものだからだ。
国王に近い貴族階級でも、よほど聡明なもので無ければ言えないような内容であった。
「お前たち...そういうことはやたらと口にしないほうが良いぞ」
「ははあ?下手に言うと罰せられる?」
「それもある。それもあるが...間違いなく、異端視されるぞ。国王は...国王というものは畏敬されなければならないものだ。そう...貴族から農民まで、国一丸となってのその意識こそが、王を王たらしめていると言ってもいい。だからこそ国王は自分の権威を示そうと懸命になるのだし、その補佐を務める貴族達も人の手本となって国王を盛り立てる。国民に侮られるような国王では国が成り立たん。いや、そもそも王の力というものは、どれだけ多くの人間がその王を支持するかで決まるものだ。つまり...」
「中身はどうあれ、見た目だけでも偉いことにしておかなければならないわけだ」
「外面って大事ですよねぇ」
「...恐ろしいことをいうやつらだな」
「そっちだって、結構怖いこと言ってるじゃないか。ちゃんと説明するんだから。普通こんなときは常識人なら、怒るか薄気味悪く思うかのどちらかだ」
「そうですよ。もっともあなたがかなり度胸があるおかげで、説明を聞けたというのもありますけど」
自分達で聞いておきながら褒めてるのか貶してるのか分からないことを言う2人に、男は饒舌になった自分に自嘲交じりの苦笑を漏らした。
「俺は...多く旅をして、いろいろな国を見てきたからな。王といえども完全無欠ではないことも、結局は1人の人間に過ぎないことも分かっている。人に聞かれては困るから口にはせんがな」
「じゃあ、僕もそうする」
「私も人のいる所では気をつけましょう」
「人のいるところではなんだ?」
「人のいるところで堂々と言うのも面白そうですけど、止めておいたほうが良さそうなので」
そんな2人の様子を男は興味深げに眺めている。
男は2人が話していた『違う世界』から来ただとか、姿は変わったという話しを何処まで本気に取って良いものか計りかねていたが、考えたところで答えは出ないと、自分の五感と直感を信じることにした。
要するに、この2人はそれぞれの信念と正義感から自分の命を助けてくれた。多少変わったところはあるが、忌しいものには見えないということである。
あとがき
デルフィニア戦記第2話終了です。
メインの2人の名前が出せませんでした...
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3話