「...またですか......」
は目の前に広がる花畑とその周囲をぐるりと囲む木々を見て深々とため息をついた。
黄色い花は大人の脚まで埋まるほど伸び、時折吹く風にゆらゆらとその身を揺らしていた。
その様子を見ながらがあの子やあの子達にも見せたい光景ですねと少し現実逃避をしていたとき、人の走ってくる音と時折聞こえてくる金属音を聞きつけふっと顔を音のするほうに向けた。
が顔を向けたと同時に、花畑と森の境の山道から1人の旅姿の男と、甲冑を身に纏った中世の騎士のような者たちが花を乱暴に踏みしめながら、のいる方へと走ってきた。
そこに人がいるとは思わなかったのか、旅姿の男は焦ったような顔をしてに逃げろと叫んだ。
しかし甲冑を身に纏った刺客たちは、目配せし合うと男との周りをぐるりと取り囲んだ。
周りを取り囲まれ男がを巻き込んでしまったのを悔いるようにギリッと剣を握り締めたとき、と男の目前の花畑の中から誰かがむくりと頭を起こした。
それに男も刺客たちもいきなり人が現れたことに驚いたが、は目の前にあった生体反応が人であったことに驚き、動物並みの気配の消し方だと非常に感心した。
そして男や刺客たち以上に驚いていたのは、花畑の中で眠りこけていた12、3歳ほどの人影らしい。
目の前に広がる光景に、座り込んだままあっけにとられた表情で男達を見つめている。
「危ない!逃げろ!」
いち早く我に返った男の叫び声で、刺客たちもさっと目配せする。
目配せされた刺客たちは頷き返すと、刺客は丸腰のとしゃがみ込んだままの少年へと殺気をこめて走り寄った。
それに気づいた男がわが身を省みずに助けようとしたが、横合いから他の者がすばやく回り込み行く手を遮る。
「何の罪咎もない子供たちまで殺す気か!」
男の他者を巻き込むことへの憤怒と子供が己の犠牲になることへの悲痛な叫びに、は正義感の強いまっすぐな友人達を思い出し微かな笑みを口元に乗せた。
そして刺客がと少年に剣を振り下ろし斬り伏せた...正確には斬り伏せようとした。
振りかぶった剣は間違いなく少年達の頭を狙っており、と少年以外の目にはその小さな体が血に染まり倒れると見えた。
ところが剣が頭に振り下ろされた時には、少年の姿はそこには無く、またの姿も無かった。
「なにっ!」
「馬鹿な!何処へ行った!」
慌てる刺客の頭上でぴかっと刃が光った。
そして少年に斬りかかった男は困惑の表情を貼り付けたまま、ぐらりと傾いで花畑に倒れこんだ。
それと同時にゴキリッという音と共に、に斬りかかった刺客の首がありえない方向に曲がりゆっくりと花畑の中に沈みこんだ。
男たちは戦うのも忘れ、唖然としてその光景に見入った。
一瞬の動作で宙高く飛び上がり自分を殺そうとした刺客を返り討ちにした少年は、無造作に剣を引っさげて立っていた。
そして剣が振り下ろされた瞬間に刺客の背後に回り片手で首をへし折ったは、手に黒いグローブをつけゆっくりと周りを見渡した。
人を殺しておきながら、の目はともかくとして、少年の目にも何の感情も浮かんでいない。
それどころか今まさに斬りあいを始めようとしている男たちを不機嫌そうに見やり、鼻を鳴らした。
「1人を相手に...ごお、ろく...10人?」
「私達が殺した方を含めれば12人ですね。まあ、何人かそちらの方が倒してるようですけど」
「ふーん...呆れた話だ。どういう理由があるのか知らないが、気に入らないな。おまけに問答無用で俺まで殺そうとするとはどういうことだ?」
「さあ...?戦い方を知らない人たちなら確実に殺されてましたよねぇ」
不機嫌な声とのんびりとした声で言い放ち、殺されかかっていた男を振り向き悠然と声をかけた。
「「助太刀するぜ(します)」」
2人にそう言われた男はぽかんと口を開け驚きをあらわにした。
そんな男を尻目に、少年とは軽い足取りで踏み出し、敵が密集しているところに無造作に近づき、少年が2人を斬り伏せ、も2人を殴り倒しナイフで止めを刺す。
男にとって突然の援護は、安堵するよりも我が目を疑るものだった。
13前後の少年達が片や大剣を片手に精鋭の騎士たちを斬り捨て、片や振り下ろされる剣をかいくぐり騎士たちを叩き伏せる。
敵もさすがに踏みとどまり、数人がかりで少年達を必死に倒そうとするが、それに倒れないどころか数人相手に互角の立ち回りを演じている。
あまりのことに男は一瞬、今の状態さえ忘れて棒立ちになったが、男は並々ならぬ剣士だったらしく即座に立ち直り剣を構えなおしていた。
「ご助勢、感謝する!」
味方を得た男の動きも、水を得た魚のように、防戦一方だった態勢から攻撃に転じ、縦横に剣を振るった。
6対3の戦いだったが、3人があっという間に4人を倒し、残りの2人はとてもかなわないと思ったのか仲間を放り捨てて逃げ出していった。
後に残されたのは無残に踏みにじられた花畑と、鮮やかな黄色を不気味に染める10の死体、そして旅の男と、剣を使う少年とであった。
第1話 もう1人の迷子
男は剣を拭って鞘に収め息を整えると、自分の胸ほどまでしかない突然の見方に丁寧に礼を述べた。
「危ういところをすまなかった。礼を言う」
剣を収めた少年は周りを見回し、首を傾げ、じっと男とを見つめ話しかけてきた。
「君たちここの人?」
「いいえ、私はここの人ではありませんね。てっきりあなたもここの人かと思ったんですが」
「俺もこのあたりにはあまり詳しくない」
「教えて欲しいんだけど.........ここ...どこ?」
「あ、それは私も聞きたいです」
2人の言葉に男は首を傾げた。
少年は明らかに困惑していて、は軽い世間話でも話しているような雰囲気だったが、2人とも迷子というわけではなく、本来いるべきところと違ったところに来てしまったという感じは非常に似通っていた。
少年の問いに逆に困惑したような顔をする男に、2人は首を傾げた。
「助けた代わりといっちゃあなんだけど、何処なのか教えてくれないかな?」
「まあ、私達が勝手に手を出したと言われればそうなんですけど...」
「あ、これはすまん。そうさな、ロシェの街道からはだいぶ外れているが、モザイの近くだ」
「モザイ?」
「ロシェの街道にモザイ...ですか...」
「モザイはパラストの地方都市のひとつだ。セレネイの国境にも近いからな。大きな城砦がある。このすぐ近くだ」
「パラスト?」
「パラストの地方都市、セレネイの国境に、城砦...(やはり違う世界なんですねぇ)」
聞きなれない地名に首を傾げる少年と、男の言った言葉を反芻するに、男は驚愕の顔つきになる。
「何を寝ぼけたことを言っている!中央を3分する大国のひとつではないか!」
「へぇー、そうなんですか」
「ちょっと待ってよ!?まさか...まさかここ、ボンジュイじゃないのか?」
「何だその『ボンジュイ』というのは?」
少年が驚いたように言った言葉に、男に真顔で聞き返され、少年は目を真ん丸にして叫んだ。
「やっぱり違うの!?じゃ、ここ何処だ!?」
「だから、先も言ったがモザイの近くだ。パラストの最も西であり、中央の入り口だ」
男の言葉に少年は大きく呻くと、慌てて体のあちこちを探り始める。
腰の剣を確かめ、頭に手をやり、衣服を撫で、最後に両手を広げて絶望的な呻きをもらした。
「どうなってるんだ、いったい...」
(もしかして...というかほぼ確実に私と同じように世界を越えてきたとか...?自分の体を確かめていたということは、本来の状態と変わらないのに周りだけが変わって混乱してる...といったところでしょうか?)
少年を眺めながら考え事をしていると、横から少し緊迫感のある声で男が話しかけてきた。
「ここにいては危ない。お前たち、行き先は?」
「危ない?...そう言えば2人逃がしてましたね」
「...行き先?」
「そうだ。何処の子供か知らんが、家が近くにあるようならすぐに駆け戻って決して戻って表に出るな。旅の途中だというなら一刻も早くここから立ち去れ。さっきの連中が戻ってくれば、必ずお前らをも狙うだろう。あ、だが東には向かうな。出来るだけ遠ざかるんだ。命を救ってもらったというのに、あいにく何の礼も出来ないが、せめてもの気持ちとしてこれを受け取ってくれ」
男は懐から銀貨2枚を取り出して少年とに1枚ずつ取り出したが、2人とも手を出そうとはしなかった。
「君は?」
「何?」
「「君(あなた)の行く先は?」」
「俺は...東へ向かう。デルフィニアへな。行かねばならない」
「じゃあ、一緒に行く」
「おい!」
「行く当てはないんだ」
「私もありませんねぇ」
「大体、人に東に行くなって言うからには何か危ないことがあるんだろう?なのに自分はそこに行くってどういうことさ?」
「そうですよね...それにさっきのような状況になったときに私たちみたいに加勢してくれる人が、都合よく現れるわけないですし」
自分よりも小さく頼りなく見える2人の輝く緑と漆黒の目がまっすぐに見つめ返し、その視線の中に込められた真摯な光に男はたじろいだ。
「...行くあてが、ないと?」
「うん」「ありません」
「身寄りは?」
「ないよ」「(この世界には)いません」
2人の返答を聞いて考えあぐねている男をよそに、の横にいた少年が血に染まった花畑を見回し、男を促した。
「早く逃げたほうが良いんじゃないの?」
その言葉に我に返った男はひとまず少年達の素性もこれからのことも後回しにした。
「分かった。来い」
3人は急いで殺人現場を立ち去った。
男が言ったように街道から離れてるとは言え、人に見られるとも限らない。
しかしその場から離れても、途中でもし人に見られたら何かあったと一目で分かるほど男は血に濡れていたし、男ほどではないが少年も返り血を浴びていた。
あの暗殺一家に鍛えられたはもちろん返り血を浴びてはいなかったが、この2人と一緒にいれば間違いなくも不審な目で見られていただろう。
「さっきの連中、いったい何?」
「俺も知りたい」
「生き残ったのがまた引き返してくるの?」
「おそらくな」
「今度は同じ人数かその倍以上来そうですよね。まあ、そうするとこそこそとは動けないでしょうけど」
男は近くに隠してあった馬にひらりとまたがると、鞍の前と後ろに少年とを乗せようとしたが、首を振って乗ろうとしなかった。
「いい、走る」
「私も走ります」
「馬鹿を言うな。急いでここから立ち去らねば、命が危ないのだぞ」
「少なくとも僕はその馬より早く走れる」
「おや、あなたもですか?奇遇ですねぇ」
「へぇ、君もなんだ」
2人の言葉に男は気が確かか疑い、鞍の上でひっくり返りそうになった。
一面開けた野原の向こう、遠くの丘の上に、木が1本立ってるのが見える。
「あの木まで誰が早いか競争しよう」
「おい、馬鹿を言ってないで早く...!!」
馬に乗れと男が言おうとしたとたん、少年が走り出し、もわずかに遅れて走り出す。
「待て!」
男も慌てて手綱をとり馬の腹を蹴ると、少し急がせただけで軽やかに走る2人に追いついた。
男が馬上から横を走っている2人を見下ろして声をかけた。
「言わぬことではない。2人とも乗れ」
しかし2人は走りながら馬上の男を見上げ、にこりと笑った。
「鞭、持ってる?」
「おい、困らせるな」
「使ったほうが良いよ」
「でもあまりその馬を疲れさせないで上げてくださいね」
そう言うと2人の速度がぐんと上がった。
「な、にっ!」
状態を深く沈めた少年の姿と、見ため的には軽く走っているように見えるの姿が見る見るうちに遠ざかる。
「ばかなっ」
男は思わず鞭を揮い、栗毛の馬も速度を上げる。
男を乗せた馬が全力で疾走し始め、景色が見る見るうちに遠ざかる。
しかしそれほどの勢いで馬を駆っているのに、前を走る小さな姿に追いつけない。
普通の人が出せるはずのない速度であると考える余裕もなく、よく吟味したはずの馬があっさり置き去りにされることにひたすら驚き、ひっきりなしに鞭を揮っていた。
栗毛の馬が泡を吹きながら死に物狂いで駆け、男もありったけの馬術を駆使しているにもかかわらず追いつけない。
2人は風が疾るように丘を駆け上がり、木のところまで一気に駆け抜ける。
少年は大きく宙返りをして立ち止まり、は走ってきた勢いなどなかったかのようにあっさりと止まった。
「同着かぁ...」
「そうですねぇ」
さすがに少年は薄く汗をかいているが、は汗をかいた様子すらない。
男も続いて馬を止めたが、馬は激しく動機を繰り返している。
男はまるで白昼夢でも見たかのように馬上であっけにとられている。
はそんな男の反応に苦笑していたが、少年は男の心中に気づかず白い歯をこぼして嬉しそうに笑っている。
「言ったとおりだろ?」
そう言われても、すぐには返答も出来ない。
馬より早く走って平気な顔をしている2人に、男はようやく疑惑というか、得体の知れないものを感じ始めていた。
「お前達の足は...どういうつくりだ?魔法でもかかっているのか?」
「...おかしい?」
「何?」
「二本足の僕が馬よりも早く走ったら、おかしいかな?」
「当たり前だ」
「まあ、一般の方は無理でしょうね」
「じゃあもうやらない」
「少なくとも人の目があるところでは抑えたほうが良いかもしれませんね」
どういう意味かと男のほうが首を傾げた。
少年は丘の反対側を見て嬉しそうな声を上げる。
「小川がある」
その言葉に男も口元をほころばせて馬を下りる。
殺戮を終えたばかりで喉は渇ききっていたし、衣服も手足も生々しい返り血に濡れていた男は、手綱を引いて小川に下り、馬に水を飲ませ、自身も喉を潤した。
男と共に小川に降りてきた少年は思いついたように男に声をかけた。
「ちょっと体を洗っても良いかな?」
「大胆なやつだな。素肌でいては応戦も出来んだろうに」
「そっちこそ体を洗ったほうがいい。血の臭いでむせかえりそうになる」
「正確には2人共ですよ。誰か来ないか見てますから、血を落としてください」
の言葉に頷くと少年は早くも靴を脱ぎ捨て、腰帯ごと剣を外している。
男も一応回りを確認したが人の気配がなかったため、少年に倣い剣を置き、靴を脱ぎ、下穿きまで脱ぎ捨てて全裸になった。
は男の水浴びをまじまじと見るほど悪趣味ではないので、休んでいる馬の横に腰を下ろしまわりの気配を探っていた。
「何だあ、これ!?」
聞こえてきた少年の叫び声で小川に目を向けると、呆れたように立ち尽くす男と、長い黄金の髪をたらした少年...いや、少女が自分の胸元に手をやり、目を真ん丸にして驚いていた。
あとがき
デルフィニア戦記第1話終了です。
まだ登場人物の名前さえ出せていませんが...
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