ギルツィ山脈はデルフィニア南部では最大の山脈である。
捕らえた山賊を役人に引き渡した後、北部に進路を変えた彼らの目の前に波打つようにうねうねと広がっている。
その中心を為すのがギルツィ山だ。
他にも5つの山があり、それぞれ名前がついている。
大きな山がずらりと勢ぞろいしているところはなかなか雄大な光景だったが、男に言わせると、『タウに比べれば,まるで箱庭だ』ということになるらしい。
何の因果か山賊退治をする羽目になったものの、実際には3人だけで退治ができるとは男も少女もさすがに考えていなかった。
もっとも、がゾルディック仕込の暗殺術や念を使えば簡単に片付くだろうが、わざわざ自分から化け物扱いをされるようなことをするなと(誰からとは言わないが)散々言われている...実行できているかは別として。
そのことは置いておくとして、とりあえず居場所を突き止めて領主に報告し、後は任せようと思っている。
ではその場所を突き止めるためにはどうすればいいかというと、3人はあっさりと自分たちを囮にすることにした。
ビルグナを出発した彼らはロシェの街道は通らずに南へ下り、海沿いの道を回ってコーラルへ入るつもりだったが、このポートナムを含む南部地方の人間が他国へ行くためにロシェの街道へ出ようとすれば、ギルツィ山脈を越えるのが普通である。
箱庭のようだと男は言うが、これを越えるのはそう簡単なことではない。
普通、旅人は夜明けと同時にギルツィ山のふもとを発つ。
充当に行けば峠の手前で昼を迎え、日が暮れる頃には山の反対側、ロシェ街道へ下りられる。
登山道も整備してあるし、途中には旅人が足を休めるための茶屋も出しているのだが、それでもほぼ1日がかりの山越えになる。
そこで、彼らはわざと昼過ぎにふもとを発って、ゆっくり登っていった。
峠につく頃にはすでに陽が暮れているように仕向けたのである。
よほど切羽詰った事情のあるもの、でなければ後ろ暗いところのあるものでなければ、夜間の山越えなど決してやらない。
太陽の隠れた暗闇の恐ろしさは誰もが充分に知っているところだ。
道を違えるかもしれない。獣に襲われるかもしれない。
何より、狼藉に出会ってもどうすることもできない。
逆を言えば、夜間越えの旅人は山賊にとって絶好の獲物である。
馬鹿正直に峠道を登ってくるものを見逃すはずはない。
「目の付け所は合ってるけど...」
巨大に膨れ上がったように見える夕日に眼を細めながら少女が言った。
「襲い掛かってきてくれないと話にならないな」
無事に峠を越えてしまうようでは意味がないのだ。
「確かに、旅人3人を襲うよりもふもとを襲撃したほうが実入りがよさそうですしねぇ」
「うむ。少しは金目のものを持っているように見えるといいのだがな」
男は妙な心配をしている。
「いっそのこと、どこかに隠れていて、他の旅人が通りかかるのを待ってみるというのはどうだろうかな」
「都合よく、旅人が通るとは思えませんけど。ふもとで噂くらいは聞くでしょうし」
「それに、他の人を待ってどうするのさ?」
「いや。金のありそうな旅人なら、山賊のほうでも目をつけて襲い掛かってくるだろうからな。そこを取り押さえる。あるいは、獲物をぶんどった後を尾けていく。そうすれば自動的に根拠にたどり着けるのではないか」
2人は呆れかえった。
「何を悠長なことを言ってるんだ」
「襲い掛かろうとした時に取り押さえるならともかく...」
「襲われた後を尾けていくって、目の前で人殺しをされるのを黙って見てろっていうのか?」
「あ、そうか。いかんな。殺してしまうか」
「「馬鹿」」
とても13、4歳の子供と、24歳の男の会話ではない。
「大体、こんな危険な作戦立てるほうがどうかしてるぞ。大望を前にしてるっていうのに、殺されるかもしれないと思わなかったのか?」
痛いところを突いたらしい。
男は何とも言えない顔で頭を掻いた。
「それは考えていなかった、な」
「まさか、とは思ってましたけど」
「ほんとに、肝心なところが抜けてるよ。真っ先に考えなきゃいけないことじゃないか」
「よくその性格で今まで生き残ってこれましたよね」
文句を言っていながらも、少女は怒っているわけではないらしい。
それはにも言える。
片方は面白そうに笑い、片方は苦笑しながら男を眺めている。
「いや、それはそうだ。そうなのだが...」
男も困ったように笑っていた。
「どうもな。お前たちといると死ぬ気がせんのだ」
2人は目を丸くし、疑わしげに尋ねる。
「ウォル。もしかして僕が不死身だとでも思ってるんじゃないだろうな?」
「魔法が使えるからって、何でも出来るなんて思ってませんよね?」
「違うのか?」
「「当たり前だ(です)!」」
「しかし、当たり前と言われても、それこそ説得力に欠けるぞ」
からかうような口調である。
「その姿で10人力の怪力、名人芸のような武術と軽業師並みの身のこなし、見たことも聞いたこともない不思議な魔法ときては、不死身か、万能ではないかと疑ったところで誰も俺を責められんだろうよ」
「生まれつきこうだったわけでも、自慢するために覚えたわけでもないぞ。生きるために身につけたものだ」
「万能だというなら...零れ落ちる命などひとつも無かったでしょうよ」
少女は恐ろしく冷めた口調で、は感情を消した平坦な声だった。
男はどきりとして、隣を歩む子供たちを見やった。
ほんの一瞬、何か危険なものがひらめいたように感じたのだが、2人はすぐにその気配を消して、にこりと笑った。
「人間とは言わないけど、同じ生き物であることには違いない。切られれば痛いし、心臓が止まれば死ぬんだ」
「私は生き物でさえありませんし、あなたよりずっと年上です。でも、感情と呼べるものもあるし、痛みも感じます。死ぬことは無くても、壊れることはあるんです」
「僕はいざとなったら自分の体を守るだけでも手一杯なんだからな。あまり迷惑をかけるなよ」
「気をつけよう」
「まあ、そうなったら私が出来るだけ何とかしますよ。リィよりもずっと丈夫ですからね」
第17話 ギルツィ山
そんなことを話している間にも太陽は傾いていき、辺りは早くも夕暮れに染まり始めている。
峠の近くには茶屋がぽつんと建っていた。旅人のためのものらしい。
しかし、まだ日暮れ前だ言うのに、固く戸締りがされ、長い間使われていない様子だった。
山賊が頻繁に出没するので商売にならないのだろう。
3人は茶店の店先を借りて野宿することにした。
焚火にする木切れを拾い集めて、火を起こし、水筒に詰めたエール酒と干し肉の食事を摂る。
出発する前、世話になった農家が持たせてくれた食事だった。
娘を救ってくれた礼だそうである。
こうするうちに太陽は西へ消えてゆき、あたりは真っ暗になった。
空には細い三日月がかかっている。
流れる雲が、その淡い光を見え隠れさせていた。
地上では炎が揺らめき、火のはぜる心地よい音がする。
3人はしばらく黙って焚火を見つめる。
他に聞こえるものといえば、風に揺れる梢のざわめきくらいだ。
時折、何かの生き物が近くを歩いていく気配がする。
火を恐れて姿は見せないが、そのたびに男は顔を上げて、表情だけで子供たちに問いかけ、2人は軽く首を振るだけで危険はないと言ってみせた。
そのやり取りが何度かあった後、何もない所でいきなり『ぽん!』と言う音が響いた。
男と少女は肩を揺らし音のしたほうに眼を向けると、の横に見たことのある小さな影が3本の長いものを抱えて立っていた。
はいくつかのやり取りの後それを受け取ると、小人たちはまた音をたてて消え、の手に3本の剣だけが残された。
がその1本を男に差し出しながら言う。
「『金目の物』が届きましたよ。これがあった方が襲う確率が上がるでしょう」
確かにそうだろうが、さすがに金目のもの扱いはどうだろうと2人が首をひねる。
とりあえず男はその大剣を受け取ると、剣を包んでいた布をするりと解いた。
材料を見ていただけに、かなりの値打ちがあるものになるだろうことは予測していたが、これほどのものとは思っていなかった。
柄の部分はの刀と同じように平紐が格子状に編んであり、よく見ると鞘の付け根には黒珊瑚と銀が複雑に絡み合った模様を描いている。
剣を半分ほど引き抜くと、鏡のように磨かれた刀身の中央部分には模様にも文字にも見えるものが刻まれ、それを埋めるように黒曜石がはめ込まれている。
一見装飾用の刀のようだが、その刃は鋭く、男が握る柄は思った以上に握りやすく、その手に程よい重さを伝えてくる、間違いなく戦うためのものだった。
男は腰にさしていた剣をが渡したものと換え、今までさしていた剣をに預けた。
預かった剣を、はいつものように小物入れの中にしまう。
そのやり取りが終わると、辺りは再び静寂に包まれた。
3人とも、いざとなれば驚くほど寡黙であり、相手の沈黙につきあった。
「これをもらったとはいえ、出てきてほしい時には現れないのだな」
他人事のように男が呟き、子供たちが小さな苦笑を洩らした。
「金目の物を持っていても、気づいてくれないと駄目ですからね」
「でも、そんなに襲われたい?」
「面倒ごとは手早く済ませたほうがいいからな。何と言っても大事を控えた身だ」
「まったく。王様がこんなところで野垂れ死にしたらコーラルで待っている人たちはきっと困るぞ」
「だろうな」
「だろうなって...万が一、そうなったときに盛大に文句を言われるのは、間違いなく私たちなんですけど」
「それなら、自分ひとりの体じゃないことを、少しは自覚した方がいい」
男は唇の端だけで笑ってみせた。
「俺は1人さ。この大地で俺より1人きりでいるものはあるまいよ」
「「...?」」
「昔は俺にも家族がいた。友人もいた。知人も、世話になった人も、目上として敬う人も大勢いたが、今は1人だ」
黒い眼が少しばかり皮肉な色を浮かべている。
「俺は知らなかった。本当にそんなことが起こるとは夢にも思わなかった。父から自分の素性を聞いた時も、王座に即くことが決まった時もそうだった。それは驚いたし、大変なことになったとも思ったがな。俺は俺だと、何も変わるわけではないと高を括っていた。ところが気づけば、大事な人たちを1人残らず失っていた。つくづく王なぞというものはつまらんもんだと思ったぞ」
その人たちは好き好んで離れて行ったわけではあるまい。
ただ彼らの意思の中で国王というものは敬わなければならないものなのだ。
たとえ、どんなに男の人柄に親しみを持っていようとも、それを率直に表すことは許されないのである。
子供たちは小さく笑った。
「自分だけが1人だなんて思わないほうがいい」
「そうか?」
「そうさ。少なくとも、ここに、同じくらい1人でいる者がいる」
「それに、1度つくった繋がりを0にするほうがよほど難しいことです。少なくとも、片方が相手のことを考えているうちは」
男は黙って、この風変わりな連れを見た。
その通りだった。
少女は天涯孤独の身の上だという。
しかし、ここへやって来る前は友と呼ぶ人も知り人もいたはずだ。
また、の言うように、男の今までの繋がりがまったく無くなったわけではない。
むしろ男は昔を思い出すたびに、以前のような繋がりに戻れたらと思ったはずだ。
「うん。なかなか、1人きりになるのは、やろうと思っても難しい」
「ほぼ不可能といっても間違いないでしょうね」
ため息を吐きながら2人はそんなことを言い(もっともため息の意味は違っていたが)、男を見つめて、にこりと笑った。
「みんな、きっと心の中では、今までと同じように思ってるはずだよ」
「それを表に出さないのは、あなたもそれが分かってると思っているからじゃないですか」
男も微笑した。
「俺も一転、かつての知人や友人たちに命令を下さなければならない立場になったのだから、お互い様さ」
それでも、即位以来感じている強い孤独感はぬぐいようもない。
2人が何か言いかけようとして、急に表情を変えた。
男も口をつぐんで、剣の柄に手を掛けた。
夜の森は昼間の倍は音を通す。
まして獣でもない人の身ではとても足音は殺せない。
その誰かは初めから音を隠すつもりはないようだった。
がさりと、茂みをかきわけて3人の前に姿を現し、3人は黙って突然の来訪者を見つめたのだった。
「寄せてもらってよろしゅうござんすかね?」
30がらみの男だった。
つとめて丁寧にしているが、口調も、身なりも、あまりまっとうとは言えない種類の人間のものである。
「構わんよ」
ウォルがあっさりと言ったが、その男は近寄って来ようとしない。
探るような眼で3人を見比べている。
「こんな時分に野宿とは、よほどお急ぎの旅なんですかい?」
「ああ。品物を受け取るために、出立するのが遅くなってしまってな。どうしても今夜中に越えてしまいたいのだが、この暗がりではどうにもならん。難儀しているところだ」
男の眼がちらっとの持つ包みに向けられる。
「そりゃあお困りでやしょう。よろしかったらあっしがご案内いたしますぜ」
「この暗がりで道が分かるのか?」
「あっしは猟師をしておりますんで。この山は庭のようなもんでさ。どうぞ、ついていらっしゃい」
背を向けながら、さし招く仕草をする怪しい男に、3人とも逆らわずに従った。
願ってもないお誘いである。
猟師だという男は物慣れた様子で3人を案内した。
ギルツィ山に登るのが初めての3人には、どこをどう歩いているのかさっぱり分からなかったが、少なくともふもとへの道をたどっているのではないことだけははっきりしている。
人一人がやっと通り抜けられるほどの細い小道である。
伸び放題の茂みが手足はおろか、顔までかすめる。
「ずいぶん険しい道を通るのだな」
「こちらが近道なんですよ」
「ふもとまではどのくらいだ」
「もうじきでさ。夜明けまでには着けますよ」
三日月の明かりが頼りなく照らす足元を慎重に進んでいた彼らだが、不意に正面に明かりが見えた。
「何だ...?」
民家でもあるのかと思ったのだが、そこは開けた空き地だった。
今まで草木の密集した景色とは打って変わって足元には草も生えていない。
明かりの正体は、空き地の周りをぐるりと囲むように生えている大木に、いくつも点された蝋燭の光だった。
ここだけがまるで真昼のような明るさである。
目の前には粗末だが、大きな山小屋が建てられている。
そして、極めつけに面妖なことには、蝋燭の光の陰に隠れていたらしい男たちが、一斉に走り出してきて、3人を取り囲んだことだ。
あるものは槍を構え、あるものは弓を引き、3人に狙いを定めている。
しかし獲物が男1人と子供2人と見るや、警戒の必要もなしと判断したのか、武器を収めた。
1人が山小屋に声を掛ける。
「親分。お客人ですぜ!」
「おう!」
答えて山小屋の中から人が現れた。
年齢は40くらいか。でっぷりと太った大きな体をし、腕は丸太のよう、腹は太鼓のようだった。
見るからに山賊の親分の姿である。
「ようこそいらした。お客人」
割れ鐘のような声でそんなことを言ってきた。
ウォルはそれに構わず、今まで3人を案内してきた男を振り返って言った。
「ずいぶん妙なふもとだな」
男は下卑た笑いを浮かべている。
「もちろんふもとにはちゃんとお連れしますさ。しかし、その前に出すものを出していただかないとなりませんぜ」
「出すもの、とは?」
山小屋から現れた男が吼えた。
「この山は俺たち義賊の縄張りだ。そこを無断で通り抜けようとは許せん所業じゃ。よって通行料をいただく」
「なりほど。金高は?」
「有り金残らずじゃ」
「それはまた、法外な額面だ」
「やかましいわ。さっさと懐のものを置いていけ。さすれば命まで取ろうとは言わん。死体を始末するのもこれまた面倒でかなわんからな。歩いて去んでくれるほうがありがたいわ」
「その前にひとつ尋ねたいのだが、この山の義賊というのはこれで全部なのか?」
「なんだと?」
山賊の首領はいぶかしげな顔になり、のしのしと近づいてきた。
この状況に遭っても少しもひるまず、質問まで発してくる旅人というのは極めて珍しい。
珍しいどころか異常である。
「われ、何でわしらの数なぞ知りたがる?さては代官の回し者か?だとしたら生かして返すわけにはゆかんぞ」
「とんでもない。ただ、有り金を取られて、この先でまた通行料を取られてはかなわない。そう思ったまでだ」
「ほうほう。殊勝な心がけじゃ。ならば教えてやろうが、ギルツィ山の義賊はわしを頭に60人。そのほとんどがここにおる」
「残りの仲間は?」
「ちょいとふもとへ出かけておるわい」
つまり家畜を略奪に行っているということだ。
義賊の首領と名乗った男はさらに続けた。
「それだけではないぞ。わしらはもともとタウの山賊の一派じゃ。一声掛ければ数千の仲間たちがたちまちのうちに集まってくる。こんな田舎のこっぱ役人なぞに何が出来ようかい。下手な手を出したが最後、大火傷をするのは役人どものほうだぞ」
「なるほど」
タウの山賊云々は別にして、全部で60人。
そのうちここにいるのはざっと40人ほどである。
昨夜捕らえたものが9人だから、差し引き10人ほどが、ふもとへ下りてるわけだ。
ちらりと子供たちを見やったが、2人とも我関せずの表情だった。
そちらの言い出したことなんだから何とか主張しているようでもある。
男は言われた通りに所持金を取り出そうとした。
山賊どもがこの場所を本拠地にしていることは間違いなさそうだし、後は圧倒的な戦力の出番である。
怪我をしないうちにこの場を引き上げようとしたのだが、男の後ろで、山賊の1人が不意に疑わしげな声を上げた。
「おい、こいつ、もしかして、娘っ子か?」
「何!?」
首領が眼の色を変えた。
他の男たちも一斉に息を呑んだ。
あっという間に山賊どもの視線は男から少女へと移ったのである。
白い切れで包んでいたリィを山賊どもは少年とばかり思っていたらしい。
「娘か、ほんとか」
「親分。そういえば、その小僧っ子の持ってるものを受け取りに行ってたらしいですぜ」
「ほう」
少女は舌打ちを洩らしていたが、顔を近づけてよく見れば、幼いながらも匂うような美しさは隠しようもない。
また、少年の手に納まっているものは、布からしてかなり高級なものだと分かる。
首領は歓喜して叫んだのである。
「これはいい!われの通行料は有り金全部とこの娘とその荷物だ。気前よく支払え!」
少女の手をぐいと掴んで引き寄せた。
周りの男たちはよだれを垂らしそうな顔つきで、その様子を眺めていた。
ならず者の間には厳然とした格の上下がある。
どれほど飢えていても、首領を差し置いて、下っ端が先にご馳走にあずかるわけにはいかないのだ。
小さな肩を抱き、髭面の顔を滑らかな白い顔に寄せ、嘗めんばかりに囁いた。
「かわいいのう。いくつだ。12か、3か?未通女だろうな?ちと早いが、なあに、こうしたことに歳なんぞは関係ないわ。わしが一からじっくりと教えて一人前の女にしてやるからな。すぐに楽しくて楽しくてたまらなくなるようにしてやるぞ」
聞いていたウォルとは肝を冷やした。
こんな場面の恒例とはいえ、どの仕草、どの一言を取っても少女の爆発を誘うには充分すぎる。
拍車を掛けるように、他の山賊どもが、卑猥な笑いと羨望の眼差しを少女に向け、早く自分たちに『払い下げて』くれるようにと冷やかしの声を掛ける。
少女は逆らわない。
黙って撫で回されるままにしているのだが、その眼差しは殺気に煌き、その手が不気味に動いた。
山賊どもが自分たちの言動で自滅するのは勝手だが、このまま黙って見ていれば、間違いなく2人も少女に八つ当たりされる。
少女の手が動いたのと同時に、男が他人事のように言ったものだ。
「払えて言われても困る。その娘もその荷物も俺の持ち物ではないし、第一、貴様らにはもったいない」
「もったいないどころか、さわれことが奇跡でしょうよ」
「何だと?」
首領が眼を剥いて少女の手を離した。
2人はさらに言う。
「称するに事欠いて義賊とはよく言ったものだ。本物の義賊が聞いたらさぞ迷惑するだろうよ。罪なき農民を苦しめ、家畜を奪い、娘を拐かし、害悪の限りを尽くす輩が義賊とはお笑いぐさだ。奸賊、もしくは匪賊とでも改名すれば、いっそ似合いだぞ」
「ああ、それもそうですね。義賊というのは自分より権力のある相手に逆らっている人たちのことですから、自分より弱い相手をいたぶるしか能のない人間はそれがお似合いですよ」
「しゃらくさいわ!」
一声吼えた首領は、さっと手を上げた。
この青二才どもをやってしまえという合図だったが、途端、足をすくわれ、その大きな体が前のめりに倒れたのである。
「わっ!」
何が起きたのか首領には分からなかった。
近くには今夜たっぷりかわいがってやろうと下心を抱いている少女が1人いるだけだったのだ。
つんのめった男を、緑色に燃える、極めつきに冷淡な炎が見下ろしている。
「おい。どうしてくれる?」
低い声だった。
首領に向かっての問いかけだったが、その首領はもちろん、意味をたどれるものは1人もいなかった。
もとより少女も答えなどを期待してはいない。
嫌悪に歪んだ苦々しい顔で自分の腕をさすっている。
「体中に鳥肌が立ったぞ。おまけに当分消えてくれそうにない。いったい、どうしてくれる?」
姿の愛らしさとは似ても似つかない凄みの籠った口調だった。
首領も山賊どもも、あっけに取られた。
その隙を男とは見逃さなかった。
男は大剣を抜き放つなり、右の2人を切り払い、が左の2人を切り払って、囲みを抜けていた。
男は自分の剣がの持つ刀ほどの切れ味を持つことに一瞬驚いたが、すぐにそれに頼もしさを感じ握りなおす。
「こ、こいつら!」
2人を押さえようとした者に、今度は少女が襲いかかった。
倒れた首領を飛び越えざま、剣を抜く手も見せずに、切りつけたのだ。
「なにっ!」
山賊たちにとってこの襲撃こそはありえないことだったろう。
しかし、怒りと不快感に火をつけられた少女の剣先は情け容赦もなく、さらに2人を斬って捨てた。
そのまま、広場を突っ切り、茂みの中へ飛び込み、わずかに送れて男が続き、その後を追うように何人かを斬り倒しながらが茂みへ飛び込む。
「野郎!」
山賊たちが色めき立つ。
首領も立ち上がり、大きく吼えた。
「逃がすな!追え!」
その声よりも早く山賊どもは3人を追って茂みに踏み込んでいる。
「男どもは生かして返すな!娘は殺すなよ!傷も負わせるな!」
言われなくともそのつもりでいた部下たちである。
ましてこの森には自分たちのほうが詳しいのだ。
一方のウォルは、茂みの中に身をかくしたはいいものの、次にどうするかを測りかねていた。
こうなっては山賊どもはどこまでも自分たちを追いまわすに違いない。
本当なら1度下山して、領主軍に応援を求めるのが相当だが、連中はおとなしく下山させてはくれまい。
それにましても、少年はともかく、少女は断じて引く気はないらしい。
そもそも眼の色が違う。気配が違う。
戦闘体制に入っていることが一目で分かる。
先ほどの侮辱がよほど腹に据えかねたらしい。
毛を逆立てた山猫のようになっている。
あとがき
デルフィニア戦記第17話終了です。
ここまで読んでくださって、ありがとうございました。
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