1日歩き続けた疲れもあって3人の眠りは深かった。
しかし、その眠りは意外にも早々に破られた。
異様な物音が近づいてきたからである。
初めに聞こえてきたのは馬蹄の響きだった。
それも数頭、まっすぐにこちらを目指してくる音だ。
今の自分が追われる身であるということをいやというほど知っているウォルである。
たちまち跳ね起きた。
「2人とも!」
「「起きてる(起きてます)」」
いつものことだが、どんな状況に置かれても、この子供たちの肝の座り具合は歴戦の武将を遥かに凌駕する。
すでに起き上がり、暗闇に眼を光らせている。
「多いな。8、9...ちょっと見当がつかないが、大体それくらいだ。は分かるか?」
「...9です」
気配を読むとは違い、どうやら少女は馬蹄の数を数えていたらしい。
相変わらず信じられない耳である。
男は急いで立ち上がり、納戸を出ようとしたのだが、少女が引きとめた。
「待って。追手にしては様子が変だ」
馬蹄の響きはどんどん大きくなる。
それと同時に甲高い声が聞こえてきた。
酒に酔った荒くれ男たちが浮かれて馬鹿騒ぎでもしているような声である。
3人は何度の戸の隙間からそっと外を見やった。
松明の明かりが暗闇に猛々しい。
同時に男たちの口調も猛々しかった。
喚声と前後して大きな物音が響いた。
ついでに馬の嘶く音、豚の鳴く声、鶏の鳴き声など静まり返った闇の中にけたたましく響き渡ったのである。
3人は思わず顔を見合わせた。
どうやら家畜泥棒らしい。
しかも、これだけの騒ぎになっているのに、近隣の家も、もちろん襲われている当の家の者たちも、飛び出してくる様子も騒ぎ立てる様子もない。
下手に逆らって怪我でもしては大変と判断して、じっと耐えるつもりなのか、あるいは家畜だけですむなら幸いと己に言い聞かせておとなしくしているつもりなのかもしれなかった。
男たちは辺りを憚ることさえしない。
我が物顔で豚を追い、鶏を掴み取っていく。
納屋の中で、少女が小声で囁いた。
「どうする?」
「どうしたものかな?」
「どうしようもないでしょう」
と男も小声で言い返す。
「はともかく、王様としては国民の財産を守る義務があるんじゃないの?」
「時と場合による」
強盗を目の前にしながら3人は冷静に話し合っている。
「自分から放棄してるものを、財産とは言わないんじゃないですか」
「もしこの襲撃が定期的に繰り返されているものなら、一時的に追い払っても意味がない。それどころか、余計な手出しはむしろ事態の悪化を招く」
「2人とも意外と冷淡なんだな」
「私は意外でも何でもなく、冷淡ですよ」
「俺のほうは冷静と言ってくれ。そういうお前はどうなのだ。弱き者のために立ち上がって、やつらを追い払ってやる気はないのか?」
少女は肩をすくめた。
「ここの人たちが諦めて好きなようにさせてるのに、他人がどうこうすることじゃない」
「どっちが冷淡だ」
「さあ?どちらでしょうね」
そんなことを冷ややかに話し合っていたのだが、そのうち、そうも言っていられない事態になった。
彼らが納戸を借りた家の扉が無理やりに叩き壊される音が聞こえ、人間の悲鳴が響いたのである。
初めは若い娘の悲鳴だった。
ついで母親らしい女の金切り声、さらには父親の必死の懇願の声がした。
「待って、待ってください!家の者には手をかけない約束ではありませんか!」
数人の男の卑猥な声が聞こえた。
「そう邪険にすることはないだろうよ」
「そうとも。知らぬ仲ではないし、何も取って食おうと言うんじゃねえ。酌取りに貸してくれと言っているだけではねえか」
「娘を放してくだされ!お金ならいくらでも差し上げますから、娘だけはお許しください!」
悲痛な父親の声だった。
「しつこいぞ!」
「家ごと焼かれたいか!」
鈍い殴打の音。苦痛の呻き。倒れる夫にすがりつく妻の悲鳴。
「お父さん!お父さん!お父さん!」
娘は半狂乱になっている。
必死にもがいて男の手から逃れようとしているらしいが、男たちはそんな抵抗をも面白がり、口々に聞くに堪えない猥雑な言葉を浴びせかけ、娘をからかっている。
3人は納戸の中でとっさに腹を決めた。
こうなっては見過ごせない。
牛を追うのに使うのか、あるいは鳥を追い払うのに使うのか、手頃な太さの長い棒があった。
1本を掴み、1本ずつ男とに投げ渡すと、少女は納戸から飛び出て叫んだのである。
「その手を離せ!」
第16話 納屋の客人
少女の後を追うように、もすぐさま納屋から飛び出て隣に並ぶ。
外では髭面の男たちが、すでに泣き叫ぶ力も失せ、ぐったりした家の娘を馬の鞍に乗せようとしているところだったが、その声に驚いて振り返った。
澄んだ幼い声と有無を言わさぬ口調とが、あまりにも不釣合いだったからだろう。
5人が馬に乗っている。
他に4人が馬を下り、家人に武器を突きつけ、動きを封じていた。
そのうちの1人は、納戸から現れた小さな子供と見て舌打ちしながら近寄ってきたが、相手の片割れが少女だと分かると、にたりと笑った。
「へへえ。こんなところにも娘が2人隠れていやがった。ちょうどいい。1人ではとても足らねえところだ。一緒に来い」
どうやら暗闇のせいで、リィとたいして背が変わらないを少女と思ったらしい。
言うや、2人を捕まえようとしたのだが、もとよりさせるわけがない。
少女は両手に、は少女がいるのと反対側の手で自分の背丈と同じくらいの長さの棒を握り、槍のように構えると、近寄ってきた曲者の胸と腹を同時に思いきり突いたのである。
「ぎゃあっ!!」
すごい勢いだった。
その男はなんと大きく宙を飛び、地面に叩きつけられて伸びてしまったのである。
「何だ!?」
ざわっと曲者が動揺する中、少女はもう1度言った。
「その手を離せと言ってるんだ。そして、とっとと帰れ」
「先に言っておきますよ。警告は3度までと相場が決まっています。これは一応1度目ですね」
不審な男たちも、家の主人も、馬の鞍に乗せられようとしていた娘も唖然としている。
ひときわ立派な馬に乗った首領格らしい男が、かつかつと馬を寄せ、馬上から2人を見下ろしてきた。
「何だ。われらは?」
「通りすがりの旅人で」
「この納屋の客だよ」
「旅人の客?客なら黙っているものだ。家主ならともかく、客に指図されるいわれはねえ」
「家主は娘を話せと言ってる。その子もいやだと言っている。無理強いをしているのはそっちのほうだ。おとなしく帰りな」
「あなたの穴だらけの言い分を、黙って聞くわけないでしょう。警告はこれで2度目です」
しかし、男は聞いていない。
ほっそりした子供たちの体をじろじろと眺め回している。
「われら、いったいどうやって奴を吹っ飛ばした?そんなやわな体で。魔法でも使ったか?」
「帰りな。これで3度目だ」
「『警告は』これで最後です」
頑固な姿勢に盗賊は半分腹を立て、半分面白く思ったらしい。
「いやだと言ったらどうする気だ?え?」
「「こうする(します)」」
言うが早いか、2人は、ぶん!と棒を振った。
少女の狙いの先は馬上の男の頭、の狙いは馬の手綱を握っている手、ともに正確に狙っていた。
馬上の男は即頭部を横殴りに殴り倒され、手綱を掴むこともできずに、馬から転げ落ちた。
単なる13、4歳の子供の力ではない。ウォルの体を軽々と持ち上げ、大男のガレンスをして屈せざるを得ない怪力である。
それに同時に力一杯殴られてはたまったものではない。
よくても気絶と骨折、悪くすれば複雑骨折と即死である。
即死の場合は、複雑骨折など分からないだろうが。
落馬した男には見向きもせず、少女は棒を手にしたまま、ひらりと飛び上がった。
たった今まで騎手のいた位置に見事に収まる。
驚いたことに、少女は馬を操作するのに手綱を使わなかった。
両手は棒を握ったまま、軽く腹を蹴るだけで走らせ、あっという間に他の4騎に迫ったのである。
もそれを黙って見ていたわけではない。
少女が馬に乗って駆け出すと、すぐに馬に乗らずにいた男たちに向かって走り出した。
馬上にあっても少女の武勇は衰えることを知らなかった。
右に左に棒を揮って、たちまちすべての鞍を空にした。
「こ、このど畜生が!」
地上にいた男たちは激怒して、馬上の少女を取り押さえようとしゃにむに突進してきたが、その間にが割り込む。
そして棒を大きく一閃すると、3人ともそれに当たって吹き飛び、伸びてしまった。
ほんのわずかな時間のことだったと言うのに、少女が鞍を下りた時には優に9人の男が地面に転がって呻いているという、それこそ魔法を使ったとしか思えないような事態になっていたのである。
「なんとまあ...少しは加減してやったらどうだ」
そんなことを言いながらようやく納屋から出てきた男に、は肩をすくめ、少女は皮肉な眼を向けた。
「ちゃんとしてますよ。全員死んでないでしょう?」
「生きていればいいと言うものでもないだろう」
「高みの見物を決め込んだ奴が何を言ってる」
「別に決め込んだわけではなくて、出る幕を残らず奪われてしまったのだがな」
「それは、すいませんでした。取っておくのが面倒だったもので」
少しばかり恨めしげに男が言い、苦笑とともにが返す。
それに軽く肩をすくめると、ウォルは倒れている男たちに眼を向けた。
幸い、と言うのも変だが、の言った通り、誰も死んではいない。
当分立ち上がれそうにもないが、殺されなかっただけ運がいいというものだろう。
3人は納屋にあった荒縄を持ち出して、男たちを数珠つなぎに縛り上げた。
ついでとばかりに、喚かないように落ちていたぼろ布で猿轡も噛ませる。
そうしておいて初めて、こわごわとこちらを伺っている家の者たちと向き合った。
かどわかされる寸前で救われた家の娘は泣きながら母親と抱き合い、地面に座り込んでいる。
横では家の主人が同じように座り込み、妻と娘に何やら声を掛けている。
「ご亭主。こやつらは何者だ?家人には手を出さぬ約束と言っておられたが...」
主人が涙にやつれた顔を上げて、3人を見た。
「娘を救ってくださいまして、ありがとうございました」
それだけ言って、またうなだれ、泣き伏してしまう。
「ご亭主...泣いてばかりいられては事情が分からん。わけを話していただけないか」
主人は泣きながら首を振った。
「お話申し上げたところで、どうなるものでもないのですから...」
そして、また泣く。
男は困り果てた表情になり、がため息をつき、その横では少女が片方の眉をちょっと上げて、握った棒でとんと地面を突いた。
「あのね。泣くのはどういうことなのか話してからにしてくれないかな」
身も蓋もないが、その横では同感とばかりにが頷いている。
主人は悲壮な顔つきで、この連中はギルツィ山の山賊だと説明した。
「もともとはタウ山脈の山賊らしいのですが、そこから別れて、こんな南の外れまで流れてきたらしいので...はい。今では義賊と称し、ギルツィ山の中に根城を設けて、我が物顔に暴れまわっております」
「今日のようなことはよくあるのか?」
「日常茶飯事です。どこかへ消え去ってくれればいいものを、このポートナムを自分たちが警備してやるのだ、我らに逆らうことはタウに逆らうのと同じだことだと言われて、このあたりの農家は皆、唯々諾々と奴らに家畜を提供して参りました。もうどのくらい被害にあったのか数えることもできません。しかし、娘まで...」
その娘は母親にしがみついて泣いている。
「このことを知った奴らは必ず報復にやって来るでしょう。そうしたらおしまいです」
「ご亭主。その山賊どもの勢力はおおよそどのくらいなのだ?」
「分かりません。数十人とも、数百人とも言われておりますので。誰も確かめたものはいないのです」
「そんなものがこのあたりを拠点にしているというのに、領主は何をしているのだ?」
「語領主様はこれほど被害が大きいとは思っておられないのです。なにやら妙なものどもが増えて困ったものだとはお思いでしょうが...」
「それなら訴えて出ればよかろうが?」
理解しかねる顔つきで男は言ったのだが、主人はとんでもないことですと首を振るばかりである。
「何故できない?ここの領主はそれほど物分りの悪い男ではないはずだぞ」
「旅のお方。あなたはすぐさま、この地を去ってしまわれる。ですが、私どもはこれから先何代も、この土地で暮らしていかねばなりません。代官などに訴えたと知れたら、それこそ山賊どもに何をされるか分かりません。奴らの背後には、数千とも数万とも言われているタウの山賊がついているのですから」
「では、今のまま、奴らに食料と隠れ場所を提供し続けてやるつもりか?」
主人は答えない。
「それに娘ごはどうなる?今夜は無事ですんだが、これから先も同じような災難が必ず振りかかるぞ」
「娘は明日にも親類のうちへ預けることにいたします」
「ご亭主。それでは一時しのぎにしかならん」
「旅のお方。私どもはこうやって生き延びて参りました。先祖伝来の土地と畑がある以上、私どもはここを離れることはできません。他にどんな仕様がございましょうか?」
少女は軽い舌打ちを洩らし、は肩をすくめ、男は小さなため息を洩らした。
気の毒ではあるし、事情も納得できるのだが、ここまでくると同情できない。
本人にしか分からない。
他人がどうこう言うことではないのだが、ここまできた以上、見過ごすわけにはいかなかった。
「分かった。ではその山賊どもが1人残らず捕らえられ、投獄されてしまえばよいのだな?」
「そんなことできるわけはございません」
「やってみなければ分からんさ。ご亭主も見てのとおり、この子供たちは大の男10人をあっという間になぎ倒す。俺もまあ...それほど鮮やかな手並みではないにせよ、何とか肩を並べるくらいには遣える。俺たちで山賊のねぐらを突き止めて代官に通報することにしよう。訴えて出たのが旅の自由戦士となれば、ご亭主らに危害は及ぶまい」
「おい...」
「ウォル...」
子供たちが呆れて、そっと男の注意を引いた。
「確かに行き先の決定権はあなたにありますけど」
「そんな寄り道をしている場合じゃないぞ」
大事の前の小事とも言う。
今はまっすぐコーラルを目指し、道々有力な諸侯をかき集め、口説き、できるだけ確率の高い首都奪回のための手段を講じなければならない時なのである。
だが、男は首を振った。
「ここまで聞いて見過ごせん。放っておいたら被害はどんどん大きくなる」
「それならさっきの館の主人にこのことを伝えていけばいいじゃないか。自分の領地なんだから、後は向こうが何とかするよ」
「そうですよ。自分の領地の平安を守るのも、領主の仕事でしょう?あの領主なら見過ごすとは思えませんけど」
さらに首を振る。
「山賊退治というものはそう簡単にできるものではないのだ。地の利は奴らにある。下手に攻め込んでいけば領主軍のほうが手痛い目にあうだけだ」
「だからって何も...」
「それならなおさら、領主だって斥候くらいは...」
「何より、タウの山賊がこんな南にまで下ってきて乱暴狼藉を働いているというのが気になる。俺の知る限り、彼らは仲間以外の人と関わりを避け、無辜の民人に迷惑をかけることを厳しく慎んでいたはずだ。俺の育ったスーシャはタウのふもと、それこそ足元だったが、彼らが山を下りてきて市民から食料を奪っていくなど聞いたこともない」
「つまり、あなたがデルフィニアにいなかった半年の間にタウの情勢が大きく変わったか、もしくは、この悪漢たちがタウの山賊ではないのにその名前を名乗っていると言うことですか?」
「予測としては後者だ」
「だからって何も君がタウの山賊の名誉挽回に働いてやることはない」
もっともな話だが、それでも男は首を縦に振らなかった。
「山賊のためではないさ。俺のためだ。ここは俺の国であり、彼らは俺の人民だ。それを不当に苦しめるものがいるなら何とかするのが義務というものだ」
きっぱりと言い切った。
石頭と言うか、頑固一徹と言うか、何を言われようと引くつもりはないらしい。
2人はとうとう諦めて、顔を見合わせて盛大なため息を吐いたのである。
「ペールゼンが君を追い出した理由が、すごく分かるよ。扱いにくいったらありゃしない」
「光栄だ」
「というか、実は扱える人が誰もいなかったから追い出そうと思われたんでしょう」
「さあな」
にこりともせずに男は言ってのけ、2人はさらにため息をついた。
「まったく何でこんなのと知り合ったんだか」
「言わないでくださいよ。その『こんなの』を気に入ってしまったことが、ものすごく運のつきだった気が...」
「それこそバルドウのお導きというものだろうよ。乗りかかった船と思ってつきあえ」
これまた真面目に男が答え、この男を気に入ってしまったことを後悔しながらは天を仰ぎ、男の態度に腹を立てた少女が男をどついた。
あとがき
デルフィニア戦記第16話終了です。
ここまで読んでくださって、ありがとうございました。
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