ガレンスは唖然とした面持ちで、叩き落された自分の剣を見やっていた。

勝負に絶対はないということを、彼はよく知っている。

時の運の言葉どおり、実力で(まさ)っていても必ず勝てるという保証はどこにもないということも充分に分かっている。

それでもこの試合で自分が負けることは『あり得ない』ことだったのだ。

しかし、現実に剣は彼の手を離れ、手首には鈍い痛みが残っている。

目の前では金髪を結い上げた少女が軽く首を傾げて、茫然自失のガレンスを窺っていた。

勝負は一瞬だった。

ナシアスを始めとして、騎士団員の主だった騎士たちが見守る中、ガレンスは面倒くさそうに、こんな小娘と試合わなければならないとは情けないとの態度を隠そうともせず、少女と向き合った。

しかし、何がどうなったのかも分からないうちに、ガレンスの剣は彼の手を離れていたのである。

仰天したものの、彼はさすがに歴戦の勇士だった。

すぐさま立ち直った。

「も、もう1番、お願いする!」

「何度やっても同じだよ」

少女が冷静に言った。

「そんなことはやってみなければわからん!」

ガレンスも引かなかった。

こんな少女に後れを取ったとあっては、騎士の誇りも、名誉もあったものではない。

「なるほど少しは遣えるようだ。その年にしては奇妙極まりないことだが、今のは俺の油断だ。次は本気でやる!」

「本気でね。ぜひともそう願いたいな」

少女が皮肉めいた微笑を漏らし、剣を構えなおそうとしたとき、それをさえぎるように声がかけられた。

「リィ、私が先では駄目ですか?」

「何?」

「何で?」

「リィで全力を出したせいで、後で私に負けたなんて言われたくないので」

「誰が言うものか!」

その言葉にガレンスがを怒鳴りつけたが、まるで聞こえてないかのように、少女に、にこにこと笑みを向けている。

少女はそんなに呆れたような顔で肩をすくめると、ガレンスに声をかけた。

「どうする?僕はどっちでもいいけど」

「ならばその小僧が先だ。礼儀を叩き込んでやる!」

唸るように言ったガレンスの答えで、少女と場所を入れ替わり、ガレンスに向き直った。

ガレンスは1度深く息を吐き、怒りを押し込めると、今度は真剣そのものの表情になって、剣を取り上げた。

それに対し、は剣を抜くことも、手をかけることさえせずに、ただ立っているだけであった。

その様子にまなじりを吊り上げてガレンスが声をかける。

「おい、構えろ」

「剣を構えるかどうかは、自分で判断しますよ。打ち込んでこないですか?」

さも当然とばかりに言い返すに、ガレンスが怒りで顔を赤くし、ぎりりと剣を握り締め斬りかかった。

そのやり取りを入れ替わって観客となって聞いていた少女は、ウォルに向かって軽く肩をすくめる。

そして、この有様をウォルは少しばかり苦笑しながら、そしてナシアスを始めとするラモナ騎士団員は、あっけに取られて見つめていた。

彼らはガレンスの腕前をよく知っている。

剣術ではナシアスにやや引けを取るものの、その剛力は凄まじい。

特に肉弾戦においては10人がかりの襲撃も跳ね返す。

彼は神業に近いナシアスと並び、ラモナ騎士団の文字通り英雄だった。

それほどの男が彼らの目の前で、目方も身長も半分しかない少年に、軽くあしらわれているのである。

とにかく動きの早さが違いすぎる。

馬と競って勝利し、そのうえ余力もじゅうぶんに残っているような脚だ。

人間のガレンスに追いきれなくても無理はない。

最初は剣を構えてさえいない相手に手加減していたガレンスも、その件が髪の一筋さえも切ることが出来ない状態に次第に本気になる。

しかし、はそれをたいして動くこともなく、ぎりぎりのところでかわしていく。

体重を持たないかのように動く相手と、自分の眼がおかしくなったのではないかと思うほどのすれすれで当たらない攻撃に、相手をどうしても捕まえることが出来ず、ガレンスはしまいには驚愕の表情を張りつけたまま、足を止めてしまった。

「攻撃は、おしまいですか?」

「い、いや。そんなことはない。だがその...逃げ回ってばかりでは勝負にならんぞ!」

「そりゃあ、リィのときのようにもう一度なんて言われたら面倒くさいですからね。長くやったほうが、納得するでしょう?」

はあっさりと自分の思惑を話してしまう。

「それじゃ、足を止めて試合ましょうか?」

「そうとも!力でならば負けはせん」

聞いていたウォルとリィが首を傾げて、それはどうだか、と呟いたのをはたしてガレンスは聞き取ったかどうか。

「じゃあ、こうしましょうか。私はこのまま1歩も動きません。あなたが私に正面から斬りつけてきて、私がその1撃を受け止める。それで私がここから動いたらあなたの勝ち、私が動かなかったら私の勝ち。どうですか?」

「よいとも!願ってもないわ!」

自信たっぷりにガレンスは言った。

彼の真っ向からの斬り下ろしは人1人を縦に両断することさえかなうのである。

ラモナ騎士団博といえどもこんな荒業をしてのけられるものは他にはいない。

さすがに動かないときに斬り付ければ、少年も剣を抜くだろうし、その少年1人の剣を叩き落すことなど造作もない。

はずだった。

現実にどうなったかといえば、少年は剣を抜かなかったどころか、頭を狙ったガレンスの剣をたった2本の指で受け止めたのだ。

勝利を確信していた大男の顔が驚愕に変わり、それは次第に恐怖に変わっていく。

額が真っ赤になるほど慢心の力を込めて、剣を振り下ろそうとしているのに、どんな大兵の持つ剣だろうと、この攻撃に屈しなかったことはないというのに、少年の腕はびくとも動かない。

それどころか、ガレンスがわずかに呼吸を継いだ間を狙って、ぐいと相手の剣を押しやった。

不意を食らったガレンスが大きく態勢を崩したとき、初めての手が刀にかかり、ガレンスの剣のみを両断した。

より正しく言うならば、周りで見ていた兵たちにもガレンスにも、一瞬光が走ったようにしか見えなかっただろう。

それほどが刀を抜くのが早かったのだ。

ガレンスの折れた剣が地面に音を立てて落ちたのと同時に、がするりと刀を鞘に戻した。

「私の勝ちですね」

そう言われてもガレンスは、先ほど態勢を崩して尻餅をついたまま、間抜けのようにぽかんとしていた。

言葉など出てくる状況ではなかったのだ。

一部始終を見届けていた騎士たちも、副団長の様子を笑うどころではなかった。

顔面蒼白になりながらガレンスの心境を代弁した。

「こ、これは、人間ではないぞ!」

昨夜、少女とが言ったとおりになったわけである。









   第13話  軍神の子供たち










ナシアスも驚愕の表情を隠そうともせず、君主を振り返った。

「陛下。これはいったい...あの子供は...いや、子供たちはいったい、何者です?」

試合が終わり、のところへと歩いていく少女も視界に入れ、ナシアスは言葉を付け足した。

その国王陛下は悪戯っぽく笑っている。

「だから俺は何度も言った。あれは人ではない。正真正銘の勝利の神の化身たちだとな」

がガレンスに手を貸して立たせてやっている。

その手が自分に触れようとしたとき、ガレンスは尻餅をついたまま後ずさろうとした。

呼吸は大きく荒く、信じられないようなものを見る目で目の前の少年を見つめていた。

しかし、それにしょうがないとばかりに苦笑して、手を引こうとした少年を見て、この男はすぐに、自分の態度を恥じたらしい。

身震いしてぴしゃりと自分の両頬を叩き、それにきょとんとして引きそびれた少年の手を大人しく取った。

立ち上がると2人の...いや、そこに少女も来たため、ガレンスと子供たちの身長差は相当なものである。

、剣を壊したら、ガレンスは僕と再戦できなくなったんじゃない?」

「え?.........あ...」

思い出したがばつの悪そうな顔をすると、少女が呆れたような顔を向ける。

「剣が壊れちゃったけど、まだやる?」

聞いた少女にガレンスはぶるぶると首を振った。

「い、いや。失敬。も、もう充分だ」

子供たちを見るガレンスの眼は、今までのそれとはがらりと変わっている。

真剣な眼で2人を見下ろしたラモナ副騎士団長は、言葉を喉に詰まらせながらも、名のある騎士か武将に対するような口調で話しかけたのだ。

「み、見事な、お手並みだった。か、か、感服。いたした。そ、そちらの方も、決して、あ、あの勝利はまぐれでは。なかった。す、すばらしかった」

「ありがとうございます」

「そっちもね」

「そ、その...戦士たち」

「リィだよ」

で構いません」

「で、ではその、、リィ」

ガレンスはしどろもどろになりながら、まだ震える手で額の汗を拭き、小さな子供たちにぎこちなく頭を下げたのである。

「そ、その...昨夜からの、私の態度を許してもらいたい。何より、そなたたちの言葉を疑ったことを詫びる。まったく、穴があったら入りたいとはこのことだ」

恐ろしく率直な態度に、子供たちは面白そうに笑って、戦った相手を見上げた。

「それなら僕も、ひとつ許してもらわなきゃならない」

「私も、ですね」

「何を?」

「君をみくびったことを。君がこれほど潔い剣士だとは思わなかった。たとえ負けても、あくまで負けを認めずに、見苦しくあがくだろうと思っていたからさ」

「私は手を取ってもらえずに、罵詈荘厳でも浴びせるのかと思ってしまいましたから」

これにはガレンスも真っ赤になって反論した。

「そんなやつぁ人間のクズだ!」

「そうとも」

「そうです」

「そんなやつに剣をとる資格も、騎士と名乗る資格もない!」

「その通り。だからお互い様だ」

「ええ、お互い様です」

ガレンスも眼を丸くし、まじまじと子供たちを眺め、盛大に吹き出した。

子供たちも楽しそうに笑っている。

ラモナ騎士団の主要な騎士たちが驚きをもって見守る中、ガレンスは子供たちにつき従うように主君の下までやって来た。

照れくさそうな顔で頭を掻いている。

「いや、面目次第もありません。陛下。昨日の大口を恥じいるばかりです」

「なあに。お前に落ち度があるとは思わん。普通なら、こんな子供とお前とで勝負になるわけがない。しかし、とにかく常識の通用しない子供たちだからな」

「まさしく。実を言えば今でも信じられません。なんだってこの   こんな細っこい華奢な腕で、私の相手が出来るんだか」

ガレンスは感嘆と畏れの入り混じった顔つきで子供たちを見やっている。

それは他の騎士たちも同様だった。

ガレンスと剣を合わせる前は、明らかな苦笑とからかいの混ざった冷やかしの視線を向けていたのに、今は何か特異なもの、1種の神がかり的なものを見る眼に変わっている。

それはひとつ間違えば恐怖に成長する感情であったが、うまい具合に畏怖に傾いたようだ。

無論、その原因の多くは、彼らの主君が無条件に子供たちの武勇を称えているからに他ならない。

ウォルはすでにもっとも驚き、もっとも恐怖する頂点を通り過ぎている。

後は素直に相手を評価し、賞賛するだけの柔軟な精神を、この男は持っていたのである。

国王としてはとことん風変わりな男は、笑顔で忠実な部下を振り返った。

「どうだ。ナシアス。お前もこの子供たちと試合(しあ)って見るか?」

「そう願いたいところですが、こちらの勝利の女神と剣の守護神は引き受けてくださいますかな」

「リィでいいってば。本物の勝利の女神が聞いたら気を悪くするぞ」

「私もでいいですよ。私も試合うのはいいんですけど...そうですね、あそこに転がってる剣が気になるので、あれを直させてくださるなら、試合ましょう」

少女の口調はあっさりしたもので、の口調も内容を聞き流しそうになるほどあっさりしたものだった。

それにウォルがきょとんとして尋ねる。

「直せるのか?」

「あれをしばらく預からせてくれて、直していいと、ガレンスが言ってくださるのなら」

「それならば、ぜひお願いする。剣の守護神の直した剣なら箔がつく」

わずかに興奮したようにに言ったが、はそう呼ばれたことに肩をすくめて返し、折れた剣を受け取った。

そのあとガレンスは2人に熱心な態度で勧めた。

「2人とも。俺からもお願いする。ぜひとも団長と立ちあってもらいたい。俺に勝てんとなれば、後はナシアス様を置いて、相手になるものはいないはずだ」

「勝てるとは到底思えないのだがね」

当のナシアスは苦笑している。

「だが、君たちさえよければ手合わせしてもらいたいな。剣の試合は何十となく見たが、さっきのような決着は始めてみた。こうなると一剣士として、私も刃を交えてみたいのだが、どうだろ?」

子供たちは軽く肩をすくめたが、この率直さは気に入ったようである。

「こっちの人たちってほんとにおもしろい」

「1番上にいるのが、おもしろい王様だからじゃないですか」

「そうかもね。僕から?」

「かまいませんよ」

そんなことを言って、少女は今度はラモナ騎士団長と向かい合った。

子供たちは知らなかったが、ナシアスの剣術はその華麗な戦いぶり、勝ちぶりから、美技とまで呼ばれたものである。

力で押してくるガレンスとは違い、相手が巧者であればあるほど自身も力を発揮するという型の剣士なのだ。

見物の騎士たちも、今度は先ほどのようには行くまいと思った。

実際、ガレンスのときとは違って、激しい剣戟になったのである。

2人の足さばき、剣さばきは眼にも止まらぬ速さだった。

おっとりと温厚に見えたナシアスが剣士の血と精力のすべてを傾けて剣を揮っている。

これを受け止める少女も、うって変わって真剣な表情だ。

見物している騎士たち、見習いの少年達にいたっては言葉もない。

皆、固唾を呑み、こぶしを握り締め、食い入るように試合に見入っていた。

異様なくらい静まりかえったラモナ騎士団の砦に刃のなる音だけが激しく響いていた。

そんな中、は静かに交わされる剣の軌跡を追っている。

ウォルもまた息を呑んで成り行きを窺いながら、これほどの試合は一生のうち幾度見ることが出来るか、と、密かに胸のうちで呟いていた。

しかし、ここでも少女の常道から外れた不思議な力が勝敗を決めた。

見た目は13歳の少女の体なのに、獣のように素早く、柔軟で、しかも大男のガレンスを破るほどの腕前の持ち主なのである。

そしてリィならば、振り下ろされるガレンスの剣さえも受け止めてしまうだけの剛力もあるだろう。

いかにナシアスが優れた剣客であり、豊富な実戦経験を持とうとも、こんな戦士を相手にしたことはなかったに違いない。

少女の足を封じるため、眼にも留まらぬ速さで縦横に剣を繰り出していたのだが、それでも間を拾われた。

しまったと思い、飛びのいたときには遅かった。

ナシアスの足をはるかに上回る速度で少女は距離を詰め、防御にまわったナシアスの剣を絡め捕っていたのである。

次の瞬間には少女の剣がぴたりとナシアスの胸に突きつけられていた。

ナシアスは素直に両手を広げて降参の意を示した。

しかし、息を荒くしたその顔は、悔しさよりも驚愕の色に輝いている。

この少女の強さは本物だった。

強敵といわれる相手と幾度となく戦ったナシアスだが、これほど鮮やかにしてやられた覚えはない。

目下のところナシアスが国1番の戦士と認めるのは他ならに国王なのだが、もしやすると王でさえ、分が悪いのではないかとさえ危ぶんだ。

少女は剣を引いて真顔になり言った。

「すごいね」

「すごい、とは?」

「強いよ。君も、ガレンスも。僕が勝てたのは君たちより体そのものが丈夫に出来てるから。それだけだ」

「リィ」

これにはナシアスが苦笑した。

「私に気を使ってそんなことを言ってくれてるのかな?」

「違う。本気で相手をしてくれてありがとうって、言いたかったんだ」

「私の言うことだよ。ありがとう。いい勉強をさせてもらった」

真顔で言われて、頭を下げられて、少女は照れくさそうに頭を掻いていた。

意外そうな表情が顔にある。

ガレンスといい、ナシアスといい、ほんの小娘の自分に敗れたことを憤慨せず、恥じることもなく、素直に力量を認めてくれている。

見ていたウォルは、それは、この少女には未知の喜びだったのだろうと思い、はその様子に他の世界の友人たちを思い出した。

今まで化け物呼ばわりしかされたことはないと言いきった少女は、能力を見せたら、ここの人々も自分を恐れ、異端視するはずだと頭から考えていたのだろう。

もちろんもそう思っていたの部分はあるが、リィよりもはるかに自分を理解してくれる人々に恵まれているだろう。

しかし、ナシアスもガレンスも、つまらない面子や固定観念などに重きは置かない人種である。

身分が低かろうと、年が若かろうと、強いものは強いと素直に認めることが出来る。

「ナシアス様もしてやられましたか」

ガレンスが茶化したが、ラモナ騎士団長は真剣に頷いて言った。

「いや陛下のおっしゃるとおり、相手が人でなければ、私の剣術など通用しなくとも当たり前だ。私はむしろバルドウの娘と剣を交えられたことを喜ばしく思う」

横にいた騎士たちも熱心に頷いている。

との試合はどうするんだ」

「まだ息が荒いようですけど」

「そうだな...どうせなら、万全なときにお願いしよう。さすがに続けてバルドウの息子と剣を交えるのは大変そうだ」

苦笑しながら言うナシアスに、は頷いてその申し出を受け入れた。

ナシアスが軍神の娘と息子と言ったように、今日の子供たちは昨日と同じ粗末な衣服ながら、見違えるような美しさだった。

少女は陽の光に煌く髪を結い上げ、銀の宝冠を載せ、湯浴みした肌は薔薇色の輝きにあふれている。

少年は光沢のある漆黒の髪が、陽の光を受けて虹をつくるかのように輝き、胸元の黒曜石の華が、象牙色の肌をより一層引き立たせている。

現に昨夜、体を洗い、髪を乾かした後の少女に出会った騎士は思わず息を呑み、の髪が反射する光に呆然となり、その場に立ちすくんだくらいなのだ。

少女のほうはいつものことと気に止めなかったが、は単に違う人種の顔立ちが珍しいのだろうと気づいてさえいなかった。

それを男は面白そうに笑って言ったものだ。

「リィはその顔で得をしたことはないというが、俺にはそんなことないと思うぞ。美しいということはそれだけで充分力になりうるものだ」

「きれいな女の人ならたくさんいるじゃい」

「そうとも。だから彼女らは男を魅了する魔法が使える」

「魔法?おもしろいこというね」

「確かに化粧前と化粧後で、どうやったらこうなるのか問いただしたくなるような女性もいますけどね」

「そんなに違うかな?」

「ええ、実際に見るとすごいですよ。まあ、それ以上にすごいのは、男性の好みの女性になりきる女の人ですけど」

「そうだな。分別も地位もある男が若い娘に惑わされるのを、俺は何度も見てきたからな。そのたびに女は怖いと身震いしたものだ」

「よく言うよ」

少女は呆れ顔である。

「それなら男にだって女の人を夢中にさせる魔法が使えるわけだ。ウォルなんか、いくらでも女の人を引っかけられそうじゃないか」

「確かに顔は良いし、地位も1番高いですしね」

「今まで1人も引っかけられた試しはないがな」

真顔で言い返した男である。

どうもこの王様は本当に艶話には縁がないようだ。

「俺の話ではない。お前のこと...いや、お前たちのことだ。当たり前の女ならば1人の男を魅了するだけの魔法が使えれば良いし、男なら1人の女を魅了できればいい。他の異性には無効でも、自分が思いを寄せる異性1人を夢中にさせることが出来ればいい。しかし、お前たちの場合はもっと大勢の人を、もっと強力にひきつけることが出来る。間違いなく」

「リィはともかく、何で私までそうなるんですか」

そう言われても少女は気のなさそうな様子で、にはまったく自覚がない様子だったが、男の考えは的を射ていたようである。

でなければこれほど鮮やかに騎士たちの心をつかみはしない。、

自分たちの団長と副団長が見ず知らずの相手に完膚なきまで敗れたというのに、彼らは憤慨することなく、主を軽んじるでなく、素直に賞賛と畏怖の眼差しを向けているのだ。

「じゃあ、僕とウォルとの3人だけでコーラルを目指しても構わないかな」

すぐにでも出発しようとする少女に、ナシアスが苦笑しつつ頷いた。

「出来ることなら私も同行したいのだが...」

「それは駄目だよ」

「駄目だ」

「駄目です」

3人が同時に言った。

「コーラルはすでに俺の帰国を知っている。ウィンザから逃れた俺がこのビルグナを目指すことくらい、やつらにも分かっているはずだ」

「そのうちここにコーラルから様子見のお使いが来る。その時に団長不在じゃあ、怪しんでくれって言ってるようなもんだ」

「それにあなたがここにいることで、コーラルの注意を分けることが出来ます。まさか騎士が1人もいないなんて考えないでしょうから、うまくいけばコーラルまで気づかれずに行けます」

口々に言う3人に、聞いていた騎士たちはなるほどと思ったのである。

ナシアスにも分かっていたことだが、あらためて感心した。

この子供たちは確かに並ではない。

「だがね、、リィ。ひとつ聞きたいのだが、先にコーラル城に捕らえられている人たちを救出すると君たちは言ったが、兵隊も使わずにどうやって救いだすつもりなのかな?」

子供たちは答える代わりに、ぐるりと砦を囲っている壁を見上げた。

「ウォル。コーラルの城壁と、この壁とどっちが高い?」

「そうだな。同じくらいではないかな?」

「リィ、どっちにしますか?」

それは大人の身長の5倍はあろうかという壁だった。

近づいて壁を叩いている少女と、まじまじと壁を見上げる少年に、騎士団員達も何をするのかと興味津々の眼つきで見ている。

「助走に使える距離はどのくらい取れる?」

「お前。飛び越えようというのか。これを?」

男は驚いた。

いくら少女の足でも不可能だと思った。

ところが、少女は振り返るとあっさりと言った。

「確かに僕1人じゃ無理だ。ウォル、踏み台やって。はもう1つの方を試すか?」

「そうしましょうか」

「踏み台とは...ここによつんばいになれば良いのか」

「よつんばいじゃあ、低いでしょう」

大真面目に両手を突き出した王様にナシアスは額を押さえ、ガレンスは呻き声を上げ、その他大勢の騎士たちは真っ青になって止めにかかった。

「へ、陛下。お、お待ちください!!」

「そのようなこと、私が変わりにいたします!」

「いえ私が!」

押しあいへしあいしながら、主君の見代わりになろうとした騎士たちだが、少女はの言葉に頷き、よつんばいでは低すぎると注文をつけた。

「立ったまま、壁のほうをむいて両手をついて。肩を借りる」

「うむ。助走に使えるのはお前の足でせいぜい10歩ぐらいだと思うぞ」

「分かった」

言うが早いか少女は10歩分下がると、勢いよく助走をつけ、男の肩を踏みつけにして飛び上がったのである。

騎士たちは皆、我が眼を疑った。

次の瞬間には少女が外壁の上に立っていた。

あり得ないことだった。

この塀を越えるには少なくとも鉤爪のついた鎖縄か、2本継ぎ合わせた梯子が必要なはずだ。

しかし、現実に少女は外塀の上に立っている。

ほつれかかった金髪をそよ風になびかせて、笑顔で男たちを見下ろしている。

「大丈夫。越えられる。は。登れそう?」

「今行きます」

そう言って塀のわずかな出っ張りに指をかけると、ぐいっと自分の体を持ち上げた。

ほとんど凹凸のない塀を指の力だけでどんどん登っていく少年に、騎士たちは呆気にとられ呆然と見入った。

1分ほどで少女の横に手をついて体を持ち上げ登りきると、手についたほこりを軽く払って声をかけた。

「大丈夫そうですね」

そう言ってお互いに頷くと、今度は2人が登った順にひらりと飛びおりて来た。

あのウィンザ城で男が眼にした光景そのままだった。

落ちたりしたらただではすまない高さを、この子供たちは自由に跳ぶことが出来るのだ。

「とにかくこれではいることは出来るよ。出るときのことはまた何か方法を考えよう」

「そうですね。半年も捕らえられているなら、筋肉が衰えているでしょうし、縄を登るのも大変でしょう」

「確かに。お前たちには越えられても、並の人間にはこの方法はまず無理だ」

「だろうね。それに肝心なのはフェルナン伯爵を助けることだ。他の人たちは改革派もすぐに命を奪うような手出しは出来ないと思う」

「同感だ。伯爵は罪人ということになっている。だから処刑を持ち出せる。しかし他のものは皆、長くデルフィニアに仕えた重臣だからな。蟄居を言いつけるのがせいぜいだろうよ」

「そうなると、なるべく早い方がいいんですけど...」

のどかに話す主君と子供たちを見つめる騎士たちは、ものも言えないでいた。

自分の見たものが信じられなかったのだ。

ある騎士は、本当に軍神バルドウが子供たちを送ってくれたのかもしれないと思い、またある騎士は、デルフィニアは神の栄光に輝くのだとさえ感じたのである。

ナシアスもまた小さく祈りの言葉を呟き、バルドウに感謝を捧げ、水色の眼を感動に潤ませて子供たちに話しかけた。

「陛下を、よろしくお願いする」

「「まかせて(ください)」」

「僕も見たいんだ。コーラルのお城で王冠をかぶったウォルをね」

「もちろん、そのときにはあなたたちも傍にいるんでしょう」

ナシアスとガレンスがそろって力強く頷いた。

それこそ、彼らが何より我が眼にしたいと切望しているものだった。

「我らの国王にはバルドウの子供たちがついている。これからそう言って他の領主たちを説得しにかかることにするよ」

ナシアスの言葉に、子供たちは可愛らしく首を傾げて笑ったものだ。

「本当に神様だったら、傍観しているだけで、手なんか貸しませんよ」

「僕たちは神様なんかじゃない。ちょっとばかり変わってはいても、ただの子供だ。だから役に立てると思う。なにしろ人間の男ってば、女と子供に弱いからね。今の僕はその両方なんだから、コーラルにどれほど兵隊がいようと素通りできるさ」

「(見た目は)子供が2倍でより効果的ですよ」

「そうかな?」

「「そうだよ(ですよ)」」

2人は真顔で頷いた。

「頭からなめてかかって油断してくれるでしょ?裏をかくのなんか簡単だよ」

「見た目で判断してくれるほど好都合です。そういう方たちを、うまく騙して差し上げます」

これにはガレンスが複雑怪奇な顔になり、ナシアスは納得したように頷き、そしてウォルは小さく吹き出していた。









あとがき

デルフィニア戦記第13話終了です。
ガレンスとの対決その2を、夢主人公に変わってもらいました。
これで『デルフィニア戦記 第T部 放浪の騎士T』が終了です。
ここまで読んでくださって、ありがとうございました。

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