その広場を囲むようにいくつかの建物が点在している。

左手には馬屋があり、その横に並んでいるのが家畜小屋のようである。

正面よりやや右には塔を備えた立派な建物があり、これが砦の中心らしい。

そこから屋根月の渡り廊下が伸び、右手の建物に続いていた。

この建物は1階建てで、入り口は壁を切りとっただけだった。

台所のようで、中では若い騎士たちが忙しく働いていた。

他にも兵舎らしきもの、礼拝堂らしきものが、広い敷地に整然と並んでいる。

この砦はきちんとした四角形ではなく、不規則な多角形を描いているらしい。

「ウィンザ城とは全然違うね」

「そうですね」

少女が驚いていったことに相槌を打ちながら、は辺りを見回している。

ウィンザ城は正方形の建物だったし、内部にはこんな空き地部分は見当たらなかった。

「1つにはあれだ。ウィンザと違ってこのビルグナでは、まず水の確保が問題になる」

男が指し示した右手に大きな井戸がある。

「この広場は馬場にもなるし、騎士たちの鍛錬の場にもなる。何よりも危急の際には、近隣の農民達がここへ避難してくる」

「なるほど」

「そういうことか」

2人は納得して頷いた。

「だけど、これだけ立派な騎士団があるなら、何も危ないことなんてないんじゃないか?」

これには3人の後からついてきていたナシアスが、こほんと咳払いをしたものだ。

「そう簡単にはいかないのだ。海からは遠いビルグナだが、まれに海賊が村を襲撃することもあるのでね」

「海賊。いるの?」

「そういえば、海賊は見たことがありませんね(見たことがある物騒な職業だと暗殺者とか、盗賊とか、妖怪とか...あ、妖怪は職業じゃありませんね)」

少女はちょっと眼を丸くし、は見たことのなかった海賊に興味を示した後、見た目的には年齢も体重も倍はありそうな騎士団長に向かって大真面目に話しかけた。

「自己紹介がまだだったな。グリンディエタ・ラーデン。リィだ」

「私はです」

「ラモナ騎士団長ナシアスだ」

つられて名乗り返し、何とも言いがたい顔になったナシアスである。

他の騎士たちも同じく、どうも釈然としない顔つきでいる中、男と少年と少女は砦の中心を成している塔へと歩いていった。

国王帰還を待ち望んでいたビルグナだが、極秘を要するとあって、華々しい宴などは行われなかった。

団長ナシアスをはじめとする限られた者たちが、その夜、国王と食事を共にし、コーラル奪回の方策を密やかに検討しあったのである。

その席に子供たちは当たり前のように混ざり込んだ。

男は寝るようにとは言わなかったし、2人のほうも話の輪から外れるつもりはなかったのだ。

ここまで来ると、さすがに団長のナシアスだけは平然としていたが、他の主要な騎士たちは相変わらず苦い顔である。

しかし、話を始めると、そんなことは忘れてしまった。

問題があまりに重大だったからである。

「何と言っても1万の近衛兵団。これが大きゅうございます。本来なれば陛下の管轄に入るべき兵力ですが、今はペールゼンの直轄という有様でして、これをどうにかしないことにはコーラル奪回はとてもとても...」

「しかし、ビルグナを以てしても1万の近衛兵団を相手にするのは至難の業です。頼みのティレドン騎士団はバルロ様を人質に抑えられているものですから動くに動けず、またヘンドリック伯爵、アヌア侯爵、ドラ将軍らのご家臣かも、主人に万が一のことがあってはと行動を控えております」

「となると必然、頼みとするのは地方領主たちということになるな」

「いかにも。どの領主も今のところ表立ってペールゼンに反旗を上げる心積もりはないようですが、陛下がお戻りになったことを明かし、陛下こそが正当なデルフィニアの国王であると明らかになされば、彼らの考えも変わりましょう」

「ふうむ。しかしな。俺は先代国王の遺児たちの暗殺を企んだ悪人ということになっているからな」

この意見にはナシアスを始めとする騎士たちが熱心に反論した。

「確かにペールゼンはそう主張し、陛下を貶めようと謀りました。しかし、それが偽りであることは今ではほとんどのものが知っております。他でもない、現在の改革派と称する者たちの行いこそが、陛下の潔白を証明しているのです」

子供たちが感心したように言ったものである。

「状況は君に有利みたいだな」

「そのようだな。少なくとも、人の心証という限りにおいてはな」

「ウォル、普通はそっちのほうが手に入れるのに苦労するものですよ」

「そうだよ。何よりじゃないか。これはもう、まっすぐコーラルを目指したらどうだ。ここに国王がいるぞと声を上げていくだけで、コーラルにつくころには2、3千の軍隊ができあがってるんじゃないか?」

「俺もそれは考えた。だがな、下手に接近すればペールゼンがどんな手段に出るか分からん」

「フェルナン伯爵のことか?」

「後は、あなたに味方をしていたひとたちも捕まっているんでしたね」

「そうだ。まして伯爵も他の者たちも俺の妨げになるくらいなら、死を選ぶ人だからな」

男は難しい顔で考えた。

そうすると、進軍より先に救出した方が良いかとが考えていると、少女がコーラル城の造りを尋ねたので、そちらに耳を傾ける。

「コーラル城は横から見るとかなりの斜面の上に立っている。最も低いところは市街地、最も高いところはすでに山腹だ」

「山の途中からふもとにかけて造られているわけだ...階段だらけだな」

「それとも曲がりくねった道で、緩やかに上り下りするようになっているんですか?」

「いや、整地は万全だし、傾斜も緩やかだから、わざわざ曲がりくねった道を歩く必要はない。まあ、階段が多いのは確かだが、問題はその立地だ。王宮の背後は途端に傾斜が険しくなるパキラ山脈の壁だ。難所続きの上に、狼が生息するからな。越えるのはまず無理だ」

「守りにはちょうどいいわけだ」

「確かに城の立地としては最適なようですね」

「後ろが駄目なら正面は?」

「もしくは横、ですね」

「なお悪い。あの城は正面も側面も3重構造になっている」

男は簡単な図を描いた。

「1番外側にあるのが大手門。市街地と城の境目だ。次が廓門(くるわもん)、1番上にあるのが正門」

「門はみんな同じ方向を向いてるの?」

「そうだ。つまりは外壁をくぐってから、城の中枢にたどり着くまでに、2つの関所があるようなものだ」

「関所ということは大きな荷物なんかも検分されるんですか?」

「そうだ。上に行くごとに厳しくなる」

男は説明の続きにかかる。

「大手門から廓門までの間を三の郭と呼んでいるが、ここには兵舎、馬場、家畜小屋、食糧貯蔵庫などが点在している。廓門から正門までの間は二の郭だ。家臣達の屋敷のほかに武器庫、もちろん兵舎もある。正面門内は一の郭、王城の最上部であり、中枢でもある。執務室をはじめとする本宮に、宝物庫、王族のためのいくつもの離宮。元老院、礼拝堂などだな」

「離宮ということは、当然王宮から離れたところに造られるんですよね」

「となると相当大きいな」

「無論だ。コーラル市全土の3分の1を占めている」

「ひとの出入りはどうなってる?一般市民が城の中へ入ることは出来る?」

「三の郭までならさして難しくはない。正面玄関である大手門を市民が通り抜けるのは無理だろうが、外壁には他に4つの通用門が設けられているからな。昼間なら皆気軽にやって来るぞ。兵士達の家族が差し入れにも来るし、何か困ったことが起きたときの陳情所も三の郭にあるからな。しかし、滅多なことでは廓門はくぐれない。まして一の郭への正門となると...よほどの理由がなければ無理だろうな」

「「よほどの理由か(ねぇ)...」」

2人とも難しい顔で頷く。

「伯爵が捕まってるのはどの辺りだと思う?」

「間違いなく、一の郭、北の塔だろうよ」

「つまり、1番出入りが難しい郭ですか」

「それで、他の将軍や侯爵は自分の家に、つまり二の郭に閉じ込められているわけだ」

「ペールゼンの配下の見張りつきなんでしょうね」

「おそらくな」

子供たちも男も考え込んでしまった。

下手に攻め込んでいくと、その人たちの命に関わるのだが、かと言ってこのままにしておくわけにもいかない。

になら空を飛んでいくとか、こっそり忍び込んで閉じ込められているところを壊して救いだすなどということも可能だが、それは出来ない。

他の世界の技術を使って、その世界の歴史の流れをおかしくしないために、他の世界の技術を多用しないと自分で決めている(しかし、あくまで『多用しない』であって、まったく使わないわけではない)。

まして、1人でこっそりと忍び込んだり、建物を壊してしまっては、ウォルの悪評をペールゼンに提供するようなことにもなりかねない。

3人と同じように、会談に参加していたナシアスも、深刻な事態に難しい顔でいる。

「我々がコーラルへの進軍を今日まで思いとどまりましたのも、それが原因なのでございます。おそらくペールゼンは、暗にティレドン騎士団長他の、重鎮方の命を盾にしてくるに相違ございません」

もう1人の騎士がやはり悔しげに言う。

「我々は犠牲を惜しむものではありません。我がラモナ騎士団が全力を持って攻めかかれば、相手が近衛騎士団であろうとも五分の勝負を譲るものではありません。しかし被害の程も甚大。まして多数の血を流した結果、仮に勝ちを収めたとしてもその方々の身命が失われた上でのことでは...」

「「意味がないね(ありませんね)」」

子供たちが言った。

「コーラルを取り戻したとしても、首都は半壊、味方は全滅じゃあ、ウォルは裸の王様だ」

「そこを他の国に攻め込まれでもしたら、ウォルがデルフィニア最後の国王になってしまいます」

ナシアスは柔和な顔にさすがに苦いものを貼り付け、その横にいた副官らしい屈強な騎士が、これは顔を真っ赤にして身を乗り出した。

「よいか。子供ら」

「なんだい、男」

「男ではない。ガレンスだ!」

「リィだよ。ガレンス」

です」

少女が名乗った後に、も軽く肩をすくめながら名乗る。

両手を握り締めたガレンスは精一杯穏やかな声で言った。

「陛下の思し召しとあるならば止むをえん。私はそれに従おう。お前たちに対しても行動の自由を保障しよう。しかしだ、恐れ多くも陛下を、御名で呼びつけるとは無礼ではないか」

「ガレンス。名前ってのはそのためにあるんだ」

「それに私たちは国王の友人ではなく、ウォルの友人ですから」

真顔で言いさとした少女と、ごく当たり前のことのように話す少年に、ガレンスは震える手を自らの髪に突っ込んだ。

その横では騎士団長が、どうにも困り果てた表情で、ゆっくりと首を振っている。









   第12話   ビルグナの夜









そんな相手を少女は気の毒そうに見やり言った。

「あのね。僕をただの女の子で、をただの男の子だと思うから腹が立つんだよ。あまり気にしないほうが良いんじゃないかな」

「でも人の印象の9割は見た目で決まるそうですから、難しいと思いますよ。気休めにはなると思いますけど」

何とも親切丁寧な少女の意見に、が正反対の事実を突きつけ、フォローにならないフォローをする。

それには2人とも今度はげっそりと肩を落としたが、さすがに先に立ち直ったのはラモナ騎士団長のほうである。

ナシアスはなかなかの美男子で、洒落ものでもあった。

衣服にも頭髪にも手入れが行き届いている。

おそらくは感情の乱れや受けた衝撃をそのまま外に出すことに抵抗を覚える種類の人間なのだ。

「では尋ねるが、君たちは何故、コーラル奪回に反対なのかな?」

「別に奪回には反対はしていませんよ」

「間違えないで。強引なやり方が反対なんだ」

「どうして?」

やさしげに面白そうに尋ねたナシアスである。

子供をあやすときの大人の顔だった。

2人ともそれに気づいたのかどうか、さらに子供のような口調で言う。

「だって、お城に捕まってるのは、いきなり田舎から降って湧いた私生児の王様に忠誠を誓ってくれる貴重な人たちだろ?ある意味ではすごく物好きだけど」

「そうですよ。いくらペールゼンが流したといっても、先代国王の暗殺疑惑がくっついている王様を、いなくなった後も支持してくれてる人たちですからね」

後になってガレンスは、もう少しで剣を引き抜くところだったと友人に語ったものだ。

そんな葛藤に気づいているのかどうか、子供たちは真顔になる。

「逆を言えば実に見る目がある人たちだ。ペールゼンに従ったほうが安全で得なのに、ウォルのほうが何倍も値打ちがあることをちゃんと見抜いている。つまり、デルフィニアの立てなおしにはどうしてもその人たちが必要ってことになる。死なせるわけにはいかないよ」

「さらに言えば、むやみに市民を巻き込むわけにもいきませんよね。立てなおしの際に民衆の理解と支持が得られているかどうかで、進み方にずいぶんと差が出てきますし」

ナシアスはちょっと眉を上げて軽い驚きをしました。

「君たちは、すでにコーラルを取り戻した後のことを考えているのかな?」

「「当たり前じゃない(ですか)」」

「小僧と小娘が。何を呑気なことを言っている」

ガレンスがまた声を荒げる。

「それがどれほどの難行だと思っている。敵は精鋭を以て鳴る1万の近衛兵団だぞ。しかも中央の真珠と謳われるコーラルだ。いざとなれば半年や1年は軽く籠城してみせるところなのだぞ」

「あれ?ビルグナの戦力なら、その近衛兵団とも互角に戦えるって言わなかった?」

ガレンスはぐっと言葉に詰まった。

その様子には苦笑し、少女はにっこりと笑った。

「正面からぶつかれなんて言わない。コーラルを傷物にしたんじゃ意味がない。簡単じゃないのも分かってる。だけどね、ここにちゃんとした王様がいるんだから、王冠載っけてあげるのが筋ってもんじゃないか」

「実際に王冠を載せているところを見てみたいですしね」

当の王様が軽く吹き出し、子供たちに向かって丁寧に頭を下げた。

「かたじけない」

「いえいえ」

「どういたしまして。ついでに言うなら載っけるだけじゃ駄目だ。肝心なのはその後だ」

「王様の仕事はコーラルを奪回することではなく、デルフィニアを統治することでしょう。おそらく、奪回してもあなたに敵対するものがいなくなるわけではありません」

「それでも、2度とこんなことが起きないようにしなきゃならない。誰もがウォルのことを本当の王様だと認めて敬うようにしなきゃならない」

「そして、矛盾だらけの噂で動くことがない程度には、国民に支持されなければなりません」

「でないと必ず第2、第3のペールゼンが出てくる」

「特に権力が強く、今ペールゼンとつながりがあったり、支持している人たちなら、そのやり方を真似ればと思う人たちがいるはずです」

「そうならないためには、その足場固めには、お城に捕まっている人たちの協力が絶対に必要なはずだ。違う?」

違わない。

子供たちは唖然としているガレンスを尻目に、ウォルに向かって話しかけた。

「国王軍の結成は置いとくとして、とりあえず様子を見にコーラルまで行ってみたらどうだろう?なんなら僕が町の子供みたいな振りをして探ってきてもいい」

「コーラルの状況次第では、もしかしたら二の郭に閉じ込められている方たちとも連絡が取れるかもしれませんね」

男は口の端だけでちょっと笑った。

「悪くない考えだ。いきなり大軍を率いていくのは俺もどうかと思う。近衛兵団に確実に対抗できる戦力が集まらないとなれば、なおのことだ。今のコーラルの状態をまず確かめたい」

「じゃあ、明日早速コーラルを目指して出発しよう」

「そうですね。早いほうが向こうも情報を把握しづらいでしょうからね」

「どうする?ウォルとと僕の3人だけで行く?」

「いや、陛下。それは...」

さすがにナシアスが口を挟んだ。

目立たないようにコーラルまで近づくことを思えば、確かに人数は少ないほうがいいのだ。

しかし、国王の傍についているのが、この子供たち2人だけというのは承服しかねる事態である。

「ぜひとも、我が騎士団のうちから、せめて一小隊をお連れください。コーラルに近づけば、陛下のお顔を知るものも増えて参ります。その者たちの口からペールゼンの耳に入っては取り返しのつかないことになります。陛下の身をお守りするためにも護衛は必要でございましょう」

「それは構わんのだが...」

男は言いかけて困ったように子供たちを見た。

は首を傾げ、少女は肩をすくめて見せた。

「それは構わないんだけど、この騎士団に、僕より強い剣士が何人いるのかな?」

「え?(ゼロ)人でしょう」

ガレンスが飛び上がった。

「おのれ!小娘!小僧!陛下の御前ゆえ我慢に我慢を重ねたが、もう勘弁ならん!その根性を叩きなおしてくれるわ!」

「ほんと、みんな判で押したみたいに、同じことを言うなあ」

「ただ事実を入っただけなんですけどねぇ」

少女は笑い、は呆れたように言う。

「これで僕が君を倒したら、やっぱりみんな判で押したみたいに『これは人間ではないぞ』って合唱するんだ」

「どちらかというと、大合唱じゃないですか」

「誰が言うものか!ええい、この、小生意気なちびすけどもの分際で!」

「じゃあ、ガレンス。賭けをしよう」

「何だと!」

「いちいち怒鳴らない。頭に響く。今日はもう遅いから明日の朝、君と僕で腕試しをしよう。もやる?」

「かまいませんよ」

身を乗り出して吼えていたガレンスが、きょとんとした顔になった。

「腕試しとは...何のだ?」

「剣のに決まってる」

「いやなら力比べでもいいですけど?」

「何だとお?」

大男のガレンスは目を丸くした。

それから自分より頭2つ分は小さい子供たちをまじまじと眺めた。

「馬鹿なことを言うな。お前たちのような子供を相手に剣を向けられると思うのか」

「いや。やってみてくれ」

言ったのはさっきから見物にまわっていたデルフィニア国王である。

「そしてな。ガレンス。悪いが俺はこの子供たちの勝利に賭けるぞ」

「陛下!」

これには大変傷ついたような顔になったガレンスである。

次いで真っ赤になったのは、よほど悔しく情けなかったのに違いない。

「それは...それはあまりなお言葉です。陛下は、陛下はこのガレンスをそれほど侮られ、軽んじていらっしゃるのでございますか」

それだけ言うのがやっとの有様だった。

「とんでもないことだ。ナシアスについでラモナ騎士団で勇名を馳せる闘士の名を、どうして俺がそれほど粗末に扱うものか。お前の武勇も、忠誠も、かけらなりとも疑うくらいならば、王冠など投げ捨てた方がはるかにましというものだ」

最大級の賛辞を贈られ、巨漢の戦士は顔中を歓喜にほころばせ、感動にうち奮えている。

「しかしだ。ガレンス。お前の武勇も相手が人ではないとなればいささか分が悪い。論より証拠だ。明日、剣を交えてみれば分かるだろうが、この娘はまさしく勝利の女神の化身、こっちの子供も剣の守護神の化身というべきものだ。リィがいささか見目かたちがよすぎるところと、に両腕がそろっていることを除けばだがな」

これには子供たちが首を傾げた。

「何?ここの勝利の女神って、あんまり美人じゃないわけ?」

「ここの剣って両手で持つのが主流なんじゃないんですか?それなのに片手の守護神?」

応えて男は、まるで子供のように、こっそりと声を低めて言った。

「女神のほうは、美女どころか、かなりの醜女でな。しかも大変な悋気の持ち主で、夫のバルドウも辟易しているという女神だ」

「うへえ」

「...ずいぶんと個性のある神様ですね」

「うん。変な神様だねえ。それじゃ、拝む甲斐がないじゃない?」

「うむ。つまり勝利というものは、バルドウを信じ、全力で戦えば自然と微笑んでくれるはずだと、そういう考え方からのようだな。はじめから勝利を当てにしていると、気難し屋の女神ゆえ、そっぽを向いてしまうというのだ」

「ははあ...いろいろ大変なんだ」

「それで。守護神のほうは?」

「バルドウの兄弟とも、息子とも言われているんだが、太陽と月をむさぼり喰う怪物を退治するために、口の中に右腕を差し入れることで相手を油断させ、魔法の剣で怪物を空に(はりつけ)にした。その結果、腕を食いちぎられてしまったため、片手になった。しかし、剣の腕前が少しも落ちることがなかったということから、剣の守護神といわれている」

「へぇ、剣術の神様だから勝利の神様と兄弟って所かな。よく出来てる」

「さすがにそんな痛そうなことを進んでやるような人(?)と一緒にされるのは...」

しみじみと言う子供たちに男は苦笑を禁じえなかった。

「ナシアス。俺は出来るものならこの子供たちと3人でコーラルへ向かいたい。無論その必要があれば、ラモナ騎士団の力を借りることに躊躇するものではないのだが、今、軍を率いて接近すれば、ペールゼンは守りを固めて人質の命を盾に取り、我々の動きを止めようとするだろう。それだけは避けねばならん。長引かせれば陣地を持たぬ我々に不利だ」

「ごもっともでございます」

ナシアスは苦笑しつつ、丁寧に頭を下げた。

「しかし、国王自ら偵察の役目を買って出られるとは前例がございません。ドラ将軍の耳に入りましたら、何故そのようなことをさせたのだと、私が雷を落とされてしまいます」

「それを言うなら妾腹の王も前例がない」

男は笑う。

「俺自身の眼で確かめるのが1番確実だ。お前たちの出番はその後に取っておく。あとはこの子供たちの腕前だが...」

ナシアスも頷いた。

「確かに陛下のおっしゃるとおり、普通の子供とはどこか違っているように思えます。もしこれで、事実ガレンスを相手に出来るだけの剣術を身につけているとするならば、驚異的なものです」

「ナシアス様。馬鹿をおっしゃらんでください。私がこんな小僧と小娘に後れを取るわけがないでしょうが」

ガレンスは渋い顔だ。

騎士団長は少しばかり皮肉気な笑みを浮かべた。

「では、お前は陛下のお言葉を信用できんと言うのか?」

「いや、それとこれとは...」

慌てたガレンスだった。

「それとこれとは話が別です」

「まあいい。明日になれば分かることだ。ところでお嬢さん方」

「リィだよ。お兄さん」

「...私もおまけのような呼び方ではなく、名前のほうがいいですね。お兄さん」

小さく微笑んだ団長である。

「そう呼ばれるのは妹が嫁いで以来だな」

「嫁いで以来ですか?」

「妹さんはお嫁に行ったら、お兄さんて呼んでくれなくなったの?」

「いいや。遠方へ嫁いだので、それ以来会えずにいるのだよ。もう3年になるかな?私の妹も相当のおてんばだったが、それでもリィには負ける」

「そりゃあどうも」

(見た目が男の子のままだったら、やんちゃと言われてたんでしょうねぇ)

「ところでだ。湯殿の支度が出来ているのだが、どうするかね?先に陛下にお入りいただくが、君たちも体を洗いたいなら火を落とさずにおくよ」

「おふろ?」

「...リィ?」

少女はぎくりとしたようで、それを見たは既視感に襲われ首を傾げる。

「いい。いらない。水で洗う」

「それは無理だと思うぞ」

「何故ですか?」

ウォルの言葉に、が疑問を投げかける。

「この辺りには体を洗えるような泉や川はほとんどない。飲料にするのが精一杯だ」

「じゃあ何でここにはお風呂があるのさ」

「陛下が半年ぶりにお戻り下されたのだぞ。それくらいのおもてなしが出来なくてどうする?」

呆れたようにガレンスが言う。

要するにここでは風呂はかなりの贅沢であり、滅多に使えるものではないということだ。

国王がこの子供たちに全幅の信頼を寄せているようなので、ナシアスはこんな申し出をしたのだろうが、少女は複雑怪奇な顔をしている。

「その...好意を無駄にするのは悪いと思うんだけど...どうもあの、お湯で体を洗うのって、すごく苦手で...遠慮したいんだけど...」

「リィ?」

こんなしどろもどろになっている少女を見たのは初めてで、男は思わず眼を丸くしていた。

はこの様子に、さっきからの既視感の正体が喉元まで出ているため、じっとその様子を見ながら考え込んでいる。

「だがね、リィ。君はずいぶんと汚れているようだし、洗ってさっぱりするのも悪くないと思うのだが。それとも風呂を使ったことがないのかな?」

身分の低いものならよくあることだが、それとも違うらしい。

少女はなんとも恨めしそうな顔つきだ。

「そうじゃないんだけど...気持ち悪いんだよ。あれ。それに、どうせまた旅をして汚れるんだし、わざわざ洗ったって意味ないよ」

「いや。そうでもないぞ」

男が悪戯っぽく笑って進み出た。

「確かに我々の風体はひどいものだ。ここで少しばかり身奇麗にしていくのも悪くはなかろう。浮浪者と間違われるようでは困るからな」

さっさと決めてしまうと、湯殿へ案内してくれるように言いつけた。

それからいやがっている少女の首根っこを捕まえるようにして促し、先ほどから黙っている連れにも声をかけたとき、既視感の正体に気づいたがぽんと手を叩いた。

「そうそう、何かに似てると思ったら、お風呂を嫌がる小さい頃の悟空(あかんぼう)に似てるんですね。うん。分かったらすっきりしました」

にこにこと笑いながら言った言葉に、男が少女を見てなるほどと頷き、少女がいやそうに顔を歪めた。

「確かに似てるな。ほれ、リィ。往生際が悪いぞ。戦士が風呂を嫌がってどうする」

「戦士がいちいち身なりに気を使ってどうするんだよ」

「むさ苦しいよりはいいじゃないですか」

言い返した少女に、もすかさず言い返し、男も引かなかった。

「いいから来い。なんなら俺が洗ってやる。故郷ではよく馬や犬を洗ってやったものだ」

「犬はともかく、リィくらいの体格なら、馬というより子馬じゃないですか?」

「人を馬扱いするなってのに」

そんなことをぶつぶつ言いながらも少女は仕方なく、男と少年に従い、案内役の騎士たちと共に部屋を出ていった。

主君の姿が見えなくなると、ラモナ騎士団長は小さく噴出し、副団長は苦々しい顔でそんな上司をたしなめた。

「ナシアス様。笑っておられる場合ではありませんぞ。まがりなりにもこのビルグナで陛下に対し、あのような態度に出るとは許せません。あの子供らには少し礼儀と言うものを教えねばなりません」

「その陛下が構わぬと言うのだ。お前もそう渋い顔をせず、少し見る眼を変えてみたらどうだ?」

「見る目も何も、腹立たしいと思うばかりです」

「そこだ。頭から敵意を持って見たのでは、悪い印象しかもてないのは当たり前だぞ」

ナシアスはなかなかくだけた人柄のようで、感慨深げに顎を撫でている。

「気づかなかったか、ガレンス。あの子たちは1度もコーラル奪回が不可能だとは言わなかった。我々でさえ、かなうかどうかこの半年、散々に議論を重ねたことだというのにだ」

しかし、ガレンスは相変わらず渋い顔だ。

「子供の考えなど、その程度のものです。どの位の難事かも知らんので、そんな気軽なことが言えるんです」

「それにしてはコーラル城の造りをずいぶん丹念に聞き取っていたとは思わないか?あれだけ聞けば蝿の頭ほどの知恵しかないものでも、忍び込むのは到底不可能な難攻不落の城だということくらい分かるはずだぞ」

「ナシアス様。まさかナシアス様まで陛下のまねをして、あんな子供らを頼りに戦いを始めようとおっしゃるんですか?」

ガレンスは若い男ではなく、40にはなっているだろう。

そのぶん頭が固いのか、あるいは自分の剣という確かなものを頼りに世を渡ってきたものの習性なのか、あまりあの子供たちに値打ちを見出せないでいるようだ。

「私はただ、不思議に思っているだけだ。陛下は我々ラモナ騎士団を捨ててでも、あの子供たちを取ると言われた。王位簒奪者どもを首都から追放し、再び王冠の載くと決意されている方が、2千の兵士よりも2人の子供をだ」

その騎士たちを団長ともども統括する立場にある大男は顔をしかめた。

それがガレンスにはおもしろくないのだ。

「失礼ですが、陛下でなければ...」

「気でも違われたのかと思っただろうな。この私も」

ナシアスはさらりと言った。

「しかし、陛下は本気で、あの子供たちを同盟者として頼むつもりでいらっしゃるらしい。陛下にそこまで言わせるものがあの子供たちにあるなら、それがなんなのか、私も知りたいのだ。我々はあくまでデルフィニア国王の臣下なのだからな。陛下の信じておられるものを信じられぬようでは困る」

「ナシアス様...」

ガレンスはまだ呆れたような顔をしていたが、やがて軽く肩をすくめた。

「ご命令とあらば止むを得ませんが、本気で私にあの子らと戦えと言われるんですか?」

「陛下のご意思だぞ。私もどうなるのか確かめてみたい気もするからな」

ナシアスは真顔になる。

「ガレンス。とにもかくにも陛下はご無事でお戻りくだされた。あの内乱の夜、ただ1人パキラを越えて以来、杳として消息の知れなかった方がだ」

「はい。良くぞご無事で...」

ガレンスの声には感慨無量の響きがあり、それはナシアスも同じだった。

薄い水色の目に、深い感動と、何とも言えない苦渋の色が浮かんでいる。

「私はこの半年、デルフィニア最後の国王が狼に食われて倒れる悪夢を幾度見たか分からない。陛下をお助けすることも叶わず、おめおめとコーラルを奪い取られ、あげくバルロをはじめとするデルフィニアの忠臣とあるべき人々を救うことも叶わず、ただ諾々とペールゼンの主張に従う屈辱を強いられ...いや、私のことなぞより今現在あのバルロが、硬骨漢のフェルナン伯爵、ドラ将軍らが、どのような屈辱を受けながら過ごしていることか、思うだけで体が煮える」

「ごもっともです。私とてそれさえなければ、いえ、せめて陛下がご無事であればと幾度思ったかもしれません」

「そうとも。陛下はお戻りくだされた。しかも勝利の化身たちを連れてな」

「ナシアス様!」

忠実な部下の抗議を、ナシアスは軽く首を振り、穏やかに微笑むことでかわした。

「私も信じたいのだ。真実の王に王冠をかぶせるべきだと言いきった、しかも少しも物怖じせずに、本気でコーラルを奪い返そうと考えている、あの子供たちをな。もしそれが本当にかなうのなら...もしもそれがあの子供たちにできるというのなら」

ナシアスはそこで言葉を切った。

実現はほとんど無理ではないかと諦めていたことだった。

年下の僚友は元気でやっているかのような手紙をくれるが、王宮の内情には一言も触れていない文面を見るにつけ、改革派の眼がこんなところにも届いているのかと、怒りと焦りを同時に覚える。

密かに誘いをかけてみても、各地の領主達は1万の近衛兵団に確実に勝てるという保証がない限り、乗り気にはなってくれない。

王族でもない、一騎兵団長の提言ではなおのことだ。

もう無理なのかと、このまま従うしかないのかと絶望しかけていたところに彼らは現れた。

しかもいたって明るく当たり前のように、コーラルを目指すという。

「私は、信じたいと思っている」

もう1度、ラモナ騎士団長は言った。

そのころ、砦の湯殿では2人が文字通り汗だくになり、1人が変わらぬ様子で辺りを見回していた。

ここの湯殿は蒸し風呂になっている。

熱湯をぐらぐらと沸かし、その蒸気が送られてくる木の小屋に閉じこもり、汗と共に体の汚れを洗い落とすというものだ。

少女は見るなり逃げ出そうとしたのだが、に腕をつかまれ、男に促されて不承不承小屋に入っていった。

湯殿は2重構造からなり、汗を流すための小屋と、水を浴びて体を洗い流すための洗い場に別れてている。

小屋の下には大瓶が据えられて、次々に煮え立った湯が足される仕組みになっている。

それだけの支度をするのに、井戸から水を運ぶ係、火を焚く係、合わせて4人係なのだから、確かに大変な贅沢だった。

「どうだ。汚れがきれいに落ちるだろう」

「ウォル、リィはもう茹ってますよ」

洗い場にいた男が小屋の中に声をかけたが、返ってきたのはの呆れたような声だけだった。

小屋は3人が一緒に入っても充分な広さがあるのだが、もうもうと蒸気が立ち込め、相当の熱さになる。

そこで少女がここまで持ち込んできていた剣をどうしようかということになった。

とても持っては入れない。

かと言って、少女はその物騒な道具を、手の届かないところへ置くつもりはさらさらないらしい。

「ここは安全だし、何も剣を持って風呂に入ることもなかろうが」

と、男は言ったのだが、少女はそんな男にむしろ呆れたような眼を向けた。

「それが自由戦士の言うことか」

というのである。

「君はもう王様に戻って、自分で自分の命を守る必要もなくなったのかもしれないけど、僕はそうはいかない。どこだろうといざというときにすぐさま剣を引き抜ける状態にしておく必要があるんだ。その剣が僕の命綱なのに、見ず知らずの相手に預けて、のんきに風呂なんか入っていられるか」

男も反論はしなかった。

苦笑して、自分も1度は置いた剣を取り上げた。

「何だ。持って入るの?」

「リィに触発されましたか?」

「ああ、リィの言う通り、俺も今でも自由戦士だからな。コーラルを取り戻すまで自分の体は自分で守る必要がある。はいらないのか?」

「私の場合、私自身が武器ですから」

その言葉に始めてあったときのことを思い出し、2人とも納得して頷く。

そこで交代に汗を流すことにし、自身が武器と言いきったが2人の風呂が終わるまで小屋の中にいて、男は今、少女の剣を預かって洗い場にいるというわけだ。

「駄目だ。蒸し焼きになりそう」

「転ばないでくださいよ」

げっそりとした顔の少女が、の心配そうな声を背に現れ、男と交代した。

ナシアスは3人に別々に入浴してもらうつもりでいたらしいが、その分時間もかかるし、必要な湯水の量も倍になる。

「不経済だよね」

「「まったくだ(です)」」

ということで意見が一致したらしい。

3人してきれいに衣服を脱ぎ捨ててしまい、平気な顔で湯殿に籠もったのだが、これにはせっせと湯を運んでくる小者たちも眼を丸くした。

その時、の体が上も下も真っ平らなことに2人が気づき、ひと悶着あったのだが、あっさりと単に性別がないだけだと言ったに2人はそんなものかと納得した。

「まさか、君の故郷では、馬や犬をこんな風呂に入れてたんじゃないだろうね」

少女が垢すりで体をこすりながら小屋の中の男に声をかけると、太い笑い声が湯殿に響いた。

「それではいくらなんでも動物に気の毒だ。ちゃんと水で洗ってやったさ」

「ぼくもそれでいいっていうのに」

「たまにはいいじゃないですか。リィも見た目は人なんですし」

洗い場も蒸気が流れてきて相当に暑い。

小屋の中からの声は籠って聞こえてくる。

「この風呂は体にもいいのだぞ。古い血が洗い流され、新しい血が通い始める。俺の故郷では病み上がりの体に活を入れるのに使っていたものだ」

「冗談じゃなよ。かえって病気がひどくなるぞ」

少女にはそんなありがたみは分からないらしい。

「私も病み上がりにはどうかと思いますよ。それにこういう蒸し風呂は、きちんと水を補給をしないと、脱水症状で倒れますよ」

風呂に入ることを嫌がらなかったも、さすがに病み上がりにはどうかと難色を示す。

そんな声を聞きながら、少女は早々に体を磨き、水をかぶって、男の剣と自分の剣の2本を抱えて湯殿を飛び出したが、少女と同い年くらいの少年が慌てて、麻で出来た肌着を差し出してきた。

「あ、あの...もし。お召し換えを...」

「いらないってば。もう熱くて熱くて...」

「ですけど、あの、そのお姿で歩きまわられては、その...」

少年は赤い顔をして、しどろもどろに言う。

「どうかした?」

首を傾げた少女である。

洗い場に出てきたがそれを呆れたように見やり、男が苦笑をこらえつつ言ってきた。

「リィ、今の自分の状態を把握してくださいってば」

「リィ。その子を困らせるな。この騎士団は男ばかりだ。隠すところは隠してやれ」

「あ。そうか」

全裸のままで飛び出した少女は、思い出したように頷いて、衣服を受け取った。

「女の子は色々面倒だな。だけどウォルとは平気な顔してるのに。変じゃないか」

「私に人の性欲を理解させようと思わないでください。第一、あなたのどこが女性なんですか」

「そうだな。俺にもお前が女に見えないな」

「いい趣味してるよ。どうせならみんな、そう見てくれればいいんだ」

ぼやきながら、ぐっしょりと濡れた髪を絞り、頭から胴着をかぶった。

流れる金髪と湯上りの肌に、騎士見習の少年はさっきから真っ赤になっている。

「あの、それでは、陛下とそちらの方の着替えはこちらに置いて参りますので、他に御用がありましたら、お呼びください」

そそくさと引き上げていった。

少女のほうは肌着に剣を差した姿のまま戸外に立ち、夜風に当たっていた。

夜も遅い時間とあって砦の中は静かである。

塔の上に見張りが立っているのが見えたが、大部分は寝静まっているようだ。

「生き返ったな」

「湯冷めしないでくださいね」

少女と同じように洗い立ての体に肌着をまとった男とが出てきて声をかけた。

「大丈夫だよ。でも、変なものが好きなんだなあ」

呆れたように言って、片手に持っていた男の剣を渡してやる。

「城の湯殿はもっとすごいぞ。何しろ泳げるほどの浴槽だからな」

「泳いだんですか?」

「さすがに泳ぎはしなかったな」

「それ、中身は全部、お湯なわけ?」

「当たり前だ」

おぞましげに身震いした少女である。

「ほんとにお湯が苦手なんですねぇ」

「好きなやつの気が知れない。お城へ行っても絶対そのお風呂だけは遠慮するからな」

「そうだな。城には池もある。パキラの山には泉も小川もある。浴槽に入らんでも、いくらでも体を洗うことが出来るだろうさ」

男は剣を片手に夜空を見上げていた。

東の空だ。

子供たちも真顔で男を見上げている。

「首都コーラルですか...」

「お父さんのほかにも、捕まっている人が大勢いるんだね」

「ああ。ドラ。アヌア。ヘンドリック。皆デルフィニアを憂えている。優秀な人材だ。俺が現れる前からペールゼンのやり方を苦く思っていたものたちだ」

「「前から?」」

「そうだ。王子王女が亡くなられてからはペールゼンは王宮の主のように振る舞っていたらしいからな。ヘンドリックなぞは、ペールゼン侯爵はデルフィニアの支配者になりたいらしいと、皮肉たっぷりに言っていたらしい。そこへ俺が現れたのだから、彼らが俺に味方し、ペールゼンに対抗する姿勢を固めたのも当然だろうよ」

「そうすると、何?その人たちは単にペールゼンが勢力を増していくのがおもしろくなくて、君についたわけ?」

「かもしれん」

「でも、それだけではないのでしょう?」

「ああ。それだけなら彼らは、俺の旗色が悪くなるのと同時に俺を見捨てることも出来たはずだ。ペールゼンは偽王からのデルフィニアの開放を唱えて兵を起こしたのだし、自分に与するものはすべて許して配下におく方針を採ったのだからな。ところが彼らは今もってペールゼンに拘留されている」

男は子供たちを見下ろした。

「これが何を意味するか、考えてみるまでもないはずだ。違うか?」

「確かに」「違いません」

2人も頷き、男を見上げて笑った。

「あなたは、人とのつながりで難しいものほど、手に入れやすい人のようですね」

「そうだね。君は何も持っていない王様だけど、本当の味方だけは、ずいぶんたくさん持っているらしいな」

「何よりのことだ。俺も、意外だった」

平静に言ったようでも男の瞳には感動の色がある。

まだ遠い目的地には自分を待っていてくれる人たちがいるのだ。

それがはっきりと分かっただけでも、命がけで帰る意義がある。

「さあ、もう休むか。明日にはコーラルへ出発しなければならん」

「その前にガレンスと一騎打ちだ」

「勝ったときに、周りに引かれないことでも祈りましょうか」

彼らの寝床は小者が整えてくれたらしい。

隣り合わせの別々の部屋に彼らは籠り、それぞれ明日のことに思いを馳せた。











あとがき

デルフィニア戦記第12話終了です。
途中で書いた剣の守護神は、北欧神話のある神様をもとに管理人が作った内容です。
ここまで読んでくださって、ありがとうございました。

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